【1. イチイガシの分布と生育環境】
国内では本州(千葉県以西の太平洋側、島根・山口県)・四国・九州(対馬を含む)に分布する(茨城県筑波山神社裏に自生するという情報もある)。分布域は黒潮(暖流)の影響を受ける温暖多雨な地域である。イチイガシと同様の分布パターンの植物は多く、ヤマモモ・オガタマノキ・バリバリノキ・バクチノキ・タイミンタチバナ・ホルトノキ・ハマボウ・イヌマキなどがある(植物地理区:ソハヤキ要素、ハマオモト線)。寒冷期には房総・伊豆・御前崎・紀伊・四国南部・九州南部などにレフュジア(寒冷期に暖地性の生物が退避する場所)があったと思われる。これらの場所から分布を拡大させ、現在の分布になったのかもしれない。
生育環境は沖積低地や山麓の谷沿いで、土壌が深く湿潤な場所を好む。本州に分布するカシ類としては最も生育標高が低く、暖地性である。宮崎県・綾の照葉樹林では、標高約450mまでイチイガシが生育する。
イチイガシ林は紀伊半島・四国・九州には広く山麓地に分布する。東海地方以東では分布が少なくなり、静岡県がイチイガシ群集(ルリミノキ-イチイガシ群集)の東限となる。関東南部では優占種にはならない。東海~関東では、房総半島南部を除いて殆どが社寺林である。
【2. イチイガシと神道・仏教との関係】
神道は日本において独自に育まれてきた宗教であり、神社には日本古来の神様が祀られている。仏教はインドから中国を経由して日本に伝わった宗教で、寺院には仏様が祀られている。日本に仏教が伝わったのは538年または552年であるが、100年ほど経つと神様と仏様は一緒であるという神仏習合という考えが生まれる。神仏習合の時代は約1200年続いたが、明治初年(1868年)の神仏分離令(神仏判然令)により、神道(神社)と仏教(寺院)に分離された。
イチイガシは関東以西の神社で神木にされることが多い。寺院にも少数あるが、樹齢から考えて神仏習合の時代に植えられたものか自生個体と思われる。神仏分離令以降に寺院に植えられたと考えられるものは筆者は見たことがない。そのため、イチイガシは神道とは関係するが、仏教とは直接的な関係はないと思われる。
写真1:埼玉県鳩山町・高野倉八幡神社のイチイガシ(町指定天然記念物)。樹高約20m・樹齢400年とも600年ともいわれるイチイガシが1本生育している。当地の個体は、DNAが愛知~宮崎県のイチイガシと一致するという研究データがあり、西南日本から移入・植栽された可能性がある。イチイガシの自生北限より北に位置する神社に植栽されていることから、イチイガシと神道との結びつきを感じさせる場所である。
写真2:埼玉県熊谷市・徳蔵寺のイチイガシ(市指定天然記念物)。徳蔵寺は大雷神社に隣接しており、大雷神社にもイチイガシの若木が1本見られる。徳蔵寺のイチイガシは推定樹齢200年で、江戸時代後期から生育していたと伝わる。神仏習合の時代に神木として植栽され、明治時代の神仏分離令以降に現在のようになったと考えられる。
写真3:京都府・鹿苑寺(金閣寺)のイチイガシ。寺院にイチイガシがある場所は少ない。当地のイチイガシは、現在の境内が再建・整備された江戸時代初期(神仏習合時代)に植えられたか、自然植生の残存木と考えられている。
【3. イチイガシは何故、神木にされるのか?】
イチイガシが神木にされる理由は不明だが、筆者は以下のように推測している。
①巨樹崇拝
日本では、山・岩・巨木などに神が宿るとされてきた。イチイガシは幹が真っ直ぐに伸び、樹高30m・胸高直径2mほどの巨樹になる。カシ類としては最も長寿で、樹齢1000年に達するものもある(樹齢は幹径100cmで400年以上といわれる)。巨樹に育つことが、神道の巨樹崇拝に結びついているのかもしれない。
写真4:注連縄が巻かれたイチイガシの御神木(静岡県伊豆市・日枝神社)
②豊穣のシンボル
イチイガシ林が発達する場所は非常に肥沃な土地で、作物の栽培に適した場所である(今日、イチイガシの天然林が少ないのはこのためといわれる)。豊穣の意味を込めて神木にされているのかもしれない。
写真5:静岡県伊豆市・大宮神社のイチイガシ。境内には多種多様な樹種が繁茂しているが、イチイガシにだけ注連縄が巻かれている。
③和名の由来
カシは神が降臨する樹木として信仰された。カシ類の中でもイチイガシは特に神聖視されたようで、和名は神聖な木を意味する厳白檮(いつかし)・厳樫(いつかし)・斎樫(いちがし)が訛ったものという説がある。このことが、神木にされる理由かもしれない。
古事記の雄略紀に、「御諸(みもろ)の 厳白檮(いつかし)がもと 白檮(かし)がもと ゆゆしきかも 白檮原童女(かしはらおとめ)」という歌謡が載っている。「御諸山(奈良県桜井市・三輪山)の神聖な樫の木の下、樫の木の下は、侵してはならない場所。それみたいに、触れるのも憚られるよ、橿原の乙女は」という意味である。
イチイガシは「一位樫」と表記されることもあるが、古い文献には見当たらないため、根拠のない当て字の可能性がある。
④イチイの代用
神官が持つ笏は、イチイ(イチイ科)の材から作られる。また、イチイの枝葉は北海道ではサカキの代用として神前に供える玉串として用いられる。イチイガシはイチイの代用として神を祀る樹木として植栽されているのかもしれない。
⑤堅果を非常食として利用
イチイガシの堅果は生食可能で、かつては救荒食であった。堅果を救荒食として利用することも兼ねて、植栽されたのかもしれない。スダジイも同様と思われる。
【4. 鎮守の森として保護されてきたイチイガシ林】
鎮守の森(社叢・社寺林)とは、神社・寺院を取り巻く森のことである(但し、神社・寺院の周囲に必ず森があるというわけではない)。前述のように、神道(神社)と仏教(寺院)は、明治初年(1868年)の神仏分離令まで約1200年もの間、神仏習合であったため、神社の森と寺院の森を明確に区別することはできない。
神社の森、いわゆる鎮守の森は神宿る森として崇められ、「不入(いらず)の森・禁足地」とされてきた。神域の木を伐ると祟りがあるという言い伝えもあり、多くの森が伐採を免れてきた(但し、江戸時代には社寺林といえども伐採・利用されており、古代から全く手つかずの森だったわけではない)。そのため、静岡県以西の社叢には潜在自然植生のイチイガシ林の断片と思われる場所もある。イチイガシ林が残る社叢は低地の川沿い・山麓の谷沿いにあることが多く、前述のイチイガシの生育環境に合致する。
寺院にイチイガシが生育する場所もあるが、仏教徒が守る5つの戒めである五用心(五戒)のひとつに「生命あるものを殊更に殺さざるべし」とあるため、樹木の伐採が禁じられて自生のイチイガシが残されたことが考えられる。また、明治時代までは神仏習合であったことから、神社と同様の理由で保護されてきたとも考えられる。
写真6:静岡県函南町・長源寺のイチイガシ。成木2本と若木が多数生育している。来光川沿いに位置しており、成木から離れた場所でも若木が多数見られたため自生と思われる。境内はツブラジイが優占で、アラカシ・イチイガシ・クスノキ・カゴノキ・オガタマノキ・ヒメユズリハ・カヤなどが見られる。将来はイチイガシの優占林になりそうである。同じく来光川沿いに位置する近隣の桑原熊野神社、春日神社にもイチイガシが見られ、かつてはこれらのイチイガシが林を構成していたことが想像できる。
写真7:静岡県藤枝市・子持坂熊野神社の社叢。イチイガシが計6本(成木5本・若木1本)生育し、アラカシ・タブノキ・クスノキ・カゴノキ・エノキ・モチノキ・クロガネモチ・イヌマキなどが混生している。朝比奈川沿いに鎮座する小さな神社であるが、イチイガシ林の断片が残っており、鎮守の森の存在意義は大きいと感じた。近隣の子持坂浅間神社にもイチイガシが2本あり、かつては連続した林を形成していたものと思われる。
【5. イチイガシは何故、社寺林以外では殆ど見られないのか?】
静岡県以西の縄文遺跡からはイチイガシが多数産出しており、関東でも弥生時代以降の遺跡で産出している(イチイガシ利用文化圏)。かつては現在よりも広域にイチイガシが分布していたと思われるが、何故今日では局所的な分布になっているのだろうか?
イチイガシは本州のカシ類の中では最も暖地性であるため、分布の北東限にあたる関東~東海では低地にしか分布がなかったと思われる。また、イチイガシ林が発達する場所は非常に肥沃な土地で、作物の栽培に適した場所である。西日本ではイチイガシ林が土壌の良いところを見極める目印のひとつになったといわれる。人間の生活圏と重なった上に、作物の栽培に適した場所であったため、イチイガシ林は弥生時代以降に水田や農地に開発されて激減したと思われる。また、弥生~古墳時代には材が鋤鍬に利用されたことも、減少に拍車を掛けたのかもしれない。
また、イチイガシは成木では殆ど萌芽せず、萌芽したとしても枯死することが多いといわれている。実際、イチイガシは多くが幹立ちで、萌芽個体を見ることは殆どない。イチイガシと同様に東海以西の低地で優占するアラカシは、萌芽力旺盛で株立ちの個体も多く、二次林でも多く見られる。イチイガシが社寺林以外(撹乱地)で殆ど見られないのは、萌芽力が弱いことに起因し、伐採などの撹乱が起こる場所では株を存続させることができないのかもしれない。
写真8:東京都・多摩森林科学園の釣舟草通りに生えるイチイガシ。谷沿いの斜面に生育している。イチイガシとしては珍しく、萌芽幹になっている。この個体はおそらく、若木の頃に切られてこのような樹形になったものと思われる。多摩森林科学園は、1921年(大正10年)2月に宮内省帝室林野管理局林業試験場として発足した。園内の森林は江戸時代には幕府直轄地であり、明治以降には御料林として公的に管理・保護されてきたため、イチイガシが残ったものと思われる。
【6. ルーミスシジミとイチイガシ】
ルーミスシジミ(シジミチョウ科)は、幼虫が主にイチイガシの葉を食べる。国内では本州(房総半島、紀伊半島、隠岐・島根・山口県)・四国・九州・屋久島に極めて局所的に分布し、環境省レッドリストでは絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されている。原生照葉樹林の深い渓谷沿いに生息し、1877年に千葉県君津市鹿野山でヘンリー・ルーミスによって発見された。イチイガシが分布する房総半島の清澄山~元清澄山周辺に飛び地のように分布するのが興味深い。この地域には東京大学千葉演習林があり、モミ・ツガ・スダジイ・アカガシ・ウラジロガシなどが優占する原生的な林が残る場所である。しかし、房総半島のイチイガシはあまりにも個体数が少ないため、ウラジロガシなどの葉も利用していると思われる。奈良県春日山の個体群は1932年に国指定天然記念物になったが、マツクイムシ防除の薬剤の空中散布によって数年後には絶滅している。
<参考資料・サイト>
・宮崎県教育委員会 宮崎県文化財調査報告書 第28集 「綾のイチイガシ調査」 1985年
・百原新 弥生時代終末から古墳時代初頭の房総半島中部に分布したイチイガシ林 千葉大園学報 1997年
・山本尚幸 週刊 日本の樹木 14 シイ・カシ2 綾渓谷 太古の照葉樹林 学習研究者 2004年
・広葉樹の活用による多様で活力ある森林育成に関する調査研究 -列状択伐したイチイガシ人工林下の稚幼樹の成長- 大分県林業試験場年報No.46 2004年
・岐阜県博物館 緑いきいき!岐阜の森 その多様な世界 岐阜新聞社 2006年
・杉浦奈実・齊藤陽子・湯定欽・井出雄二 葉緑体DNAシーケンスによるイチイガシの遺伝構造 第124回日本森林学会大会 2013年
・伊藤哲 林の再生能力を生かす 樹木の萌芽性から里山管理を考える エコロジー講座7 里山のこれまでとこれから 日本生態学会 2014年
・能城修一 遺跡出土木材から知る日本人と樹木とのつながり 季刊森林総研No.34 2016年
・渡辺弘之 神仏の森は消えるのか -社叢学の新展開- ナカニシヤ出版 2019年7月
・長崎県森林ボランティア支援センター 長崎もり通信 067号 2020年11月
・能城修一 先史時代の西日本におけるイチイガシ林とイチイガシ利用 森林総合研究所関西支所 2021年(You Tube動画もあり)
・みやこ町文化遺産活用実行委員会 お宝 みやこ町歴史たんけんマップ 「自然遺産樹木」編 「木井神社のイチイガシ」 2021年
・地球の歩き方編集室 40 御朱印でめぐる関東の寺社 聖地編 週末開運さんぽ 地球の歩き方 2024年







