言語障害になった母は言葉が思ったように出てこないらしく何を言いたいのか、こちらの言ってることも伝わっているのかわからない意思疎通のできない状態で、まるで今までとは違う、母ではない人になってしまったようでした。


体はというと、少しずつ自分で車椅子を操作できるようになりました。私たちが帰る時になると出口まで一緒に来てくれ「バイバイ」したあと私たちが病室に戻る母を見送るという毎日でした。ひとりで戻っていく車椅子の母の後ろ姿がなんとも切なくてやりきれず、その光景が今も忘れられません。


その入院中の母に更に災難が起こりました。子宮頸癌が発覚したのです。手術をして子宮を取ったものの、いろいろなところに癌が転移していてすべて取りきれなかったのです。余命はあと数ヶ月と宣告され、これからは好きなことをさせてあげてくださいと言われました。


母は離婚していたので、退院してからは祖母(母の実の母です)と次兄との3人暮らしでした。

私は昼間は息子をお友だちと遊ばせたり公園へ行ったりしたあと、夕方早い時間に実家へ行き、掃除、ご飯作り、帰りの車で息子を寝かせるという毎日を送りました。


それから数年後に兄は結婚し、中国人のお嫁さんが来て、子どもも産まれ、賑やかな5人暮らしになりました。

私もその間に次男、長女を出産し、3人の子育てで大忙しの日々が続いていたので、孫の顔を見せに実家へ行くのは月に一度くらいになりました。

そのうちに祖母が亡くなり、益々母のことは兄夫婦に任せきりになっていきました。


癌のほうはといえば、幸いにも特になんの変化もなく、進行もせずに普通に暮らせていましたが、その何年かの間に脳出血を2回再発し、入退院を何回か繰り返しているうちに、母は寝たきりになり、まったく手足も動かせない、言葉もまったく話せない状態になっていきました。


なんの自由もない、楽しみもないこの状態って

母はどんな気持ちで過ごしているのか?


つづく