石敢當(6/27三日目その③) | ぴょんちゃんは楽しくやってるよ

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ちょっと前の事もすぐ思い出せなくなってて。でもそれは淋しいこと。自分のライフログのひとつだと思って書いてる。つまんなくてごめんね。
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野球観て鳥を見てアニソン聴いてfripSideのライブでペンライト振って。。。。

国際通りの裏道をテクテク歩いてて、気が付いたんだけど、こんなのが、玄関の柱とか、道端とかに埋めてある(立ってる?)。。。

 

なんだっけ?と思って検索してみました。

 

『石敢當』

 

いしがんとう、一言で云えば、魔よけ、だそうです。

 

Wikiから抜粋してみます。

石敢當(いしがんどう、いしがんとう、せっかんとう)は、石敢當などの文字が刻まれた魔よけの石碑や石標。石敢当、泰山石敢當、石敢東、石散當、石散堂、石厳當と書かれたものもある。中国で発祥したもので、日本では主に沖縄県や鹿児島県で見かける。

元は中国伝来の風習で、福建省が発祥とされている。泰山の頂上にも石敢當が存在している。似たような魔よけは中国のみならず、台湾・香港・シンガポール等の一部の地域にも見ることができる。

日本では、沖縄本島を中心に、周辺諸島に数多く点在している。また、薩南諸島・奄美群島を含め、鹿児島県にもかなり存在する。沖縄県、鹿児島県以外の日本全国にも分布するがその数は少ない。小玉正任はその著書で、鹿児島県、1153基、沖縄県は、きわめて多数としており、色々の統計を総合して、1万基であろうか、としている。刻銘から建立年が明らかなものの中では、鹿児島県志布志市にある元和2年(1616年)のものが最も古い。

沖縄県、鹿児島県以外の石敢當は近年になり、主に沖縄出身者により建てられたものが多い。しかし、大分県臼杵市畳屋町には、『豊後国志』によると天正3年(1575年)に建立されたとされる日本最古の石敢當がある(ただし、何度か建て替えられており、現存するものは1877年に建立されたものと考えられている)。臼杵は安土桃山時代に大友氏の貿易港として栄えた町で、この石敢當は明からもたらされたものであると伝えられており、沖縄県や鹿児島県を経るルートとは別に伝来したものである。凝灰岩でできた高さ約1.6mの石碑状のもので、1967年に市の文化財に指定されている。また、宮崎県えびの市飯野には元禄2年(1689年)の銘が刻まれたものがあり、建立年が銘刻されているものでは鹿児島県志布志市のものに次いで2番目に古い。

東北地方、特に秋田県には幕末から明治初期に建てられたと考えられる古い石敢當が多数確認されている。関東地方においては江戸期の石敢當が埼玉県で2基確認されているほか、栃木県足利市においても1基の所在が確認されている。東京都品川区では、設置時期・設置者や目的などは不明であるが、車両の通り抜けができない道路の脇の植え込みに設置された石灯籠型の石敢當1基が確認されている。神奈川県川崎市には、昭和35年、昭和41年の宮古島台風の際の川崎市からの見舞金の返礼として沖縄より石敢當が贈られ、造り直しや建て替えを経て川崎駅前に設置されている。

 

沖縄のそれは、こちらが判りやすかった。

 

歩いてみるといろいろ面白い。