人工股関節(変形性股関節症)
| 昨年10月某社に応募し落選した体験談です。 「運命2005/1/27」 両足で真っ直ぐに立って、歩いています。毎日、感謝をしながら楽しく歩き回っています。長い間歩ける喜びを忘れていました。この喜びを思い起こさせてくれた執刀医のO医師に感謝をしています。O医師との出会いは運命的で摩訶不思議なきっかけでした。 2004年9月から暮れにかけて、痛み止めの薬の量を増やしながら勤務を続けていましたが、新年を迎えるともう歩けなくなっていました。病名両変形性股関節症、びっこを引きながら、不自然な姿で歩く為、体中に痛みが走り顔は歪んでいました。限界を感じた時、大阪城の見える病院に股関節の手術の上手な医師がいるという噂を耳にしました。わずかその二日後、国立O病院の整形外科へ出向いていました。噂の名医の名前もわからず大阪城の見える病院が、本当にこの病院なのか確信もなく、半信半疑のまま診察を待っている患者さん達に聞いてみることにしました。皆さん口々にO医師が名医であると言います。続いて、受付にいた綺麗な看護師さんに尋ねました。 「この病院に股関節専門の有名な先生はいますか。」 「それは、O先生ですよ。今日は外来の初診です。診て頂けますよ。診察しますか。」 紹介制度の病院で紹介状もなく飛び入り受診をする事になり、レントゲン撮影後、O医師との対面です。この先生が噂の名医なのだろうか、疑問のまま診察です。レントゲンフィルムと私の顔とを交互に見ながら、O医師は、左右同時に人工股関節全置換の手術をしましょうと勧めました。噂の真意を確かめに来ただけなのに、7月7日入院が決定しました。 その後、6月11日(土)病院内でO医師の変形性股関節症についての講話がある事を知り、参加してみると大勢の方々が集まってきているのにびっくりし、ここで改めてO医師の人気ぶりと股関節症で悩んでおられる方が多いのを知りました。この日手術に必要な意見書が、手違いで、様式の違うものが郵送されてきたのを正しい書類に書き直しをO医師にお願いをしてみると、講演会が終われば書いてあげると気軽に請け負っていただき、ほっとしました。病院の文書係の手落ちなのにO医師に文句をぶつけると 「そんなに怒りな。まだ慣れてない職員もいる。今書くから。」 O医師は気さくであり、安心しました。休日の整形外科外来は暗く私一人のために診察室の鍵を開け書類に記入をしてくれました。あの日、病院を訪れなければ、また、あの綺麗な看護師さんに受診を促されなければ、そしてO医師の診療日でなければ、O医師との出会いはなかったし、今、痛みも無く綺麗に歩いている姿はなかった。運命の2005年1月27日忘れることが出来ない日となりました。 いよいよ、手術日、手術室に入ると9名の先生方が準備をして待っていてくれました。O医師は宇宙服姿(手術着)でした。 「先生完璧に治してよ。」 あとは意識が遠のいていきました。 右足を触って、 「済んだよ。」 O医師の声がかすかに聞こえました。手術時間は両足で1時間49分でした。家族の顔を見た時はうれしかった。3週間の入院生活では、颯爽と歩いて帰るという強い意志で自主トレーニングに励みました。その結果、杖もつかず8月退院出来ました。しかし入院中に検査をした乳ガン検査の結果、 「左乳ガンです。手術しましょう。」 と外科の先生からあっさり告知され、耳を疑いましたが、逃れることが出来ず 「何故私が癌なの、何故」 頭の中でこの言葉が堂々巡りをしていました。素直に病気を受け入れることができず、気が付いたときには、O医師を訪れていました。 「人工関節の寿命と癌の再発による寿命と・ ・・もう仕事もできない・・・」 O医師は、とぎれとぎれの私の言葉をじっと最後まで聞いてから 「大丈夫やで、人工関節は15年はもつ」 カルテを見ながら、 「大丈夫と書いてある。」 先生の言葉を聞いて少しずつ少しずつ気分が落ち着き、午後外科に入院をしました。逃げ出したかったこの日、もしO医師の言葉を聞くことが出来なかったら、今の私は無かった。9月14日乳房温存手術を受けホルモン治療を続けながら、職場復帰も出来、癌再発の恐れはあるものの、術後2年目を迎えた2007年、7月両股関節に入れた人工関節は私の体と一体化し、O医師の診察では 「歩き方、格好いいよ」 の言葉と合格印をいただきました。まだまだ、乳ガンの治療は続きますが、来年7月11日整形外科3年目の診察予約日、O医師に元気良く歩く姿を見て頂くのを楽しみに、現在水中ウオ-キングで筋肉強化中です。 投稿記事が活字に
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