お義父さんありがとうございました | 晴れのち曇り時々雨

晴れのち曇り時々雨

日々の出来事、王子さまたちのこと、韓国旅行のレポ、イベントレポなど気ままに書いています。

義父が亡くなって一週間が過ぎました。
 
先月末から肺炎で入院していたのですが手当ての甲斐無く帰らぬ人に…
 
亡くなる2日前「気をつけて帰れよ」と言ってくれたのが最後の会話になりました。
 
容態が急変して家族は誰も臨終に間に合いませんでした。
 
でもすでに冷たくなった義父はとても穏やかで優しい顔をしていました。
 
几帳面で気難しいところもあったけど、わたしにとっては優しい舅でした。
 
主人を含め子どもたち全員お酒が飲め無いのでいつもわたしが相手をしていました。
いろんな話を聞いたので主人より詳しいくらい。
 
実家のお醤油屋さんの話や予科練に入って戦争に行ったことなど々...
興味深い話でした。
 
その戦争の苦労だけでなく、普通は経験しないような苦労も沢山した義父でした。
 
連帯保証人になっていた義母の従兄弟の会社が倒産した時は、自営業をしていた他の連帯保証人全員が自己破産したため、公務員だった義父が多額の負債を一人で背負い、家一軒建てれる金額を完済。
 
義母が天ぷらを揚げている途中で電話に出て自宅が全焼。
幸いにも隣近所に類焼もせず、義母が割れた電球を踏んで足の裏に怪我をしたくらいですみました。
保険に入っていたので被害額は少なかったようです。
悲しかったのは主人の写真が全部焼けてしまったこと。
 
10年ほど前に補導員のボランティアの帰りに横断歩道を渡っていて車に撥ねられ奇跡的に助かったものの、頸椎損傷で車椅子生活に。
元々スポーツマンで懸命なリハビリのおかげで歩行器に掴まって歩けるまでになっていたのですが、転倒して大腿骨を骨折してからは車椅子生活に逆戻り。
そんなわけでずっと施設のお世話になっていましたが、暗くなることもなく、
強い精神力でがんばっていました。
 
連帯保証人の件、火災の件、交通事故の件も誰かを責めることはありませんでした。
 
と書いていると聖人君子のような人物に思えますが
亭主関白を絵に描いたような人だったし、金遣いの荒い遊び人の面もあり
義母を泣かせるようなこともして
(まあ夫婦関係が冷めていたのかどうか義母は泣いたりはしてなかったけど)
義母が本人がいても平気でめちゃくちゃ悪口言ってましたけどね汗
 
ただあんまり義母が悪口言うのであるとき
「そんなに嫌なら別れたらいいんじゃないですか?」って言ったら(真剣に言った)
目をパチパチさせて黙ってしまい、それ以来ちょっとだけ悪口が減ったかな?笑
別れる気は全く無かったみたいですね。
 
いつだったか義父が
「どこで野垂れ死にしてもいい」とみんなに言ったことがあって、
楽しいことも辛いことも、いろんな経験したから人生に悔いは無いのかなぁと。
 
なので、義母に
「お義父さん思い残すことは無いって言ってたから落ち込んだりしないで長生きしてください」って言ったら
義母の心配は義父が亡くなるということよりお葬式の心配だったのでちょっと安心。
無事葬儀が終わってほっとしているかな?
 
そうそう、お通夜に義父に多額の借金を払わせた義母の従兄弟たちが来ていたのですが、
(義祖父の葬式に会った以来だったらしい)
お香典の額が知人並の金額で、
(多額の借金を義父に払わせたけど、一切返済してくれていません)
主人にそのことを言うと、
「年金暮らしで金が無いんやろ」って笑ってて
主人の弟も妹も納得してて、みんな人が良すぎで心配になるのでした。
(わたしの心が狭いだけ???)
頼むから保証人にだけはならないでね。
 
 
お義父さん
ふつつかな嫁を可愛がってくださってありがとうございました。
天国に行ってもお義母さんや家族を見守っていてくださいね。
長い間本当にお疲れさまでした。
やすらかにお眠りください。
合掌