皆樣は夏目漱石の『坊ちやん』を讀むだことがあるだらうか。教科書や文庫で讀むだ、といふのは無しね。ああいふのは、原文の漢字や仮名遣を勝手に書換たまがひものだから。

 

原文を讀むだ方なら、色々と分らない言葉が出て來て惱まれたかも知れない。例へば「三馬」。現代ではとんと見かけない字だが、昔の國語辭典などを引くとちやんと載つてゐる。

 

いまなら普通、「秋刀魚」と書く。つまり魚の「サンマ」である。僕は「三馬」の方が分易いと思ふのだが、いかがでせう。他にも色々と分らない言葉が出て來る。例へば「マドンナ」。

 

あつ、知つてゐる。「憧(あこがれ)の對象となる女性」を意味する言葉だよね、と想つた方、それは後に派生した意味です。本來の意味は基督教徒ならみんな知つてゐる筈、だよね。

 

さう、「聖母」とか「童貞女」とか言はれたあの方、「マリア」です。最近、明治の文學作品への基督教の影響といふことで、『坊ちやん』に「マドンナ」といふ言葉が出て來ると話したところ、相手に意味が傳はらなかつた。悲しい。

 

「マドンナ」と言ふ言葉は現在でも普通に使はれてゐるのに、それが何を意味するかは考へた事も無い。それが普通の日本人らしい。毛唐でも破天連でもないから當前か。

 

かと言つて「野幇間」といふ言葉の意味が分る訣でもない。これ、「のだいこ」つて讀みます。「たいこもち」の事を「幇間」と書くです。野幇間はテリトリーを持たずに何處にでも顔を出す最低水準のたいこもちです。

 

つまり我々は傳統文化(「野幇間」など)も分らない、かと言つて西洋人なら誰でも知つてゐる「マドンナ」が分る訣でもない。西洋文化にも傳統文化にも暗い存在なのです。

 

高等落語と當時稱された漱石の小説も、今では高等すぎて言葉も通じない。ああ、嫌な世の中になつたなあ。老人の繰言です、あんまり氣にしないで下さい。