自由ってなんだろう

自然ってなんだろう


最近よく考える。


人間から社会性を取り上げたら、
一体人間はどんな風に行動するのだろうか。

それは人類の動きという観点からではなくて、
人単体に感心がある。


自分の社会不適合性を慰めたいだけかもしれない。


人に合わせるということで感じる、この上ないストレス

人って…

だって私だって人じゃないか。

私に合わせてくれてもいいじゃないか。


なんなんだ。一体。もう。


そんな不毛な怒り。


具体的に不満があるわけじゃない。

強いていえば、自分が理解できなくてもどかしい。

自分を制御できなくてもどかしい。


だっておかしいじゃないか。

間違いなく私はこうしたいと望んでいるはずなのに、

なぜその結果から離れるような行動ばかり選択するんだ。

どう考えたっておかしいじゃないか。

私の意思は私のものなんじゃないの?

私は何のために、何を満たすために、

自分の意思に沿わない行動をわざわざ選択しているの?


いやもうね、
なんなのばかなの?って言う問いすら
馬鹿らしいくらいに。


私の体は私のもの。
私の感情も私のもの。
私のものは、私が管理制御できるはず。

そういう理屈のもとに、
何度だって自分を理想に近づけようとしてきたのに。

理屈が間違ってるというの?

それとも、
私は、自身の建前と本当の欲望に気付かないまま
生活しているというの?

もしそうならば、
私は、自分を本当のクズやろうだと認めなければいけない。

ちがう、世間でいうクズであることも、
まあそうかもしれないんだけれど、

私の言うところのクズやろうっていうのは、
私の理想とはかけ離れた人物像、
私の美意識に真っ向から対立する人物像のこと。

自分がそんな者だと、
どんな面をして認めればいい?

私が信じて疑わなかった自分の意思を
実は建前だったんだと、
実は見栄っぱりだったんだと、
どんな面持ちで受け入れたらいい?

認めて、受け入れたあと、
私はどんな風に生きようとすればいい?


崩れてしまう。
崩壊だよ。

心が粉砕される。


でもそれでも、
私は生きていけるんだろう。


自身の本質を認める直前まで、
つまらない人生だと定義していたその生き方を
さも平然な顔をしてなぞっていくんだろう。


そうしてつまらなくなっていくんだろう。


つまらなくなるのは簡単だよ。
簡単すぎて困ってしまう。



哲学者って、どうやって生きているんだろう。

最近よく考える。


社会は哲学者を認めてくれるの?

今時、純粋に学びを追求できる学者だっていないのに。

社会が学者に社会性を求めるから。


哲学者は、
どうやって生計を立てるんだろう。

誰かのすねかじりをしながら
純粋に哲学を貪るんだろうか。


想像するんだ。

もしかしたらもしかすると、
私はよく哲学をしているんじゃないだろうかと。

哲学的な妄想だなんて、
なんだか恥ずかしくて、照れくさくて、
いつも曖昧な言い方をしてしまうけれど、

なんだろう、
哲学に救いを求めているのかもしれない。


形にできずに、
いつもその手前で止まってしまう自分を
どうにか救いたいのかもしれない。

でも。

そんなのは私だけじゃないはずで。
みんな頭の中にコスモがあって。


自分の価値をどこかに見出さないと、
私は私を生かす理由失ってしまう。

いつ死んでもいいなんて、
もうそんな言葉は放ちたくないの。

謳歌したいの。

お風呂で胸元に熱いシャワーを浴びながら、
目を閉じて熱唱している時のように、
この小さな体に与えられた可能性を、
謳歌したいの。


でもすぐ忘れちゃう。

周りを見過ぎて、
自分を忘れちゃう。

周りすら見なくなって、
自分すら忘れたままで、
時間の中をただただ泳いでしまう。

謳歌とは、程遠い。



考えて考えて考え疲れてしまう人を、
社会はすぐに鬱病だ何だと、
名前をつけて非難したがる。

うんざりだ。

なんだっていいさ。

私を鬱病だメンヘラだと勝手に診断して
それで楽しいならよかったじゃないか。


健全ってなんだろうって思う。

健全な状態と人間の自然体が、
同義語だとするなら、

じゃあ人間の自然体って何だろうって思う。

そうしてまた冒頭の自問自答が始まる。



私にとって私の存在はとても大きい。

世界に比べたら、
あらあなたいたの?ってレベルで
ちっぽけな私なのに。

私の体は、
私の意思を叶えるための
駒なはずなのに。

駒はわがままだ。

起きたいのに起きないし、
寝たいのに寝ない。

わがままで困ってしまう。


大きいけど小さい私と、
上手く付き合って行く方法が見つからない。

大きい私は私を過信にさせるし、
小さい私は私を絶望させる。

その中間に立ちたい。
心地のいい視点が欲しい。


他よりも自分を優位に捉えた思考をしてしまうのは
仕方のないことだと思うんだ。

それで確かに私の何かは満たされているんだから。



ああ、
だめだなあ。

ダメダメだ。


自分の意思ひとつ大事にできない私に
大事な人が作れる気がしない。

とても、恋がしたいよ。

振り回されたいよ。

人に合わせた生活なんてしたくない!
と豪語する私が振り回されるほどに

そんな恋がしたいよ。

どうでもよくさせてよ。

私を泥沼思考から救えるのは、
もう恋だけだと思うんだ。

私をばかにさせてくれるのは、
やっぱり恋しかないと思うんだ。

私に社会性を備えてくれるのは、
愛するパートナーだけだと思うんだ。



他の個体に興味はない。

他の似たような個体の真相心理に
何の感心もない。

そこには、
私を翻弄して惑わすものしかないと思うから。

納得したければ、
進みたければ、
他を見ずに自分で導き出さないといけない。

自分で導き出したそれは
間違いなく私の正解だから。


社会を無視すれば、善も悪もない世界。
あるのは、私がしたいかしたくないかだけ。


自然体って、
やっぱり社会性の外にあるんじゃないだろうか。


きっと私は、
死ぬまで自分の本質には辿り着けないんだろう。

だって私には、
社会性を押しのけられるほどの
握力がないんだもの。


かと言って、
世論を鵜呑みにできるほど鈍感でもない。

うん。

世知辛い人生を選択せざるを得なそうやな。




10日前にひとつ年をとった。

一年区切りで
自分が生きのびたことを喜ぶ姿勢を選んだけれど、

正直、一年もせずに飽きてしまった。

年に意味なんて、何もないのにね。

53人+αにおめでとうと言ってもらえた。
嬉しかったよ、嬉しかった。

プレゼントもたくさんもらえて、
祝福される快感に酔ったりもした。

そして二日後に訪れる賢者タイムね。

二日違いのママの誕生日プレゼントを買いながら、
つまらないことをたくさん考えた。

母親ってなんだろう。
家族ってなんだろう。
誕生日って何が嬉しいんだろう。
一年ってなんだろう。

おもしろいね、人は。

なぜ、地球と太陽の位置関係が
自分が産まれた瞬間に似ている瞬間を
祝おうと思い始めたのか。

不思議だよほんと。


でも、愛おしいね。とても。



大きな世界の小さな私。

広い宇宙の小さな星。

だから私は星が好きなんだ。
私が好きなんだ。

天体活動に自分を組み込んで祝う
自分の誕生日も、
やっぱり大好きなんだ。

そういう発想を生み出す人間も、
ちっぽけで、いじらしくて、
一生懸命で、誇らしくて、好きなんだ。



私の夢ってなんだっけ。

魅了すること。

ちっぽけな私は、
ちっぽけな人達を、
魅了するために、
そのためだけに、
生きたかった。


人は変わるね。

時の次元は、
人を変化させてしまうね。

私の夢は変わってしまったかもしれない。

また見つけないといけないみたい。

また探して、また見つけた時、
もし同じ言葉に辿り着いても、
それは新しい言葉だと捉えよう。


しばらくは、
眠い目をこすりながら、
卒論を仕上げることに集中しよう。

夢が迷子なのも、
彼氏が欲しいのも、
実は親友がいなかった事実も、
伊勢丹でクリスマス限定で売っている
4万円のネックレスに心惹かれて苦しいのも、
全部一旦引き出しに畳んで入れておこう。


まずは、私にまとわりつく社会を片付けないと。



すごそうに見える先生が言ってた。

時々良心が痛むけれど、
社会はだまくらかしてなんぼだと。

それは仕方のないこと、
そうでもしないと這い上がれないと。

考えない人を騙して階段にするのが、
考える人のやり方だと。

評価されたそのままの実力を持っている人は
実はほとんどいないんだと。

人からの評価というのは、
どれだけ手を抜いて、
最大値にだまくらかせたかだけなんだと。


参考になる先人だよ、ほんと。


あなたの言葉で、
私がどれだけ救われたか。


だまくらかします。
覚悟してて社会さん。