タイトルの歌の続き、宜しくお願いします(笑)
 
 
 
 
娘と少し買い物に出掛けたら…
フォーマル服装のお母様方がたくさん…
 
 
 
 
今日、卒業式の学校、多いのでしょうね。
 
 
 
 
皆さんは~
小学校
中学校
高校
…etc…
 
 
 
 
どの時代の卒業式が思い出にありますか?
 
 
 
 
私は小学校の卒業式が一生忘れる事が出来ません(この歳になっても覚えてるんですもんね(笑))
 
 
 
 
その話を…この場を借りてさせて頂きます。
 
 
 
 
私の小学校4・5・6年の3年間は、教育委員会の初の試みで、3年間同じクラスでした。
 
 
 
 
3年間も同じクラスは、もう兄弟の様な姉妹の様な親密感、親近感が生まれます。
 
 
 
 
先日、このブログで初恋をかかせて貰った『幼なじみのJ子ちゃん』も3年間同じクラスでした。
 
 
 
 
今でもこの小学6年生の同窓会をするとかなりの人数が集まり、今でも付き合いがあり、クラスの中の『あんた、誰?』て存在の子は1人も居ません。
 
 
 
 
先生は、大分県からやってきた初教師の女のS先生でした。
先生とも仲良くなり、先生の下宿先に遊びに行ったり、先生を招待して夕食会を開いたり、先生との距離も近いものでした(今では考えられませんね…)
 
 
 
 
そこは、良い面ですが…
 
 
 
 
もちろん、悪い面もありました。
 
 
 
 
大阪弁で言うと…
 
 
 
 
『なぁなぁ』になるんです(馴れ合いになる)
 
 
 
 
私達のS学級は、勉強はそんなに出来ないけど、元気で楽しい家族的なクラスでした。
 
 
 
 
平和な3年間を送り、卒業式を1ヶ月後に控えた時に事件が起きました…
 
 
 
 
その時も私達は調子にのり、先生がいくら「静かにしなさい!」と言っても、ウルサイまんまでした。
 
 
 
 
先生が感情的になり腹を立ててしまい、うるさく騒ぎ立てた何人かを前に立たせました。
 
 
 
 
その時に…
放送があり、「卒業文集委員は集まるように!」と、卒業文集委員だった私とJ子ちゃんは、教室から出ていきました。
 
 
 
 
その後…大変な事が起きてしまいました…
 
 
 
 
先生がうるさく騒いだ何人かを三角定規(大きな)で頭を叩き、頭が切れて血が出てしまい、大騒ぎになってしまいました。
 
 
 
 
その騒ぎは学校だけに収まらず、新聞にも出てしまいました!
 
 
 
 
『生理中のヤ●ザ教師、三角定規で学童せっかん!』
と…忘れもしないひどいタイトルでした…。
 
 
 
 
S先生は翌日から学校に出て来ませんでした。
 
 
 
 
私達はショックでした。
平和に卒業式を迎えるはずが、マスコミにも叩かれ、注目の的の小学校に小学生になってしまいました。
 
 
 
 
でも、私達の心配は担任のS先生でした。
S先生は、学校を辞めると、聞きました。
 
 
 
 
が…
 
 
 
 
私達は…小学生の幼い思考しかありませんでしたが…
『騒いだのは私達が悪い!三角定規で叩いてしまった先生も悪いけど、それでアイコで、S先生と最後まで一緒に卒業式をしたい!!』
 
 
 
 
と、気持ちは1つでした。 
 
 
 
 
S先生は良い先生では無かったかもしれませんが、私達にとっては、大切な大好きな先生で、たった一度の過ちでさようならする様な関係では無くなってました。
 
 
 
 
私達は、両親にも頼み復職嘆願書を作り、周りのクラスにも理解を求め、S先生を代表に私達の卒業式に向けて動き出しました。
 
 
 
 
そして、あの憎っくきタイトルをつけた新聞社へ
『抗議の電話をしよう!!』
と、何人かで作戦を練りました。
 
 
 
 
『生理中のヤ●ザ教師』
なんて、不愉快極まりない表現でした★★
 
 
 
 
秘密基地で何人かが集まり作戦の結果…
 
 
 
 
★逆探知されない公衆電話で…
★ちょっと大人っぽい声のEちゃんが、記事を書いた記者を呼び出す…
★それから皆で文句言う…
★逮捕されたらアカンから名前は絶対に言わない…
★文句言ったら一方的に電話切る…
★電話切ったらバラバラに帰る…
★親にも誰にも電話した事は死ぬまで言わない…
 
 
 
 
なぁ~んて約束、誓いをして…作戦計画…
(キィハンターかプレイガールの見すぎ(笑))
 
 
 
 
決行日…
皆、自転車で、公園の公衆電話BOXへ…
(この時代は公園に公衆電話BOXなるものがあり、10円でずうっと話が出来ました(^^;)
 
 
 
 
口から心臓が飛び出そうなくらいドキドキし、みんな緊張しました…
 
 
 
 
その新聞社に電話し、大人っぽい声のEちゃんが、記事を書いた記者を呼び出す所まで成功しました…
 
 
 
 
さて順番に文句を言う段になり…
 
 
 
 
『S先生はヤ●ザじゃない!』と、1番冷静だったEちゃんが、まともに喋れず、声が裏返り泣き声に…
 
 
 
 
みんなつられて泣き出し…
 
 
 
 
私も受話器をまわされたものの…
 
 
 
 
『私ら先生は好きやねん…』を最後まで言えず号泣…
 
 
 
 
次にまわしたJ子ちゃんもポンタンもみんなみんな、ウエアオウエウエオゥエイアアアア~~~~と、まともに文句も言えず…
 
 
 
 
電話を切った…
 
 
 
 
なんのこっちゃ~~~~
電話の向こうの記者は、アザラシかオットセイが電話してきたと思ったんちゃうかなぁ~
(今から思うと…(笑)) 
 
 
 
 
それでも、その何人かは満足しバラバラに帰宅…
 
 
 
 
(いつか逮捕されるかな…)と何日かはドキドキしたけど…
 
 
 
 
いつの間にか忘れてしまった(笑)
 
 
 
 
そして、皆の努力の甲斐あって、S先生は、『卒業式まで』と言う条件つきで復職した。
 
 
 
 
今、大人になって思うと、S先生も大変だったろうし、勇気がいったと思う。
 
 
 
 
そして、涙涙の卒業式を迎えた。
 
 
 
 
私達子供はS先生を代表に卒業式を迎えられて満足感一杯で幸せだった。
 
 
 
 
S先生も卒業式が終わったら、故郷の大分県に帰る事になっていて、先生も卒業式だった。
 
 
 
 
私は、卒業式に向けて劇的な出来事があり、やはり小学校の卒業式が1番思い出があります。
 
 
 
 
幼い心に感じた色んな出来事、でも確実に中学生になる準備が出来た卒業式までの1ヶ月でした。
 
 
 
 
S先生は今もお元気でいらっしゃいます。
 
 
 
 
S先生は、故郷の大分県に帰り、また、教師を続けられ、定年まで教職をまっとうされました。
 
 
 
 
10年前に同窓会があり、先生と再会しましたが…
 
 
 
 
先生は…
『あれから沢山生徒を見送ったけど…やっぱりあなた達が1番記憶に思い出に残ってる私の生徒です』と言ってくれました。
 
 
 
 
もちろん、私達もそうです!!
先生、いつまでもお元気で!!
また、同窓会したいなぁ~!!
 
 
 
 
今日、卒業式の皆様、卒業式はまた、新しいスタートです。未来を夢見て頑張りましょう♪♪
 
 
 
 
ん…
息子の卒業式…
いつや????
 
 
 
 
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