今日は、父の検査なんで…
病院に付き添います。
娘も仕事が休みなんで一緒に行きます。(相方も行く事になりました(^^;)
皆さんは『お父さん』に対してどういう思いがありますか?
私は父親っ子で、父が大好きで、また、父にとても可愛がられました。
ある意味…ファザコン?(笑)
私もええ歳こいて来たし…
マイブログなんで…
父の半生を書いてみたいと思います。
私が知ってる父方のルーツは…
私のひい祖父さんまでを知ってます。
私の父のお祖父さんですね。
明治時代辺りですかね!?
それ以上の先祖は知りません(^^;
この話も私が子供の頃から聞いた話なんで…
何処までが本当なのかは…分かりません(;^_^A。
私のひい祖父さんは、東北 福島県の山村で…
穏やかかどうか知らないけど、妻と息子と3人で 村の駐在さんをしてたそうです。
(交番と自宅が一緒のスタイルですね)
自転車乗ってぶ~らぶら~と、ドリフターズのカトちゃんみたいだったんでしょうか??(笑)
ある日、台風で村に鉄砲水が襲いました。
ひい祖父さんは、村人を避難させ、次に、
自分の家族を…、
そして、
色んな書類を取りに交番に戻った時に、土砂崩れに合い、帰らぬ人になりました。
殉職です。
そのひい祖父さんは
『村人を守った勇敢な駐在さん』
として…
慰霊碑が出来
村の教科書にも載り
毎年、慰霊祭も行われる様になったそうです。
私は8年前にこの慰霊碑を訪れました。
穏やかな山村でした。
今だに、山村の派出所はあり、自宅兼交番所の駐在さんは引き継がれてました。
私が訪れた時に勤務してたのは、新婚の若い巡査さんでした。
その若い巡査さんは、ここに勤務と決まった時に、
その『村人を守った勇敢な駐在さん』の話を聞かされたそうです。
代々、その駐在所に勤務する人には話が語り継がれるそうです。
そして、その慰霊碑は、合同慰霊碑として、毎年慰霊祭が行われてるそうです。
その若い駐在さんは、私たち(父、母、弟家族、私と子供)が、『勇敢な駐在さん』の子孫だと知ると、村人に伝えまわり、私たちは村人から歓待を受けました!
今にも死にそうな爺さん、婆さんの所に連れて行かれ、東北ナマリの何を言ってるのかサッパリ分からない言葉で歓待を受けました。
なんだかすごいなぁ~と思いました!
私たちはなんの証明書も持っていないのに、村人たちは、すっかり信じきり、その爺さん、婆さんは、その時の巡査さんの判断が無ければ、私たちもこうして生きていられなかった…手を握って『ありがとう!』と泣き出すのです…(^o^;)
子孫の私たちが、
(そんな先祖がいてたんやぁ~♪行こう!行こう!)
と、もの珍しげに訪れた知らない土地で、私の先祖がそんな形で敬われ、奉られ…
もう、何十年?百年?分からんくらい昔の出来事に感謝してお礼を言い、泣くのです…
恐縮するのは、私たちです(^^;…
私はその時の父の誇らしげな顔を見ました。
その殉職したひい祖父さんから数えて5代目まで引き連れてこんな福島県の山奥まで来れた事が父は嬉しかったんでしょうね。
私も父を偉いなぁ~と思いました。
そして、引き継がれる『血』の不思議さも『感謝』も感じました。
私のひい祖父さんの話はここまで。
次は、そのひい祖父さんの残された家族…
妻と息子(私の父の父です)の話を書きます。
病院に付き添います。
娘も仕事が休みなんで一緒に行きます。(相方も行く事になりました(^^;)
皆さんは『お父さん』に対してどういう思いがありますか?
私は父親っ子で、父が大好きで、また、父にとても可愛がられました。
ある意味…ファザコン?(笑)
私もええ歳こいて来たし…
マイブログなんで…
父の半生を書いてみたいと思います。
私が知ってる父方のルーツは…
私のひい祖父さんまでを知ってます。
私の父のお祖父さんですね。
明治時代辺りですかね!?
それ以上の先祖は知りません(^^;
この話も私が子供の頃から聞いた話なんで…
何処までが本当なのかは…分かりません(;^_^A。
私のひい祖父さんは、東北 福島県の山村で…
穏やかかどうか知らないけど、妻と息子と3人で 村の駐在さんをしてたそうです。
(交番と自宅が一緒のスタイルですね)
自転車乗ってぶ~らぶら~と、ドリフターズのカトちゃんみたいだったんでしょうか??(笑)
ある日、台風で村に鉄砲水が襲いました。
ひい祖父さんは、村人を避難させ、次に、
自分の家族を…、
そして、
色んな書類を取りに交番に戻った時に、土砂崩れに合い、帰らぬ人になりました。
殉職です。
そのひい祖父さんは
『村人を守った勇敢な駐在さん』
として…
慰霊碑が出来
村の教科書にも載り
毎年、慰霊祭も行われる様になったそうです。
私は8年前にこの慰霊碑を訪れました。
穏やかな山村でした。
今だに、山村の派出所はあり、自宅兼交番所の駐在さんは引き継がれてました。
私が訪れた時に勤務してたのは、新婚の若い巡査さんでした。
その若い巡査さんは、ここに勤務と決まった時に、
その『村人を守った勇敢な駐在さん』の話を聞かされたそうです。
代々、その駐在所に勤務する人には話が語り継がれるそうです。
そして、その慰霊碑は、合同慰霊碑として、毎年慰霊祭が行われてるそうです。
その若い駐在さんは、私たち(父、母、弟家族、私と子供)が、『勇敢な駐在さん』の子孫だと知ると、村人に伝えまわり、私たちは村人から歓待を受けました!
今にも死にそうな爺さん、婆さんの所に連れて行かれ、東北ナマリの何を言ってるのかサッパリ分からない言葉で歓待を受けました。
なんだかすごいなぁ~と思いました!
私たちはなんの証明書も持っていないのに、村人たちは、すっかり信じきり、その爺さん、婆さんは、その時の巡査さんの判断が無ければ、私たちもこうして生きていられなかった…手を握って『ありがとう!』と泣き出すのです…(^o^;)
子孫の私たちが、
(そんな先祖がいてたんやぁ~♪行こう!行こう!)
と、もの珍しげに訪れた知らない土地で、私の先祖がそんな形で敬われ、奉られ…
もう、何十年?百年?分からんくらい昔の出来事に感謝してお礼を言い、泣くのです…
恐縮するのは、私たちです(^^;…
私はその時の父の誇らしげな顔を見ました。
その殉職したひい祖父さんから数えて5代目まで引き連れてこんな福島県の山奥まで来れた事が父は嬉しかったんでしょうね。
私も父を偉いなぁ~と思いました。
そして、引き継がれる『血』の不思議さも『感謝』も感じました。
私のひい祖父さんの話はここまで。
次は、そのひい祖父さんの残された家族…
妻と息子(私の父の父です)の話を書きます。