【転載】加瀬勉さん2010年年頭所感  | 格差と戦争にNO!

【転載】加瀬勉さん2010年年頭所感 


2010年 年頭所感 

三里塚空港建設反対の決意

加瀬 勉(三里塚芝山連合空港反対同盟大地共有委員会(||)代表)


 苦難と栄光の歴史を刻んで


 我々は、高度経済成長政策、所得倍増計画の絶頂期からバブルが弾け世界不況、国民総貧困のどん底の今日の時代まで四十余年間、国際空港建設に反対し苦難と栄光の道を断固として歩んできた。中国の故事に「その国の民を亡さんとすれば、まずその国の史を亡ぼすことである」という言葉がある。又、「春秋」襄公25年の記事「五月乙亥斉崔杼殺其君光」の不服従の十一文字の歴史の教訓として、我々はこれからも奮闘してゆかなければならない。闘争は意地、我慢、主観的願望で維持できるものでなければ進むものでもない。道理や大義にかなわなければ人民の批判と非難の中で消え去っていったであろう。国家権力の弾圧権謀術策と戦い今日まで闘争を継続できたことは、大義にかない社会や歴史の発展に貢献しているからに他ならない。世界の人々が「環境破壊の防止」「地球温暖化防止」「地球の危機、人類の危機をいかにくいとめるか」「世界63億の半分の人々の餓えをどう解決してゆくか」緊急にして深刻重大なこの人類の課題に三里塚闘争は貢献してきたのである。
 大義は我等にあり。戦い半ばにして逝きし者、今戦い続けている我等、これから生まれいずる者のために断固として苦難と栄光の三里塚の大地の歴史を踏みしめてゆこうではないか。


 悲観する事はない成果に目をむけよう


 当初、政府の国際空港建設計画は3000ヘクタールであった。浦安、霞ヶ浦、八街、富里闘争を経て三里塚へ、計画は1500ヘクタールに縮小され、その敷地の大半は下総御料牧場と千葉県竹林となった。
 三里塚芝山連合空港反対同盟に結集する農民と国内外に存在する1000有余人の一坪土地共有者が団結して3000メートル滑走路の建設と、その他の空港施設の建設を断固と阻止している。彼等は一坪共有地金銭買収の訴訟という法の名のもとに新たなる強制代執行をかけてきた。我々は裁判闘争を闘いぬき、権力の完全空港の野望を粉砕する決意である。
 「私は主張する正義は強者の利益にほかならない」(トラシマス)、「私はやはりこうおもう。正義は友人を益し、敵を害すること」(ポレマスルマス)
 日本は法治国家だ。議会も立法府も確立されていて言論の自由も保障されている。なのに空港建設反対の直接行動をとるとは怪しからん、これが権力の言い分である。
 「過激派」「暴力集団」、この我等に対する中傷非難言葉は40余年の闘争の利息をつけてそっくり返上する。戦前、戦争に反対する者、協力しない者は「非国民」「国賊」であった。だが戦後、この「非国民」「国賊」に道理があり真理があった。国家権力は、この歴史的経験を教訓とすることができず戦争政策を国策の空港建設に名を変え、「国賊」「非国民」を「過激派」「暴力集団」と変えて、三里塚の農民と我々の主張を侵害し、戦後民主主義を破壊しているのではないか。
 農民を追い出し、緑の肥沃の大地をコンクリートで埋め尽くし、村々を廃墟と化し、千葉県から茨城県にかけて騒音地獄をつくりだした。これこそ過激派であり、暴力集団である。我々は政府に、国会に政治家に自分の生き甲斐や希望を委任してはいない。政府や国会は、国民の単なる利害調節の機関に過ぎないのに、立法権を乱用し、命令、支配する権限がある如き傲慢な振る舞いを行い我々の生き甲斐まで支配し抑圧し奪い続けている。これに反省を迫る三里塚における我々の直接行動は、主権在民の民主主義の基本的な権利である。


 自民党の航空政策の破綻


 「自民党の戦後政治のなかで、最大の失敗は成田空港の建設であった」「佐藤(首相)に三里塚は作るのではないと、財界を代表して進言した」。これは日経連代表の桜田武の言である。その予言どおりになった。成田、羽田、関空等のハブ空港の政府の野望は、我々の戦いによって打ち砕かれた。政府の航空政策は破綻し、その無策ぶりを露呈した。日本にハブ空港はいらない。建設する必要はない。これが我々の主張であり、基本的な戦いの方針である。
 一県一空港の建設、机上の経済効率、机上の搭乗率ペーパープランの地方空港の経営は完全に破綻した。契約一社の茨城百里空港、静岡空港とさんたんたるありさまである。これ以上無駄に税金をつぎ込み住民に過酷な負担をかけ続ける地方空港は廃港にすべきである。過酷な住民負担より、コンクリート滑走路より緑の大地へ、これが我々の主張である。国土交通省の「飛ばさせないわけにはいかない」ではなく「飛ばしてはならない」のである。


 悪魔の微笑み


 自民党政府は、三里塚の農民に謝罪した。空港公団、空港株式会社も謝罪した。政府の謝罪とは、顔で笑って足で農民を蹴飛ばし踏みつけ空港建設を暴力的に強行することであった。顔は人間の皮をかぶっているが、心は獣であった。謝罪とは三里塚の農民に心から謝り、二度とその失敗を繰り返さないように誓うことであり、誤った政策の中止にほかならない。悪魔は自分の姿を鏡に写したときに魔力を失うという。それはあまりにも自分の姿が醜いからである。権力は生まれながらにして、この魔性を業を持っている。権力の座にいる者に必要なものは、徹底的な誠実さであり、謙虚さである。
 ところが自民党政府は、この魔性をあらわにして三里塚のすべてのものを破壊尽くして空港を建設できた。それはまた三里塚にとどまらなかった。全国においてもそうであった。大衆の要求という鏡に己を写し、己を省みる事ができなくなった自民党は歴史の断罪を受けて政権の座から追われることとなった。天に唾を吐き、己の顔を汚している事に気づかず傲慢、不遜の自民党は当然の報いを受けたのである。


 鳩山首相の美辞麗句


 鳩山首相の国会における施政方針演説は、「戦後自民党政治の大掃除」「友愛政治」「人の笑顔がわが歓び」「自立と共生の新しい絆」「強い者だけが生き残ればよいという国民を犠牲にする経済から、人間のための経済へ」「公共事業依存型の産業構造をコンクリートから人へ」「地球温暖化は人類の破滅の脅威」等々述べている。
 施政方針演説は国民に対する誓いの言である。まず、騒音直下人権蹂躙の生活を余儀なくされている三里塚の農民のために飛行を停止せよ。人権の回復をせよ。国際空港は成田から羽田へ、地元の反対にあって言を翻し、日本航空再建には公的資金をつぎ込み再建する。空港行政の癌は空港特別会計にあるといっていながら廃止はできない。破綻した地方空港も再建すると言っている。戦後自民党の大掃除と言っているが、破綻した自民党航空政策を繕うことに終始している。
 「うまい話には毒がある」「巧言令色鮮(すく)なし仁」「絵に画いた餅」ではどうにもならない。民主党の昨年の選挙の勝利は国民の勝利であり、「無血平成維新」だと言っていいが。足元が定まらず真昼の二本足の幽霊である。問題はどの立場から、どのような方法で、どこを目指して進むのかである。鳩山内閣にはそれがない。


 先ず己を変えよ


 鳩山家の歴史は権力者の歴史である。私は権力の座を金で買ってきたと理解している。「鳩山首相個人の資産は83億、今回の偽装献金問題で母親から贈られた金額は総額で12億」「追徴の税金は6億」。鳩山首相は記者会見で「私は裕福な環境に生まれました」と述べている。働きたくても職がない路上生活者、子育ての金に困っている、教育費も払えない、住宅ローンも払えない働き盛りの人々の失業、職安に30回相談に行っても働く場所がみつからない。鳩山首相と対極に生活しているこれらの人々の実態と心情がはたして理解できるのか。
 釈迦は餓えた虎にわが身を投げ出したという。そこまではとにかく、足尾銅山の鉱毒と戦い、谷中村の農民に生涯をかけた田中正造翁を考えてみるがよい。中国の周恩来総理は旧ソ連邦のフルシチョフ首相と会談したさいこのように言っている。「私は周財閥の一族として生まれましたが、祖国解放革命運動の中で人民大衆に学び自分を変革することができました。貴方は私の逆、労働者でありながら首相になって労働者を裏切るようになりました」。現在の自分の立場を捨て、人民大衆の立場に立った時に、その政策は人間の血の通った生きたものになるのだが。鳩山首相に己を変革する勇気があるのか。


 空港建設巨大開発は日本民族の精神の破壊


 国土交通省と空港株式会社は20万回の発着、30万回の発着の試算と、それに伴う騒音予想実態を明らかにすることとなった。空港周辺市町村の首長の空港問題戦略会議は、「騒音対策のきめ細かさ」を要求して「夜間の飛行時間の延長」増便を容認しようとしている。
 騒音対策のきめ細かさとは何か。家屋防音の強化に他ならない。窓の二重サッシ、空調設備等の助成金の増額を中心としたものである。住民対策とは道路の整備、箱物の建設である。さらに騒音地獄の中で密封、密室に住民を閉じ込めようとするものである。日本の気候は高温多湿、家屋は太陽の光、山や川、畑や田圃の風がよく入る解放的な家屋構造、これは日本の風土が生み出した家屋の文化である。
 この伝統的文化を破壊するようなものが自然環境を無視した自然と人間の共存を拒絶した不健康極まりない防音家屋である。そして冷暖房の化石エネルギーの大量消費である。地球環境の破壊である。京都、小国連、コペンハーゲン会議と地球温暖化防止、地球の破滅的危機、人類生存の危機と叫んでいるが、三里塚ではその危機を促進しているのである。口と手足が別々ばらばらに勝手気ままに動いている。
 「わが国土の清澄にして甘美な自然環境は、われわれ先祖の精神生活の内に、自然は救済者の役割をはたしてきた」。
 日本民族の精神形成は自然の豊かさのなかで形成されてきたものである。自然と人間の共存。日本民族は自然のあらゆる内に神々を棲ませて、それを不可侵として自然を守ってきた。田や畑の神、川や水、滝、井戸の神、御神木、岩、山の嶺、荒神の火の神など等。八百万の神々を自然に棲ませて、自然を大切にして共に生きてきた民族である。外国にみる一神教の民族と違うのである。日本は世界に希に見る美しい自然と風土をもっている。この自然を破壊するということは日本民族の精神の根底の破壊にほかならない。三里塚に於いては田畑は勿論、農民の心、精神まで破壊し続けた。三里塚40年の歴史と三里塚東峰神社の御神木の無断伐採の権力の乱行はその典型である。御神木は神の許しをえて小枝でも切るのが農民の慣わしである。黒野と顧問とする空港株式会社は、「人を排して犬、獣を用い」、その巣窟である。神を恐れず、天まで届くバベルの塔を建て国を亡ぼしたバビロニア人と同じ事を国家権力は三里塚で行ってきたのである。「コンクリートから人間へ」と言うならば、三里塚の空港建設を中止して人間の心と自然を復権せよ。


 故佐藤栄作元首相を断じて許さない


 1966年7月4日、三里塚に国際空港建設を決定した元佐藤首相を断じて許さない。三里塚の農民と日本の戦後民主主義を破壊したのは元佐藤首相である。彼は、沖縄返還を巡ってアメリカの日本への核兵器持込の密約をニクソン大統領と交わしていた。太平洋侵略戦争の悲劇、広島、長崎の原爆の悲劇、非核三原則国是の否定、平和憲法の蹂躙、三里塚の農民の生きている権利のすべてを奪い、日本民族を裏切った佐藤元首相を我々は断じて許さない。
 「臥薪嘗胆」屍を暴いて鞭で打つ。死んだ者には罪はない。佐藤元首相に対してはそんな仏心の慈悲心は私にはない。死んだら我が墓に「梓」の木を植えよである。
 三里塚の空港位置決定の重要な要素は、横田、厚木の米軍専用空域ブールホウテン、青の14番の空域があったからである。日米安保条約の廃棄、すべての米軍基地の撤去、成田をはじめとする空港の軍事的利用の廃止、平和憲法と非核三原則の遵守。近代日本は戦争と侵略の歴史、とりわけ太平洋戦争と広島・長崎の原爆の悲劇を経験した我々の決意である。「普天間の基地移転問題は、連立三党合意で結論を出す」、「憲法問題は協議しない」と合意しているのに「普天間の基地の移転は国内へ」「憲法改正作業を進める」という鳩山首相の発言は、「朝令暮改」である。これ以上過ぎると、財閥の御曹司の戯言となる。鳩山首相の本音が、衣の下の鎧が見えてきた。「美辞麗句」「友愛」の言動に騙されることなく、我々は我々のわが道を切り拓いてゆくだけである。


 侵略戦争は正義か?


 アメリカ大統領のオバマは、アフガン侵略戦争に兵力の増派を決定した。ノーベル賞授与式の祝賀演説で「戦争は必要だ」と主張した。侵略戦争を正当化し、正義だとした。民族の自決権を否定する侵略戦争には断固反対である。即時撤退せよ。鳩山内閣は、アフガンにおける米軍との共同行動のすべてを中止せよ。


 人類の餓の解放


 地球上には63億の人々が生活している。その半数の人々が飢餓に苦しんでいる。新たに、世界不況で10億の人々が飢餓に追い込まれた。一日4万人の飢餓者の現状は許されるものではない。日本は1億3千万人の人口、一人当たり1ヘクタールの面積に依存する世界一食糧輸入国。食卓、市場には外国の農産物があふれ、資源略奪のなかで飽食の日々は餓死者の骨を舐め喰らっている生活の経済強制は断固として改革しなくてはならない。
 三里塚空港、そして巨大開発、農地収奪、環境破壊、生命を維持し、養い育てる食糧を人間支配の武器に使用することを断じて許してはならない。わが国の食糧の自給を果たさなければならない。自らの胃袋を外国の農産物に占領され支配されていては民族の独立も平和もない。三里塚空港を緑の大地に、寸土を大切にし人類の餓えからの解放、これが我々の主張である。


 混沌、混乱そして変革の歴史的時代へ


 寄生地主土地所有制度が占領政策として解体されて戦後自作農経営が創設された。60年を経てその自作農経営が崩壊の極に達した。農業に対する考え方は、技術と経営、食と安全、農業と環境、食料の時給か輸入か、農業に対する価値観は多様である。
 しかし経営が破綻した状況に対する思いはみんな同じである。借地経営や企業の大規模経営も出現している。戦後自作農経営の土地所有制度に変わって、どんな土地所有制度が日本資本主義のなかに出現してくるのか混沌としている。古代土地制度が成立した時の壬申の乱、荘園制度と武士階級の出現、荘園制度の崩壊と戦国時代、徳川幕府は300年続いたが、明治維新、廃藩置県、地租改正と自由民権運動、太平洋戦争の敗北、寄生地主制度の解体と戦後自作農の創出、戦後の混乱と社会運動の革命的高揚。農地の土地所有制度が変化し確立する時代は混乱と革命の時代である。
 今は資本主義社会、労働者主体の社会だが、農業が資本主義社会の桎梏になっていことは事実である。「強制された農業から」「自由に物が作れる経営へ」、そして所得補償といっても選挙目当てのばら撒き農業政策ではこの現状は、この矛盾は打破できるものではない。働く農民、労働者の汗と叡智のなかでしか問題の解決は生まれ、解決はされない。混沌、混乱を変革の時代へ、我々は力強く実践を展開してゆこうではないか。


 泣き虫になった新たなる命を求めて


 浦安、木更津、霞ヶ浦、八街、富里、そして三里塚へ。私は空港反対闘争に半生を賭けてきた。私は泣き虫になった山上憶良の「貧窮問答歌」、杜甫の「石壕の吏」の詩を読むと胸が詰まって涙が流れるのである。東大寺の奴隷小足(おたり)は7年間逃亡して捕らえられて奴隷で生涯を終わった。正倉院にみる千葉県房総三国の戸籍(へふだ)葛飾柴又郷、意布郷、木内郷にみる氏族社会における奴隷の名前。
 香取神宮の神奴の境遇、津宮白状祭にみる蝦夷に対する拷問。偽籍、愁訴、越訴、強訴、一揆、佐倉惣五郎、礫茂左衛門、武左兵門、多田嘉助、与平明神、半平墓、新七稲荷、与兵衛明神、秩父騒動、大塩の乱等、千葉県安房、上総、下総三国で一揆は60件、全国で3000件、八街に続いて千葉県で二番目に結成された川千代田村農民組合(現芝山町、菱田、白桝地区)と堀越晃、石井大作の活動。
 治安維持法下在監7年、山田の実川清之の生家。地租改正と明治開拓、戦後農地改革と戦後開拓農民の苦しみ。
 下総御料牧場の歴史に見る、天皇乗馬白雪、日の丸の旗を振ってのお出迎え。道路の普請、牧場の手入れの徴発労働。
 終戦の15日、成田千葉交通車庫から人民戦線の結成を呼びかけた多古の小川三男さん、木崎小作争議を戦った鈴木吉次郎、石田友全との出会い、足鹿覚さん、八百板正さん、淡谷悠蔵さん、米価闘争のとき東京の煙突に登って抗議した煙突男・松沢俊昭和さん、菅野スガ、伊藤野枝、大杉栄、小林多喜二、山本宣治、三里塚の三宮くん、東山くん、原くん、新山くん、管制塔戦士の獄中の頑張り。
 731部隊加茂の石井四郎軍医中将、731部隊の軍属源さんの兄和一、そしてB級戦犯で巣鴨プリンスで刑死。731部隊の母住家の田下隊員。731部隊石井中将の関係する病院で働いていた源さんの妻、過激派に焼き討ちされるからと解体した加茂の石井中将の生家、石井中将筆なる横宮産土神の忠魂碑、石井中将が日本最初に濾過装置付給水自動車を実験した加茂の川、日本軍の南京大虐殺守備隊隊員横堀の小川喜重。
 中国戦犯最後の抑留者反対同盟瀬利副委員長。砲兵部隊として上海に上陸、南京攻略に従軍した反対同盟石橋副委員長、三里塚闘争四代に渡る戸村委員長、大木よね、秋葉哲、岩沢吉井、菅澤老人行動隊長、石井武さん、小川明治さん、源さん、柳川茂副委員、病院から抜け出し三日戦争に馳せ散じた白桝の木内武副委員長、横堀要塞で火炎瓶を持って戦った長谷川たけ婦人行動隊長、駒井野砦で鎖を身体に巻きつけて戦った柳川のおっかさん。
 自分の顔より大きいヘルメットをかぶり機動隊の盾に体当たりしていった少年行動隊、測量隊に鉈、鎌を振り上げてむかっていった天神峰の石橋、石毛のばあちゃん、熱田副行動隊長逮捕、心配して病気になったおばあちゃん、家族三人一度に逮捕された石井武さんの家族。天皇直訴、宮城に突入を図った菅澤老人行動隊長。頭から糞尿をかぶり測量隊を阻止した源さん、補償金の配分をめぐる家族の争いで電車に飛び込んで自殺をはかった岩山の秋葉くん。戸村委員長等々多くの農民が身罷り移転していった。一人一人の農民の顔が魂に焼饅となっている。
 全国辻浦々で三里塚を支える為に活動した多くの人たち、全国の同志、仲間達、三里塚に散骨した大阪の上坂くん等、一瞬のうちに人民の歴史が我が体内を血が逆流する。その血が、フランス革命最後に戦士が処刑されたレンガの赤い壁。マリー・アントワネットが幽閉されたパリ警察の窓の灯火、ロシア革命に、アメリカの南北戦争に、スペインの人民戦線に、中国革命、私を加瀬同志と呼んだ周恩来総理、加瀬さんだけもう一週間滞在してください、毛沢東主席との会談スケジュールを調整していますと。ラルザックで二人で演説したボベ。ゲバラの戦死、アジエンデ政権の苦悩、それを支えて戦いフランスに亡命したノブエさん。ベトナム人民の反米祖国解放戦争等の想いが体内を逆流する。
 わが魂がわが血潮がこれらに魅せられて離れないのである。魅せられた心は、魂は新しい生命を再生する衝動に疼くのである。私は新春に立ち登る真っ赤な太陽の光のなかにいる。


2010年1月17日 三里塚芝山連合空港反対同盟旗開き