僕が若い頃は、マルクス主義が今だ影響力があつて、下部構造が社會を規定してゐるといつた戯言を信じる人も多かつた。
僕はそれに反撥するやうに、上部構造の勉強に励んだ。つまり、思想や宗教といつたソフトウヱアを重視したのである。
だが、社會に大きな影響を與てゐるのは、ソフトウヱア(上部構造)でもなければ、勿論、ハードウヱア(下部構造)でもない。
例へば家族人類學者のエマニュエル・トッドは、家族制度を十幾つかの類型に分けて分布を調べてゐる時に、ある特定の家族制度の分布が共産主義圈の分布と一致してゐる事に氣づいた。
トッドによれば、家族類型によつて人々に埋め込まれた暗默の價値觀が、或る地域の人々に共産主義を受け入れさせたのである。
このやうに自由意志や風土などとは無縁な處で社會の價値觀は決まつてゐるらしい。そしてさうした價値觀が、思想や宗教のやうな上部構造を選別するのである。
それは風土や資源といつたハードウヱア(下部構造)によつて決定づけられてゐるわけでもない。そもそもマルクスやエンゲルスの古代社會についての認識は、今日ではとても低水準な妄想に近いものだ。
例へば市場經濟が物々交換から發展したものではないことは、已に二十世紀後半には經濟人類學等であきらかにされてゐた。
マルクス主義に限らず、今日の社會科學の前提となつてゐる常識には、すでに科學的に否定されてゐるものが少なくない。
では、今日の社會や思想を眞に規定してゐるものは何なのか。かうしたもの(トッドの家族類系のやうなもの)を僕はファームウヱアと名付けて、體系下を進めてゐる。
それは社會や歴史の意味を眞に理解するための作業なのである。