待合室で待つこと1時間ほど
待合室に他にも10名ほどいたが
思ったよりも早く声がかかった
救急車で運ばれて病院に到着しても
割と落ち着いていた私であったが
いざ、看護士さんに説明があります
と声がかかったときは緊張がピークに達したのを感じた
弟がいてくれてよかったと思う
一人で話が聞けただろうか?
診断は「脳出血」
父は皮殻という場所の出血がみられるという
だが
不幸中の幸いと思った方がいいのだろうか
父は意識もしっかりしていて
出血も多くなかったとのこと
でも脳出血には変わりなく
これから起るであろう症状やリスクなど
あらゆることを想定しておいてほしいと説明があり
”こうなった場合はこうしますので・・・”と
たくさんの書類を読み同意のサインをした
血圧を下げる治療とこれ以上出血しないよう様子をうかがう(出血した脳周辺の腫れの様子見など)から集中治療室に一晩入院が決まった
今が終わりではなく
これからが始まりであるということ
出血が止まったからといって
はい治りました!ではなく
これを機に
肺炎、さらに脳出血の再発および脳梗塞などの合併症などに十分注意が必要
一度壊れてしまったところは治せないのが脳でもあると
だからできなくなってしまったことを補っていくリハビリがこの先続きますと言われた
右手、右足の反応があまり芳しくないことと
失語症などがみられるので、今後はこのリハビリが始まるということだった
血圧を下げるなどの治療が順調に行けば、普通病棟へ移動でき、週三回の透析も同時に行ってくれるということだった
ただし、搬送された病院は救急専門なので
ある程度よくなってきたら違う(リハビリ)病院を探してほしいとも
帰るときに父に声をかけると反応もある
まだしんどそうだったが、病院内なら
何かあっても安心だ
ひとまず私たちは病院を後にした
翌日、普通病棟に移りますと病院から当日連絡が入り、入院に必要なものを買い、母と面会に行った
14時50分に部屋に移動しますというからほぼ定時に病室についた。すぐに着替えやら入院のセットが必要になるかなと急いでいった
が、父はいないし、病室に名前もない
気になり受付に聴くと
「あーー 透析かもしれませんね」と軽い返事
いつ戻ってくるのか聴いても しらべられないし、わかりませんとのこと
ん?情報がきてないの?そんな大事なことが?
で、調べてもくれないの?
病院からの電話では14時50分に移動します
しか聞いてないので、そのときに透析後と言ってくれれば
逆算もできただろう。
あわてて買い物を済ませて来たのに
しびれを切らした母が通りがかりの先生に再度聞いてみたら
その先生の働きかけで事務の人が動き
「もうすぐもどってこられるそうです」とのこと
なに?このシステム![]()
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すでに待って2時間以上経過していた
この病院の体質なのか?
この事務員が軽いのか?
教えちゃいけないから伏せてただけなのか????
いずれにしてもちょっと不信感が生まれてしまった時間だった
話を戻す
透析後ということもあり、気がもうろうとしている父
母は一日ぶりに父に再会
あまり会話もおっくうでできそうになかったので
入院に必要なものを棚にしまい
わかったかわからないかも定かではない状態の父に
一応 棚の中の説明を簡単にした
(持って来た着替えも「いらないから持って帰って」と父。気が動転していたのか?必要なものだからと言い聞かせた何しまって来たが・・・・)
透析から戻って割とすぐに夕食が運ばれて来た
私たちとの会話もろくにしないで
父は運ばれて来たものにすぐに手を出した
気がもうろうとしながらも 食べようと必死
でも、箸が持てない
茶碗も持てないので引き寄せるのも一苦労
ごはんつぶで手や顔、布団の上いっぱいになる
脳からうまく手先に指令が行かないのだろう
あわてて 家から持ってきたプラスチック製のスプーンを持たせてみると
どうにか口に運んで食べることができた
だが
とにかく ものすごい勢いで食べようとする父
「おなかがすいてたの?」と聞くと
「いいや? あまり空いてない」との返事
でも目の前で食べている父はとても空いていないなんて状況じゃない
よし!と声をやっとかけてもらえた子犬の様にがむしゃらに食べていた
ちょっと胸が痛んだ
父は日頃から
未だに私や弟の食べるときの姿勢が悪いやら箸の持ち方や食器の手の添え方が悪いやらと食事中にうるさい人だった
でも目の前で夕食を食べている父は、日頃怒られている私たちよりもひどい有様だった
もしかして
病院にいることさえもわかっていないのだろうか?
わたしたちの存在も看護士さんの存在と区別がついていない?
目の前においしそうなものがあったので
本能のままに食べているだけなのだろうか?
スプーンを持たせたときもちょっと怪訝な顔になったりしていた。お茶を飲もうと手を滑らせ布団にこぼしてしまった
そのうち うーーーんと苦しそうになり
ベッドにスプーンを持ったまま横になる
テーブルに膝がぶつかり、お盆をひっくり返しそうになったのを必死でおさえる
母「どこかによりかかってたべられるといいのにね。体を起こしているのが疲れるのね。よりかかって食べられれば楽なんじゃないかな・・・」とためいき
背中を支えてあげても、何度か寝ては起きて食べるの繰り返しをした
最終的には半分くらいのところで
「疲れた。もういらない」といって寝てしまった
よく見ると
寝ながら手をあちこちにつけて、何かを拭っていた
よくみるとごはんつぶ
さっきこぼしたごはんつぶが体や手、布団のあちこちについていて気持ちが悪かったようだ
探して取り除き父を寝かせて食器を片付けた
普通病棟に移ったけれど、この先、こんな風に
介助が必要になってしまうのだろうか
リハビリができるようになっても
箸を持つことはできなくなるのだろうか
私たちのことがわからなくなってしまうのだろうか
たった数分の食事風景で不安でいっぱいになった
母も同じことを思っていたかもしれない
この先この状態だったら退院しても介助が必要だ
弟も仕事でいない時間がある
足腰の弱い母ひとりでは到底無理だ
退院後に介護が始まるのだろうか・・・・
父がくたびれてしまうのでこの日はそっと声をかけて
母と病院を後にした
どこから手をつけたらいいか
何から始めるべきか
この先 どんな準備をすべきか
透析の通院もある
自分の家と実家のこと、父の通院を
すべてこなせるだろうか
頭の中がいっぱいになった
母も介護の経験がないし、
親戚も介護をして苦労して来た人がひとりもいない![]()
ひたすらネットで勉強する日々
まずは病院が紹介してくれた
ソーシャルワーカーさんに頼ることにした
続きます(時間ができたら)