【報告】いま成田空港で何が起きているのか 「三里塚第二砦の人々」上映&トーク
成田プロジェクト
いま、成田空港で何が起きているのか
「三里塚第二砦の人々」上映&トーク
9月20日、「いま、成田空港で何が起きているのか─映画『三里塚 第二砦の人々』上映&トーク」が東京ウィメンズプラザで行われた。
主催は「いま、成田空港で何が起きているのか」プロジェクト(成田プロジェクト)。3日間開催された第七回市民メディア全国交流集会 TOKYOメディフェス二〇〇九の分科会として行われた。
上映&トークでは最初に小川プロ製作の映画「三里塚 第二砦の人々」(1971年)を上映。71年強制代執行での激しい闘いの映像が映し出された。
映画に続き、8月に撮影された現在の三里塚の映像が上映された。民家の40メートル上空を飛ぶ飛行機、滑走路の北伸工事、誘導路建設など大きく風景が変わっている。
次に大野和興さん(農業ジャーナリスト、地球的課題の実験村共同代表)を司会に成田で何が起きているのかについて3人がトーク。
一坪提訴は形変えた代執行
柳川秀夫さん
柳川秀夫さん(三里塚の農民、地球的課題の実験村共同代表)は「懐かしく映画を見たが、映っていた人の多くは亡くなっている。四十数年経つが、人の思い・魂を再認識させられた。
今空港に反対している人はごくわずかだが、間違っていないことは間違っていないと社会に伝えたい。実際に存在する成田空港の経済効果が大きいから、空港反対闘争は注目されなくなり、マスコミでも報道されない。
島村さんの家は防音工事をするなどしてがんばっている。だが、大型機が飛ぶようになれば想像を絶する状況。そういう状況を確かめてほしい。
代執行で多くの人が血を流した。代執行をさせないためのあらゆる方法をということで九一年から政府とシンポジウムをやり、事業認定を取り下げさせた。映画のような代執行をやる法的根拠はなくなった。
だが、最近一坪用地の仮処分の申請がされ、まず裁判所から他人に譲るのを禁止するという決定が届いた。そして、裁判所に訴えられることになった。これはお金を払えば、土地は空港会社のものになる。これは形を変えた強制代執行。反省したといいながら、そういう事態が今もある。
『話し合い』というのは、空港問題の本質的な解決のためで空港を一方的につくるための話し合いではない。空港という巨大開発がなされた時代背景、経済社会、民主主義のあり方、環境問題などを共通認識にして平和的な空港問題の解決をめざすと合意していた。
ところが、今回一方的に土地を取り上げる手続きをした。この件についてはまだ情報が入ってない。いずれにしても成田空港問題は新しい文明論の中での問題解決が必要。ただ、一九六六年から空港問題は始まったが、時代がまだ新しくなっていないのなら闘わざるを得ない。今の力では非常にきついが、闘わざるを得ない客観的状況があるときは、課題をきちんと残して、次の新しい時代の人が受け継ぐ。そのためにはここであいまいにして白旗をあげることはできない。そう思った人が力を合わせるために呼びかける可能性がある。
重大な局面にあるのは事実。開港阻止闘争ではみんなが人生をかけて闘った。それだけ成田空港問題が社会的な問題を持っていたから闘った。いま違う道を歩んでいるかもしれないが、人生を通しても譲れないものがあると思う。ダメなものはダメだということが大事。
いま、世界ではテロの一言で問題が覆い隠される。少数には少数の闘いがある。テロの一言で語るのではなく、問題を深く掘り下げる認識を持たなければ問題は前に進まない。成田でも問題を鮮明にしていきたい」
若い世代は
相川陽一さん
「成田闘争四代目」の相川陽一さん(一橋大学大学院)は、「同世代や年下の人が多い場で話せて感謝したい。私は77年生まれだが、映っていたのは懐かしい人達ばかり。
今年から中国山地の村に住んで過疎とたたかっている。農業をやりながら、村と町をつなげる仕事をしている。それも三里塚で育ったから。
映画に映っていた人達は誇り高い。そして、普通の人達。普通の人にああいうことができるのが人間。
開港から30年以上経って、いま空港に地域が振り回されている。地域が空港城下町になっている。空港による過疎で、芝山町は人口1万がいまは8000人。だが、財政は豊か。豊かさとは何か。空港に振り回される地域に本当に住みたい人がどれだけいるのか。空港に依存していくことが本当にいいのか。
空港が没落すると困るから、反対運動は困るという意見がある。住民が住民に対して言うことがある。空港に頼って本当にいいのか。ここ10年空港の経営は悪化して、そのために滑走路を延ばそうとしている。
それで本当に豊かになるのか。成田・三里塚は本当に豊かな地域。反対運動と無関係に、農業をやりたいとたくさんの若者が成田に入っている。
そして、柳川さんが倒れたら終わりという運動にしてはいけない。そういう運動だったら、三里塚をやってきた意味がない。自分の問題として、三里塚を考える考え方・メッセージをいろんな人とつくっていきたい。いろんな人を三里塚に案内したい」
三里塚の魂
鎌田慧さん
鎌田慧さん(ルポライター)は「小川プロの映画を見て、当時宣伝が足りなかったと思う。マスコミはほとんど報道しなかった。
三里塚の魂、人民闘争の魂が忘れられてきた。三里塚は燦然と輝く闘争だが、精神をどう伝えていくのか。70年代、六ヶ所では三里塚のようになるぞという過激派キャンペーンに負けた。三里塚をたたかった人が色んな住民運動に入って、静岡空港などでたたかっている。
空港が民営化されて、私人と企業になった。機動隊を投入してというのは難しくなり、がんばりどころ。だが、500人乗りのジャンボが屋根をこするように飛ぶようになる。どう止めるかは人道上の大問題。
島村さんは有機農業でいい畑を作ってきた篤農家で、なんの落ち度もない。それをフェンスで囲み、ジャンボを飛ばし迫ってきている。許してはいけない。企業としても、国家としてもやっていけないことだ。
島村さんは何の要求もせず、交渉をしない。自分は百姓やって畑を作りたいだけだと。一軒の農家がどういう目にあわされているか知ってもらいたい」
続いて、会場からの発言が行われ、一坪裁判についての質問、支援者二代目からの発言などが続いた。初めての参加した人から「日本でもこれだけの闘いをしていたということをぜひ伝えるべきだ」という意見が出されていた。