私はヒトツバタゴやフモトミズナラに関心を持ったことから、東海丘陵要素植物に興味を持ちました。
【東海丘陵要素植物とは?】
伊勢湾周辺域(静岡県西部・長野県南部・愛知県・岐阜県南部・三重県)では、照葉樹林帯(標高100~600 m)に特異な分布をもつ植物が集中して見られる。伊勢湾周辺の丘陵地・台地の湧水湿地や痩せた土地に生育する東海地方固有、あるいは日本での分布の中心がある植物を東海丘陵要素植物という。15種類の植物が東海丘陵要素植物として扱われているが、その多くは絶滅危惧種に指定されている。
表1:東海丘陵要素植物一覧(分類はAPGⅢ版)
【東海丘陵要素植物の生育環境】
東海地方には 500 万年前から 120 万年前(恵那山が出来る前)、東海湖と呼ばれる巨大な湖があった。東海湖へ流れ込む河川の土砂が湖岸に堆積して東海丘陵地ができた。
東海丘陵地は、土壌が発達していない栄養分に乏しい砂礫層や崩れやすい地盤の土地になっている。また、丘陵には小規模で貧栄養な湿地が存在し、湧水は比較的低温で栄養分の少ない水質である。痩せ地や湧水湿地は植物が育ちにくい環境であり、このような厳しい環境に適応した種や、他の植物があまり侵入せず競合を免れて残存した種が現在も生き延びている。
湧水湿地は一般的に存続期間が短いとされるが、東海地方には湧水湿地が高密度に存在するため、東海丘陵要素植物は湿地間を渡り歩きながら命脈を保ち、独自の進化を遂げてきたと考えられている。
愛知県田原市黒河湿地。シデコブシ自生地として県指定天然記念物となっている。
【東海丘陵要素植物の起源】
東海丘陵要素植物の起源は単一ではなく、以下のように様々である。
表2:東海丘陵要素植物の分布と起源
A:氷河期に低地に下りてきた植物が、温暖化の際に低地で生き残れるように適応した。
・フモトミズナラ(ミズナラ→フモトミズナラ)
・ミカワバイケイソウ(コバイケイソウ→ミカワバイケイソウ)
B:湿地環境に適応して母種から分化した。
・シデコブシ(コブシ→シデコブシ)
・ミカワシオガマ(シオガマギク→ミカワシオガマ)
C:ゴンドワナ要素
古生代~中生代に存在したゴンドワナ大陸に起源をもつ熱帯・亜熱帯性の植物が、東海地方で生き残った。
・ヒメミミカキグサ
・ナガバノイシモチソウ
D:第三紀周北極要素
第三紀の暁新世~始新世に北半球に広く分布していた植物が、後の地球寒冷化や乾燥などにより大半が絶滅したが、一部が東海地方をレフュジアとして残った。
・ハナノキ
E:満鮮要素(中国大陸要素)
日本が中国大陸と繋がっていた時に、中国大陸の植物が日本にも分布していた。後に海によって分断された際に、東海地方で生き残った。
・マメナシ
・ウンヌケ
・フモトミズナラ?
F:雑種起源
・トウカイコモウセンゴケ(モウセンゴケとコモウセンゴケとの雑種)
G:その他
・シラタマホシクサ
・ナガボナツハゼ
・ヘビノボラズ
・クロミノニシゴリ
シデコブシ。3~4月に白色から濃紅色の花を咲かせる。準絶滅危惧(NT)。
ハナノキ。雌雄異株で、3~4月に暗紅色の花を咲かせる(写真は雄花)。絶滅危惧Ⅱ類(VU)。
マメナシ。3~4月に白色の花をつける。絶滅危惧ⅠB類(EN)。
ヒトツバタゴ。雌雄異株で、4~5月に白い花を多数つけ、雪を被ったような姿になる。絶滅危惧Ⅱ類(VU)。
フモトミズナラ。8~9月に堅果(どんぐり)が熟す。2006年に命名され、従来は「モンゴリナラ」、「ミズナラ類似植物」などと呼ばれていた。
サクラバハンノキ。東海丘陵要素には含まれていないが、やや隔離的に分布し、東海地方の砂礫層地帯のやや貧栄養な立地に生育する特性がある。シデコブシと同所的に生育し、愛知県の湧水湿地では普通に見られるが、全国的には希少な樹種である。日本(本州、宮崎県)、中国大陸南東部に分布する。準絶滅危惧(NT)。
【遺存種・隔離分布・レフュジア】
かつて広範囲に連続的に分布していた種が、地理や気候の変化に伴って分布を縮小し、現在では限られた地域でしか見られなくなったものを遺存種という。
ある種の分布域が、相互の移住や遺伝子交流が不可能なほどに十分離れていることを隔離分布という。偶発的な長距離分散に起因する場合もあるが、多くは以前の連続的な分布域が、地形や気候の変化で分断されたことで生じたとみなされる。
また、氷河期など多くの生物が絶滅するような環境下で一部の生物が逃げ込み、局所的に生き残った場所のことをレフュジアという。東海丘陵要素植物には、東海地方をレフュジアとして生き残った植物もある。
【湧水湿地の減少】
東海丘陵要素植物の多くが絶滅危惧種とされているのには、湧水湿地の減少が大きく関わっている。湧水湿地が減少した理由は主に以下の2つである。
1つ目は、土地改変による湿地の消失である。湧水湿地の主要な分布域は、大都市である名古屋市周縁部と重なっている。そのため、湧水湿地は宅地造成や農地、道路整備などの開発行為によって減少の一途を辿っている。
2つ目は、里山の放置である。湧水湿地周辺の林は、かつては薪炭林や農用林として利用され、里山の一部として湧水湿地は存続してきた。しかし、燃料革命や化学肥料の普及が進むと、里山は放置され、植生の遷移が進んだ。つまり、人の利用によって森林の遷移が阻害され、攪乱頻度の高い場所で湧水湿地は維持されてきたのである。しかし、森林が発達するようになると、土壌の安定や周囲からの被陰によって、湧水湿地は消滅していった。森林発達に伴う蒸発散量の増加が、湧水量を減少させているという見方もある。湧水湿地を維持するには、日照と地下水量を維持し、適度な攪乱を与え続ける必要がある。
シラタマホシクサが群生する愛知県森林公園の湿地。
シラタマホシクサ。秋に金平糖のような花を咲かせ、金平糖草とも呼ばれる。絶滅危惧Ⅱ類(VU)。
【遺伝的多様性】
生物種の中で、集団や個体が示す遺伝的な違いを遺伝的多様性という。遺伝的多様性が低くなると、その種または集団は急激な環境変化に対応できず滅びてしまう可能性がある。しかし、十分な遺伝的多様性が確保されていれば、環境変化に適応した遺伝子型を持った個体が生き残れる。
【遺伝的地域性・遺伝的攪乱】
樹木は同一種でも地理的に遺伝的な違いが生じており、これを遺伝的地域性という。樹木集団は長期的な気候変動に対応して、その分布域を変遷させながら個々の環境に適応して生き残ってきたためである。
長い歴史で形成されたある種の遺伝構造や遺伝的多様性が、人為的に持ち込まれた個体との交雑によって乱されることを遺伝的攪乱という。自然が長い時間をかけて築き上げた遺伝構造を人為的に攪乱すると集団や種の衰退につながることがある。血縁的に遠い個体間(または集団間)の交配により弱勢が生じ、集団の適応度が低下すること遠交弱勢という。
【近交弱勢・絶滅の渦】
血縁関係のある個体間の交配によって生まれた子供の生存力や繁殖力が低下することを近交弱勢という。
生育地の開発や分断化が起こると、個体群の大きさが小さくなり、遺伝的多様性も低下する。また、近親交配が多くなり、近交弱勢が起きやすくなる。個体数を減らす様々な要因が重なり合って個体数がどんどん減っていき、最終的に絶滅に向かうことを絶滅の渦という。
<参考文献>
・広木詔三 里山の生態学 名古屋大学出版会 2002年
・生物多様性2050なごや戦略 第2章 名古屋市 2010年3月
・生物多様性おかざき戦略 第2章 岡崎市 2012年1月
・清水善和 日本列島における森林の成立過程と植生帯のとらえ方:東アジアの視点から 地域学研究 第27号 2014年
・第三次中津川市環境基本計画 第3章 中津川市 2016年3月
・日本湿地学会 図説 日本の湿地 ―人と自然と多様な水辺― 朝倉書店 2017年
・柴田規夫 植物なんでも事典 文一総合出版 2019年
・7 旭地区の植物-豊田市
・広葉樹の種苗の移動に関する遺伝的ガイドライン 森林総合研究所 2011年
2022年4月3日更新