さっき書いたブログの
「自分で決めるということ」
について続きが書きたくなったので
書くことにした。
先に言っておきます。
長いです!
1個前のブログに
「何をもって幸せとするかは
自分が決めてる。
自分で決めれる。」
と言った。
と、ゆーことは逆もしかりだよね。
何をもって不幸とするかも同じこと。
そんなことを知りもしなかった頃の
pyancocoはしこたま誰かのせいにしてきた。
その時の状況や育ってきた環境
果ては、親の自分に対する接し方(育て方)
にまで不満をもってそのせいでもあると、
一生懸命自分を被害者にしようとしてたなっ。
無意識だったんだけど、でも、潜在的には
被害者で居ることが自分を守ることだと思ってたから。
隠された依存心のなせる業なんだけどね。
人のせいに・・・ あるいは何かのせいにしているうちは
責任を負わなくてすむからね。
でも、もちろん、それは勘違いだったんだと気付くことと
なるんだけどね。
でも、ホント、解らない時は“被害者”と“加害者”
しかないと思ってた。
“無害者”とはあまり使わないコトバだけど
pyancocoの心理学の師匠“ぢゅんぢ”は
そんなコトバを教えてくれた。
「被害者でもなく、加害者でもない、無害者になりなさい」と。
被害者も加害者もどちらも辛くしんどい位置付け
であることには変わりがない。
でも、無害者はそうぢゃない。
人としての最大の幸せ「選択すること」が待ってるんだ。
被害者あるいは被害者意識というものは
「あなたのせいで私は不幸です」
「私はあなたのせいで幸せになれません」
「ですので、私はあなたを恨みます」
「恨んでいる間私はずっと幸せにはなれません」
「恨んでいる間私はずっと幸せになりません」
「さぁー、あなたがなんとかしてくださいましね」
と主張している姿勢。
これは、自分が幸せになれるはずの選択権を
相手に委ねてしまっていることなんだよね。
言ってみれば選択の自由を放棄しているという状態。
(もつたいない・・・
)
これは自分は責任を負わなくてよい。
その部分ではラクかもしれないけど
いわゆる(その人に)依存してる状態でもあるよね。
まぁー、時として人から同情をいただけるという
メリット?はあるかもしれませんね。
でも、だからこそ、ここで気付いてスッと切り替えることが
できればそりゃーラクなんだけど、いかんせん人の心は
“意識”の領域にはありません。
ですので理性でそうしよう!と必死で頑張ってもナカナカ
動かないってのがココロの常というものでしょう。
人はたいていココ(分岐点)でどれだけ踏ん張れるかで
転換させられることができるか、それとも自堕落な世界へ
流れるがままに身を委ねるのかで後々の人生も決まっていきます。
軌道修正は根本的なところからです。
寝グセだって、ハネてるところを一生懸命伸ばしてもなおらないでしょ?
付け根からやっちゃわないと。
話しそれたけど(笑)
なんしか、この時がイチバンの踏ん張りどころなのかも
一人でなんとかしなきゃと自立するココロと誰かに何とかして
欲しいという依存心が衝突し、葛藤している状態だもんね。
pyancocoももちろんありましたとも。
何度も何度も、日ごと、時間ごと、分ごと・・・
そりゃ~もうコロコロコロコロとブレまくりましたですよ
で、pyancocoの場合はどうやって抜けたかと申しますと
そんなこんなの、いろんな数々の問題を抱えながらも
改善のきざしもなくあいも変わらずどんどこどんどこ
少しづつ、また少しづつしんどい方向に進んでいっておりました。
そしてまた、大きな問題に差し掛かった時に
「もう、これ以上イヤだっ!」って思った。
漠然としたコトバですが、その時はホント、
これ以上何がイヤだったのか???
これ以上不幸が?
これ以上しんどい思いをし続けなければいけないことが?
これ以上自分のココロを偽って生きていくことが?
どれかなんて未だに分からないケド
プライドか何か分からないけど、なんか半ばヤケな感じで
捨て身っていうか・・・
あっ!
そう、
「やらず後悔だけはしないようにしたい!」
と思ったことだけは覚えてる。
そして、自分が大事だと思って守っていた概念を捨てた時に
全ての問題が同時に、一斉に解決されたのでした
なので、pyancocoが今まで必要で大事だと思っていた
自分の考えやプライドやこだわりってのは実は
自分をがんじがらめにしていた、間違った概念でしか
なかったのです。
そこを超えるときはホントに恥ずかしいことでしたぁ
だって、今まで言ってきたことややってきた態度とは
真逆のことを選択した。
いわゆる恥も外聞もないって状態でしょうか・・・
でも、それを超えたとき思い出したことがあったのです。
心理学のお勉強の中で依存タイプではなく自立タイプの人が
(自立タイプとなる理由:誰かをあてにしたのに全然助けてくれ
なかった。という「頼りにならなかった」という痛みを持つように
なり、自立心を強く持つようになる。「こんなに辛い思いをする
くらいならば、誰にも頼らずに生きていく」という風に。)
苦しい状況から抜ける時は総体的に恥をかく程の思いをする
ことがあると聞いたことがあった。
自立してきた人はプライドを持って自立してきたわけ。
例えば苦しかろうが、辛かろうがどんなときでも笑ってムリして
去勢を張って生きてきたっていう。
でも、そんな風に自立心の強い人がもう限界って時、
変わりたいと心底願った時、
抜け出せる道(答え)は今まで自分が避けて通ってきた道
自分が一番、ゼッタイにやりたくないと思ってきたことの中に
答えがあると言われているということ。
自分が「これが正解なんだ!」と信じて疑いもしなかったことが
覆されることだったりするということ。
心身ともに幸福感を持てない人のほとんどは
「私は○○だから幸せになれない」
という概念を持ってる。
例えば「私の親は私が自由恋愛の末に結婚することには反対なんです。
親はキチンとした学歴のある人と見合いをして家業を継いで養子に入っ
てくれる人との結婚しか許さないから、私には行く末その道しかないんです」
って言ってる人。
ホントにそうでしょうか??? とpyancocoはギモンに思うのデス。
pyancocoには「親に対する依存心から抜けられずにいます」と
聞こえるのです。
それは全てにおいてそうです。
「私は病気だからがんばれない・・・」
そうでしょう、そりゃそうでしょう。
でも、コッチもわかってますよ。
がんばりどころとそこがんばらないでいいってところ。
「薬を飲んでるから頭が回らなくて(自分の考えが)
よくわかりません・・・」
本当にそうなんでしょうか?
私は自分の気持ちを尋ねた時に「分からない」と
答える人は「分からない」のではなく「分かりたくない
んだな」と解釈させていただくことがございます。
「虐待を受けていたからそのトラウマから抜け出せない・・・」
もちろん、心底同情します。
ホントに抜け出せないのでしょうか?
ぢゃー、一緒に抜けられる策を考えてがんばろうよ。
こうして、これらの人たちはいつの間にか武器を持ち間違ってる
ことに気付かないまま過ごしてることがあります。
「病気」も「薬」も「過去の悲劇」も自分を守ってくれる道具には
なりません。
なので、とにかくまず“気付く”ということが大事。
でも、こういう状況の時がイチバン自分を客観視できない
時だったりもする。
だから、人に聞くの。
人に見てもらうの。
自分の周りの信頼できる人に。
そうゆう時でなくても、いつだって人から見る自分の方が
自分の自己評価より的確であることの方が多いからね。
そして、そのままを受け取るの。
そこでまた自分での判断を入れないの。
このての人は自分を陥れることが大の得意だったりする
こともあるからね。
ココロはね、全て逆説的なの。
被害者意識の下には加害者意識が隠れてるし
自立心のウラには依存心が隠れてる。
ドSは最大のドMである。
とか
過去の最大の悲劇は未来の最高の喜劇となる
とかね
pyancocoだって今はひとまず抜けたところにいるけど
今後、生きていく上で悩んで、辛くて、苦しいことが
またやってくるでしょう。
でも、あのまま、抜けていない状況のままで次の試練
を迎えるのと今その試練を受け止めるのでは全く違う
感覚で受け止めることとなるんだろうなと思う。
あのままだったらまたネガティブな考えに引っ張られ
ながらギリギリのところで彷徨う日々だっただろうと
なんとなく分かる。
でも、今は「かかってこい!」と受け止めて「乗り越えてやる!」
と前向きな姿勢で捉えられるような気がする。
それは、やっぱり人生において同じ方向を向いて
同じ速度で歩んでくれるパートナーという存在が
大きいと思う。
この人(おでぶちゃん改めサモンね![]()
)となら・・・って。
なんか、ぢゃっかんさぶいコトゆーてるのはヤマヤマやけど

でも、心強いのは確か。
心理学のお勉強中はやたらとパートナーシップがいかに大切か・・・
ということを何度も教わった。
でも、その時のpyancocoは、そないそないにまでパートナーシップ、
パートナーシップと言うてる意味がぜんぜんわからんかった。
一人でも幸せだと思える人もいくらだっている。
それも、もちろん事実。
でも、今なら解る。
その意味が。
今はうまく説明できないし、そうは思ってても毎日の生活の中で
相手にムカつくことやうんざりすることもあるんだけどね。
それでも、その存在のありがたさに感謝を覚える毎日です。
こんな想いがずっと続くよう努力しないとね。
って、
あっ、
みんな、冷めていくねんし・・・ とか 最初だけ・・・
とか思ってる人もたくさんいらっしゃるでしょう。
で、努力って・・・ なんか違う気がするとか思っちゃったり?
でもね、夫婦でも必要な努力ってのはあるんだよ。
何もなしぢゃ~、そりゃ冷めていく一方だでよぉ~。
だからって、うちもラブラブとはちと違う。
愛のカタチは変わっていくもの。
それでいいぢゃなぃかぁ~。
なので、このパートナーシップから得られる幸福感ってのは
自立的な人ほど感じられるもんぢゃないかなぁ~と思うので
自立的な人必見!!
てか、pyancocoの周りはほとんどが(ほぼ全員?)自立オンナ♀
ばっかりやったわぁー
とにもかくにも人生自分しだい。
軌道修正ができれば
人生捨てたもんぢゃないね