一年前の今日「2022年3月8日 火曜日」の個人的な手記です。

まだA型作業所で「働いていた」頃ですね。

しかし、8月31日に退職して、9月1日から無職になってからもう半年か。早い、ね。

折りに触れ、こういうふうに過去を振り返るのもいいのかもしれない。

 

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[みことば]


テサロニケ人への手紙 第一 5:16-18
 いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 すべてのことにおいて感謝しなさい。
 これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 Always be joyful. Never stop praying. Be thankful in all circumstances, for this is God's will for you who belong to Christ Jesus.


[感想など]


 この箇所は昨年2021年の一年間の、私の個人的な年間通じてのテーマ聖句として選定した箇所である。
 もちろん今年も、来年も、その次も……、念頭に置いておきたい聖句である。
 頭でっかちかもしれない私は毎日聖書を読むことは読むし、そしていいこと書いてあるなとかとは思う。しかし、それを実践できるかどうか、と言われれば「はい」とはとても言えない。
 それこそ、【ルカ 8:13〜14】にあるように岩の上にまかれたみことば、ないしは、茨の中に落ちたみことばのごとく、根がないので、しばらくは信じていても試練のとき、すなわち何か他に気を取られることがあったり、この世での生活や快楽に興味がいってしまい、『身が熟さない』ままで終わってしまうような。そういう『信仰生活』にそれていっている危険性がある。


 そこで昨年2021年の年間テーマ聖句に戻って考えて。いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝
 現在(2022年3月上旬)、世界中が2〜3年前から蔓延る新型コロナウィルス(Covid-19)の脅威のもとにあり、またロシア・ウクライナの戦争危機が迫るなど、そう穏やかではないご時世である。その中にあって、日本では、少なくともP県という地ではというと、そう差し迫った危険もなく、平穏な日々を送れてはいる。それを評価するとして、100点満点ではないかもしれないが、70点は。
 ただ、昨日は教会の兄弟姉妹のなかにコロナウィルスの感染検査で陽性認定を受けられた方が複数おられたことを聞いた。無症状ないし極軽症だとはお聞きしている。それでも感染してしまった兄弟姉妹やその家族らは不安な日々をお過ごしだと思う。
 そんなときでも、そんなときだからこそ、喜び、祈り、感謝するその3つの『プロセス』は欠かしてはならないと思う。
 さて、今の自分はどんなことを喜び、何を祈り、何に感謝しますか、なんて質問されるかもしれない。なかなか瞬間には思い浮かんでこないものではあるが、それに対して、答えつまりは対象を設定しておかないと、喜び・祈り・感謝しようと思っても空回りしてしまうのだ。
 月並みかもしれないが。毎日しごとがあること(たとえ仕事にあまり満足していなくても、働ける立場は保障されてはいる)や、毎週の礼拝や、セルグループ、LINEなどを通して教会の兄弟姉妹などと交われることは喜びである。そして、同時にそれは感謝でもある。


 では、何に対して祈ってよいのか。為政者が仕掛けた戦争のせいで、窮地に陥らされているロシアやウクライナの難民の皆様のために祈るなぞというと一見グローバルというか。しかし、『対岸の火事』の鎮火を祈っているような感は拭えない。ただ、日本にも何らかの形で飛び火してくる可能性もまた否定できないだろう。いやもうそうなってしまっているのかもしれない。あと、それこそ万が一であろうとも今我々が暮らしている日本の国土も戦場となる可能性はあるのかもしれない。我々の教会の関係者の中にもウクライナ難民が居られるということも聞いた。だが、今日本のP県にいる私、少なくとも現時点では身や財産の安全と思想の自由が保障されていることは『感謝』である。
 世界平和を祈る、なんていうといかにも大儀なイメージがあるが。まずはコロナに感染した教会の兄弟姉妹の回復や安全を祈ること。そして、ある程度自分のプライベートのことも祈る。そう、まずは自分のプライベートのことを祈ることをスタートとしてもいいのかもしれない。「衣食足りて礼節を知る」なぞというのとは違うが、自分がある程度満たされないと他者への思いやりの心というのはなかなか生まれないものであるから。