主人のせん妄が始まった。

薬のせいかもしれないけれど、記憶が曖昧で初めてせん妄が現れたときは切なくなった。

それまでの最近の主人は塞ぎ混んでいた。

痛みが強くないときも「あ~。」とか「う~。」とか始終口にしている。

怖さ、悔しさ、きつさ、虚しさ、いろんな感情が合わさってのものだと思う。

側にいるわたしもそれを始終聞いているわけで、どうすればいいかわからなくなっていた。


在宅医療希望とがんセンターのソーシャルワーカーさんに伝えたのはせん妄が始まる前、

翌日、わたしは役所に申請へ、

翌々日、役所から自宅に介護認定調査にきてもらい(ケアマネさんと包括センターさん同席)、

そのまた翌日、早くも介護ベッドが家に到着(介護認定調査当日でも搬入していただけるとのことだった)、

数日後、訪問ドクター、訪問看護師さんが決まり同日に主人の様子を見にきてくれた(ここでもケアマネさん同席)。

薬は薬剤師さんが家まで持ってきてくれることに。

在宅医療希望から一週間もたたないうちに環境が整った。

ソーシャルワーカーさんからは年明けからの在宅医療スタートになると思うと聞いていたので、本当にありがたいこと。

介護ベッドがこんなに早く使えたのは、皆様が早く動いてくださったのがもちろんだけれど、ソーシャルワーカーさんに「可能なら介護認定がおりる前でもベッドだけはほしい」と始めに伝えていたから。

希望を伝えるって大切だ(もちろん、希望が通らないこともある)。

加えて、もし介護認定されなくても全額自費で支払う意思も伝えていた(現在のところ要支援2に該当する予定らしい)。

その希望に添って動いてくれて感謝だ。

痩せて骨が出っぱっている主人には介護ベッドが寝やすいらしい。

娘の存在を考慮して、低床ベッドをケアマネさんが選んでくれた。

マットレスは2種類を試すことに。

福祉用具に詳しいケアマネさんだとソーシャルワーカーさんから聞いていたが、本当にそうだった。

安全のためにお手洗いに手すりもつけてもらった。


在宅医療は主人の身体の負担が減るのはもちろん、わたしにもいいことがあって。

それは、心身ともに不安定な主人の命の責任をわたし一人で負うのが今までとてもきつかったとようやく自覚できたから。

わたしは治療がすべてではないと考えているけれど、それでも日に日に弱っていく(ように見える)主人といると眠っているつもりでもゆっくり休めない。

主人の「あ~。」とか「う~。」とかそういう声を一日中聞くとわたしに何もできないだけにストレスになっていた。

それでも主人が選んだ道なのだ、わたしがきついからと言って主人に声を発しないようになんて言うのは違うし、そういうのを受け入れるのは側にいる者の務めだと考えている。

でもね、きつかったわけで。

在宅医療になったからと言って主人の発する声がなくなるわけではないけれど、ケアマネさんをはじめ複数の方から「一人で溜め込まないで電話してくださいね。」と言ってもらえて心が緩んだ。

実際電話はまだしていないのだけれど…苦笑。

そして、主人の命に本気で家で関わってくれる方がいるのが本当に心強い。

痛みや薬についても主人と丁寧に話してくれた。

今までも義家族やわたしの両親が様子を見にきていたけれど、責任を持った発言や行為をしてくれる人が増えた。

主人だってわたしにしか見せない姿があるから、医療者がすべて把握しているわけではない。


友人もいつでも電話していいから、と言ってくれている。

こんなときありがたいのは話を聞いてもらえること。

わたしは本当に恵まれていると思う。


主人の病状は肝臓の数値が悪化し続けている。

相変わらず血糖値はそこまで高くないし低血糖でもない。

アルブミンはさすがに下がってきたが、こちらも相変わらず心配するほどではない。


在宅医療は家族が大変なイメージがあると思うが、それでも今のわたしたちには在宅医療がベストだと思う。

訪問看護師さんが言っていたけれど、娘の存在が痛みの緩和につながるらしい。

コロナウィルスの関係で、入院すると面会ができないのは主人にとってかなりのデメリット。

それでも少しは面会できる緩和ケア病院については年明けにわたしが面談に行く予定だ。


食事対策は塞ぎ混む主人の前では万事休すという状況に陥っていた。

放任みかんの絞りたてジュースより市販のパックのジュースがいいらしい。

主人自身が取り寄せたサプリメントも「やめておく」と。

炎症対策のため在宅でアミノ酸系の点滴と抗生剤の点滴を入れているから、訪問医に「口にするのはお茶やお水にしておこうね。」と言われたのもあるかな。

気持ちもすっかり弱ってしまった。

そんなときにせん妄が現れた。

うまく促して放任みかんジュースや主人が取り寄せたサプリメントを再び飲むようになった。


「もしも」のときのことを話した。

病気がわかってからすぐに話したけれど、もう一回。

すると主人は最期まで家ですごしたいとのこと。

でも、迷惑になるのではないかと気にしていた。

たしかに娘の育児と主人の看護?介護?が重なると今でもいっぱいいっぱいだ。

でも、いろんな人やサービスに頼ればいいじゃない。

どうにかなる。

それよりも厄介なのは積極的治療を今でも望む義家族への対応。

最期まで家で、なんて話をしたら寒空の下主人を連れ出しそうだ。

主人の尊厳をわたしは守りたい。


できないことを嘆いてもしょうがないが、少しは嘆いてわたし自身の心の安定をはかっている。

少し嘆いてからできることを見つける。

主人の膵臓ポンがわかってからその繰り返しだ。

わたしに関わらず周りが良かれと思ってしたことでも、主人の意に沿わないと無下にしてしまったことがこれまでに何回あっただろう。

誰でもそうだけれど、納得する、これは主人にとって本当に大切なこと。

周りが示した選択肢に「やりたくない」の意思は強い。

遅れてきた反抗期のよう。

「やりたい」を押し通してもいいんだよ。


病気のあるなしや深刻度に関わらず、明日どうなるかは誰にもわからないのだ。

それにも関わらず周りの皆様が協力を惜しまないでいてくれることに本当に感謝。


せん妄が始まってからわたしたちの結婚式のアルバムを主人と見ていたら主人が泣き出した。

結婚式をやって、写真を撮って、アルバムにしておいて、よかったね、と。

娘を見ると笑顔になる。

在宅医療を選んで正解だったと思う。


希望を捨てたわけじゃない。

あえて言うなら一日一日がより輝きだした。

痩せてもせん妄出てもいいじゃない。

主人は主人だ。