2023年1月18日投稿

2023年12月29日改訂

 

イチイガシは何故、社寺林でしか見られないのか色々考えてみました(以下は全て私の推測です)。

 

【イチイガシの分布と生育環境】

 国内では本州(千葉県以西の太平洋側、島根・山口県)・四国・九州(対馬を含む)に分布する(茨城県筑波山神社裏に自生するという情報もある)。分布域は黒潮(暖流)の影響を受ける温暖多雨な地域である。イチイガシと同様の分布パターンの植物は多く、ヤマモモ・オガタマノキ・バリバリノキ・バクチノキ・タイミンタチバナ・ホルトノキ・ハマボウ・イヌマキなどがある(植物地理区:ソハヤキ要素、ハマオモト線)。寒冷期には房総・伊豆・御前崎・紀伊・四国南部・九州南部などにレフュジア(寒冷期に暖地性の生物が退避する場所)があったと思われる。これらの場所から分布を拡大させ、現在の分布になったのかもしれない。

 生育環境は沖積低地や山麓の谷沿いで、土壌が深く湿潤な場所を好む。本州に分布するカシ類としては最も生育標高が低く、暖地性である。宮崎県・綾の照葉樹林では、標高約450mまでイチイガシが生育する。

 イチイガシ林は紀伊半島・四国・九州には広く山麓地に分布する。東海地方以東では分布が少なくなり、静岡県がイチイガシ群集(ルリミノキ-イチイガシ群集)の東限となる。関東南部では優占種にはならない。東海~関東では、房総半島南部を除いて殆どが社寺林である。

葉裏。黄褐色の毛で覆われており、遠目でも目立つ。

樹皮。灰褐色で、成長するにつれて剥がれ落ちる。

 

【イチイガシは何故、神木にされるのか?】

 イチイガシは関東以西の神社で神木にされることが多い。寺院にも分布するが、意図的に植栽されたと思われる場所は少ない。そのため、イチイガシは神道とは関係するが、仏教とは直接的な関係はないと思われる。イチイガシが神木にされる理由は不明だが、筆者は以下のように推測している。

①巨樹崇拝  

 日本では、山・岩・巨木などに神が宿るとされてきた。イチイガシは幹が真っ直ぐに伸び、樹高30m・胸高直径2mほどの巨樹になる。カシ類としては最も長寿で、樹齢1000年に達するものもある(樹齢は幹径100cmで400年以上といわれる)。巨樹に育つことが、神道の巨樹崇拝に結びついているのかもしれない。

注連縄が巻かれたイチイガシの御神木(静岡県伊豆市・日枝神社)

②豊穣のシンボル

 イチイガシ林が発達する場所は非常に肥沃な土地で、作物の栽培に適した場所である(今日、イチイガシの天然林が少ないのはこのためといわれる)。豊穣の意味を込めて神木にされているのかもしれない。

静岡県伊豆市・大宮神社のイチイガシ。境内には多種多様な樹種が繁茂しているが、イチイガシにだけ注連縄が巻かれている。

③和名の由来

 カシは神が降臨する樹木として信仰された。イチイガシは特に神聖視されたようで、和名は神聖な木を意味する斎樫(いちがし)が訛ったものという説がある。このことが、神木とされる理由かもしれない。

④堅果を非常食として利用

 イチイガシの堅果は生食可能で、かつては救荒食であった。堅果を救荒食として利用することも兼ねて、植栽されたのかもしれない。スダジイも同様と思われる。

堅果は11~12月に熟す。西南日本の縄文遺跡からはイチイガシの堅果が多数出土している。

 

【鎮守の森として保護されてきたイチイガシ林】

 鎮守の森は神宿る森として崇められ、多くの森が伐採を免れてきた(但し、江戸時代には社寺林といえども伐採・利用されており、古代から全く手つかずの森だったわけではない)。そのため、静岡県以西の社叢には潜在自然植生のイチイガシ林の断片と思われる場所もある。イチイガシ林が残る社叢は低地の川沿い・山麓の谷沿いにあることが多く、前述のイチイガシの生育環境に合致する。

 寺院にイチイガシが生育する場所もあるが、明治時代までは神仏習合であったことから、神社と同様の理由で保護されてきたものと思われる。

静岡県藤枝市・子持坂熊野神社の社叢。イチイガシが計6本(成木5本・若木1本)生育し、アラカシ・タブノキ・クスノキ・カゴノキ・エノキ・モチノキ・クロガネモチ・イヌマキなどが混生する。朝比奈川沿いに鎮座する小さな神社であるが、イチイガシ林の断片が残っており、鎮守の森の存在意義は大きいと感じた。近隣の子持坂浅間神社にもイチイガシ成木が2本生育している。

 

【イチイガシは何故、社寺林以外では殆ど見られないのか?】

 静岡県以西の縄文遺跡からはイチイガシが多数産出しており、関東でも弥生時代以降の遺跡で産出している(イチイガシ利用文化圏)。かつては現在よりも広域にイチイガシが分布していたと思われるが、何故今日では局所的な分布になっているのだろうか?

 イチイガシは本州のカシ類の中では最も暖地性であるため、分布の北東限にあたる関東~東海では低地にしか分布がなかったと思われる。人間の生活圏と重なったため、弥生時代以降に生育環境が水田や農地に開発されて激減したと思われる。また、弥生~古墳時代には材が鋤鍬に利用されたことも、減少の一因かもしれない。

 また、イチイガシと同様に東海以西の低地で優占するカシはアラカシである。アラカシは萌芽力旺盛で株立ちの個体も多く、二次林でも多く見られる。しかし、イチイガシの多くは幹立ちで、萌芽個体を見ることは殆どない。イチイガシが社寺林以外(撹乱地)で殆ど見られないのは、イチイガシがあまり萌芽しないことに起因し、伐採などの撹乱が起こる場所では株を存続させることができないのかもしれない。

 

【ルーミスシジミとイチイガシ】

 ルーミスシジミ(シジミチョウ科)は、幼虫が主にイチイガシの葉を食べる。国内では本州(房総半島、紀伊半島・中国地方)・四国・九州・隠岐・屋久島に極めて局所的に分布し、環境省レッドリストでは絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されている。原生照葉樹林の深い渓谷沿いに生息し、1877年に千葉県君津市鹿野山でヘンリー・ルーミスによって発見された。イチイガシが分布する房総半島の清澄山~元清澄山周辺に飛び地のように分布するのが興味深い。しかし、房総半島のイチイガシはあまりにも個体数が少ないため、アラカシ・アカガシ・ウラジロガシなどの葉も利用していると思われる。奈良県春日山の個体群は1932年に国指定天然記念物になったが、マツクイムシ防除の薬剤の空中散布によって数年後には絶滅している。

 

【関東・静岡県の主なイチイガシ生育地点】 

〈備考〉

下線:自生と思われる場所

・千葉県長南町:笠森寺自然林(社叢は国指定天然記念物)

谷底にイチイガシが1本生育している。分布の北東限だが、後継樹が育っていたとしても自家受粉(近交弱勢)になる。スダジイ・ウラジロガシ・スギが優占し、アラカシ・シラカシ・ツクバネガシ・イチイガシなどが混生している。

 

・埼玉県熊谷市:徳蔵寺(市指定天然記念物)

大木1本・若木1本の計2本が生育。市指定天然記念物の大木は樹高約20m・幹回り2.6m・推定樹齢200年で、江戸時代後期から生育と伝わる。徳蔵寺は大雷神社に隣接しており、イチイガシも神仏習合の頃に植栽されたと思われる。

 

・埼玉県鳩山町:高野倉八幡神社(町指定天然記念物)

樹高約20m・樹齢400年とも600年ともいわれる巨樹が1本生育。当地の個体は、DNAが愛知~宮崎県のイチイガシと一致するという研究データがあり、西南日本から移入・植栽された可能性がある。

 

・東京都八王子市:多摩森林科学園

園内には3本のイチイガシが生育しており、写真は彼岸通りの谷底に生育している個体である。現地の説明板では植栽起源と考えられると書かれているが、八王子市動植物目録をはじめとする幾つかの文献では自生と記載されている。高尾山でも記録がある。社寺以外でイチイガシが生育する珍しい場所である。

 

・神奈川県松田町:寒田神社

かながわの名木100選に選定されたイチイガシ「寒田神社のカシ」が1本生育。昭和59年(1984年)の指定時には、樹高30m・胸高周囲3.0m・推定樹齢約500年とされている。沖積低地に位置するため、自生の可能性も否定できない。

 

・静岡県伊東市:八幡宮来宮神社(社叢は国指定天然記念物)

イチイガシは7本生育し、鎮座する地は谷の地形で湿潤な環境である。境内はスギが多いが、野生状の樹種はアラカシ・イチイガシ・ウラジロガシ・スダジイ・タブノキ・クスノキ・シロダモ・ヤブニッケイ・バクチノキ・ヤブツバキ・ヒサカキ・ハゼノキ・ミミズバイ・イヌマキなどがある。

 

・静岡県函南町:長源寺

イチイガシは成木2本と若木が多数生育。成木から離れた場所でも若木が多数見られたため、自生の可能性がある。境内はツブラジイが優占で、アラカシ・イチイガシ・クスノキ・カゴノキ・ヒメユズリハ・カヤなどが見られる。

 

・静岡県伊豆の国市:日枝神社

本殿右手に、注連縄が巻かれたイチイガシが1本生育。神木として植栽されたものと思われる。1995年に旧伊豆長岡町の保存樹木に指定されており、樹高26m・幹径1m以上の巨樹である。

 

・静岡県伊豆市:大宮神社(社叢は市指定天然記念物)

イチイガシ成木が3本あり、若木も多数生育している。境内はスダジイが優占種で、シラカシ・アラカシ・イチイガシ・ウラジロガシ・タブノキ・モチノキ・ヤブニッケイ・ヒイラギ・ヒサカキ・イヌマキなどが見られる。

 

・静岡県伊豆市:日枝神社(県指定天然記念物)

天然記念物の巨樹は、根廻り5.5m・目通り4.5m・樹高25m・樹齢300年以上。イチイガシは社務所裏と境内東側の坂にも1本ずつあり、計3本生育している。

 

・静岡県静岡市葵区:羽高津嶋神社

参道沿いに2本のイチイガシがある。うち1本は「静岡市の巨木」に掲載されており、樹高25m・目通り4.5mもの巨樹である。静岡県内のイチイガシとしてはトップクラスの大きさである。

 

・静岡県静岡市葵区:安東熊野神社

成木5本と稚樹が生育している。境内はクスノキ・イヌマキが優占で、ケヤキ・エノキ・アラカシ・イチイガシ・スダジイ・タブノキ・クロガネモチ・ナギなどが見られる。下層植生が殆ど刈られていて乾燥しているが、安倍川の沖積低地に位置しており、自生の可能性がある。

 

・静岡県焼津市:林叟院

道路の南東側斜面に比較的若いイチイガシが2,3本生育。谷の地形になっており、植栽とは考えにくい斜面に生育しているため、自生の可能性がある。他にはアラカシ・クスノキ・ヤブニッケイ・カゴノキ・ホルトノキ・イヌマキなどが見られる。

 

・静岡県藤枝市:青山八幡宮

葉梨川沿いの丘に鎮座する神社で、イチイガシが優占林を形成している。東限域では最大規模のイチイガシ林と思われる。イチイガシが優占種・ツブラジイが第二優占種となり、アラカシ・タブノキ・カゴノキ・ヤブニッケイ・バクチノキ・ミミズバイ・ヤマモガシ・ヒメユズリハ・カクレミノ・ヤブツバキ・ヒサカキ・サカキ・イヌマキなどが見られる。植林されたスギ・ヒノキも多い。明確な階層構造が見られ、湿潤な環境である。天然記念物には指定されていないが、それ相当の価値があると筆者は思う。

 

・静岡県掛川市:事任八幡宮

逆川沿いの丘に鎮座する神社で、青山八幡宮と似たような立地である。イチイガシは成木8本と若木が多数見られる。スダジイが優占種・イチイガシが第二優占種となり、アラカシ・ウラジロガシ・クリ・タブノキ・クスノキ・カゴノキ・ヤブニッケイ?・ミミズバイ・ヤブツバキ・ヒサカキ・サカキ・タラヨウ・ナナミノキ・ヒイラギ・ケヤキ・エノキ・シュロ・イチョウ・スギ・ヒノキ・カヤ・ナギなどが見られる。

 

・静岡県掛川市:尾崎宮 雨櫻神社(上社)

スギ・ヒノキが多いが、自生と思われる樹種はシラカシ・アラカシ・イチイガシ・スダジイなどがある。イチイガシは川沿いに4本生育しており、川岸の丘・急傾斜地に3本がまとまって見られる。掛川市の保存樹林に指定されている。

 

【関連記事】

 

 

 

<参考資料・サイト>

・宮崎県教育委員会 宮崎県文化財調査報告書 第28集 「綾のイチイガシ調査」 1985年

・百原新 弥生時代終末から古墳時代初頭の房総半島中部に分布したイチイガシ林 千葉大園学報 1997年

・山本尚幸 週刊 日本の樹木 14 シイ・カシ2 綾渓谷 太古の照葉樹林 学習研究者 2004年

・岐阜県博物館 緑いきいき!岐阜の森 その多様な世界 岐阜新聞社 2006年

・杉浦奈実・齊藤陽子・湯定欽・井出雄二 葉緑体DNAシーケンスによるイチイガシの遺伝構造 第124回日本森林学会大会 2013年

・能城修一 遺跡出土木材から知る日本人と樹木とのつながり 季刊森林総研No.34 2016年

・能城修一 先史時代の西日本におけるイチイガシ林とイチイガシ利用 森林総合研究所関西支所 2021年(You Tube動画もあり)

・みやこ町文化遺産活用実行委員会 お宝 みやこ町歴史たんけんマップ 「自然遺産樹木」編 「木井神社のイチイガシ」 2021年

みやざき森林環境教育 イチイガシ

森林総合研究所 弥生人も知っていたイチイガシの有用性

福岡県みやこ町 木井神社のイチイガシ

植物社会学ルルベデータベース イチイガシの分布図