誰かの
病気や死に関わる度に思うのだけど

必要なタイミングだから
世間で言う【引きこもり】生活になっているような気がして仕方ない


今、ウチの弟も世の扱いからすれば
【引きこもり】に該当するのだけど

弟が 職を変えて
実家に帰ったタイミングで
祖母の介護が始まったり 

弟が 独立を考えて会社を辞めたタイミングで
祖母の容態が悪化して 介助要員として必要になったり…


その後、
祖母は亡くなったのだけど
亡くなったら亡くなったで

遺品の整理やら 名義変更やら
祖母の仕事や 父の仕事の引き継ぎやらで

結局、独立の準備に専念出来ないまま現在に至る。


そんなタイミングで
今回の 父の入院


弟が 実家に居たことで
会社勤めをしていなかったことで

どれだけ みんなが助かったか。



そして
これが 不思議なのだが、

主人の父が 介護状態だった時も

主人の弟が 同じような状態だった



しかも
主人の父が亡くなる数ヶ月前に

主人までもが 大ケガにより
仕事に半年以上 戻れない状態に…!



こんな様に
祖父や、叔母や 叔父、友達など。
様々な人の亡くなったタイミングを注意深く思い返してみると

不思議と 
そんなタイミングの人が存在してくれていた お陰で

人の最期の時に 
みんなで協力することが出来ていた事を思い出す



これは
私の少ない経験のデータでしか無いが

私の中では
【引きこもり】と呼ばれる人の存在によって
何度も何度も 助けられて来たので


これも 必要があって
そのタイミングになっている
【役割り】では無いのか?

と 思ってしまう