この時期になると

「あの時はどうだったかな」

と考えることが多くなります。

 

あの日に限って私は

早くから携帯の充電を

ほとんどなくしてしまっていて

とてもとても悔やんでいました。

 

 

 

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まさか。

の1日でした。

 

たくさんのことを

考えさせられることになる

始まりの1日でもありました。

 

 

 

大きな出来事は

たとえ

直接体験しなくても

間接的にであっても

 

自分の現在地を問う

きっかけにもなります。

 

先送りにしていたことや

はっきり決めていなかったことを

改めて見直すきっかけにもなります。

 

 

 

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私もそうでした。

 

 

ここにいていいのか。

これをしていていいのか。

このままでいいのか。

 

 

 

ずっとずーっと考えていたこと。

長く悩み続けていたこと。

でも決断までは出来なかったこと。

 

そこからさらに1年かかりましたが

やっと決めました。仕事を辞めよう。

 

始まりのきっかけは

311でした。

 

 

 

 

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12年前。初めての事態。

揺れが落ち着いたあと

訳もわからぬまま

上着を羽織って急いで外へ。

誰かがスマホの画面で

映し出した映像を

みんなで覗き込みました。

 

 今なの?

 今これ起きてるの?

 

 

青森はまだ冬で

雪が降ってきていました。

みんなコート姿のまま

震えながら佇みました。

 

 

停電は回復せず

携帯をなるべく使わないようにしました。

 

 

 

だんだんと暗くなり

話したことのない近所の人たちと

お互いの話をしたりして

それがとても心強かったり。

 

街はシンとして

停電の夜は真っ暗で。

あんなにも音の無い夜。

 

 

 

家族の無事に安堵したり

会えたこと居てくれることに

ホッとしたり。

 

 

 

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翌日だったか

停電は続いていて

信号機も止まったままだったけど

 

車がたくさん走っているのに

事故が起きないことに

感動していました。

 

走行時のルール、というものがあるので

(直進車が優先とか)

そんなに混乱しないのだと聞いた時

 

日本人はすごいなと

日本の交通ルールもすごくて

それをこうして

信号機が無くても守って

安全に走れているドライバーたちはすごいなと

 

心の底から

感動して尊敬したのを

覚えています。

 

 

ガソリンスタンドに

延々と並んでいる車たち。

スーパーの冷凍食品が

安売りされたらしいと

話を聞いたり。

 

 

 

あのときは誰もが不安だったけど

それでもなんとか過ごしていた。

 

子供たちだけが

ことの大きさを理解できず

はしゃいでいたのも

覚えています。

 

 

 

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震源から離れた

私の地でも

これだけ覚えている

あのときのこと。

 

ましてや

現地の方々はと

想いを馳せると

たくさんのことが巡ります。

 

 

 

生きている人。

生きていた人。

その後の生活。

心。

 

 

 

 

 

忘れない

忘れるわけがない

3月11日。


 

 

 

今を生きることが

私の祈り。

 

私を私が受け取ることで

たくさんの命を受け取り

肯定することになるのだと

 

やっとわかりました。

今までにない深さで。

 

12年目の今日。

受け取るのが遅くなったけれど

これからも受け取って
それを出し続けていきます。