12日の早朝、新潟県の十日町市という場所に一匹の熊が現れ、人に危害を加える恐れがあるとして射殺されました。
この件に関して結構な批判があり、なぜ殺したのだという声が集まっているのだそうです。
それに関しては三毛別や福岡大ワンゲル部の事件を調べるなり、漫画のキムンカムイやシャトゥーンを読むなりして現実を見ましょうと勧めたいところですが今回私が書きたいのはそんなことではなくて、可哀想だという意見すら全否定する射殺肯定派は理屈と感情をごちゃまぜにしすぎだろ。ということ。いやいや少し落ち着けよ。
あんな?危険だから殺すという“理屈”と、殺してしまうのは可哀想だという“感情”は別なんやで?
射殺されるのは可哀想だと言うと、さも頭の中がお花畑かのように人を蔑まれる方が一定数おられるのですが、生き物が殺されることに対して忌避感を覚えるのはごく自然な感情ではないのですかね。
危険だから可哀想ではない。とはならないと思うのですが。
中には「熊が可哀想だとか言う奴は全員熊に食い殺されろ」だなんて意見まで出る始末。マジかよ……。可哀想って言っただけで死ねとか正気を疑うんやが……。
熊が人を殺す前に殺すべきという主張をしているくせに人に対して死ねとか……。ちょっと意味わからんですね……。
射殺するなという意見に対して現実を見ろという反論は理解できますけれど、可哀想だと感じる感情まで否定してしまうのは如何なものなんでしょ。