天皇杯準決勝ガンバ大阪戦を私は仕事で見ることすらできなくて、結果も知らずに仕事をしていました。
ひと息ついたところで突然上司にサンフレが負けたことを知らされました。
負けたことも、不意に結果を言われてしまったこともショックではあったけど、何より山岸智のことが浮かんできて涙が止まりませんでした。
今日も行けないし見れないけど、決勝は行く。
そう決めていた。
元日、味の素スタジアムで、ギシさんとの最後の試合を共に闘うつもりだった。
それが絶たれた。
実は今もまだ、準決勝を見ていない。
時間がないのもあるけど、ギシさんとの関係が絶たれる気がして、なかなか見る気になれない。
ギシさんに最後に天皇杯を掲げてもらいたかった。
ギシさんと1日でも長く共に闘っていたかった。
なのに、ギシさんを決勝の舞台に連れていくことすらできなかった。
12月29日が最後になってしまった。
悲しく、悔しく、寂しい。
私はサンフレに対して、ギシさんに対して、何ひとつしてあげられなかった。力になれなかった。
そんな自分が許せない。
ごめんねギシさん。
今ではとても大切で、ずっと一緒にいたいと願うギシさんだけど、2010年に加入してからしばらく、私にとっては特別な選手ではなかった。
呼び名がギシさんになったのもつい最近のこと。
でも名前を知ったのは随分前だった。
2007年ジェフ時代に、ビッグアーチで、アディショナルタイムに、それぞれ山岸と新居に点を決められて2点リードを同点にされた絶望を今でも覚えてる。
そのときは思いもしなかった。
山岸がサンフレの選手になって、大切になって、泣いてしまうほどの想いを抱くことになるなんて。
ずっと考えてる。
どうしてここまで別れが受け入れ難く辛いんだろう。
私にとってギシさんが大切な存在になったのは、2012年くらいだったと思う。
どんな状況で出場しても、変わらぬ安定したプレー。
正確なクロス。
男も惚れる人柄。
大きな舞台になればなるほど輝く天才肌。
あと、サンフレッチェ魂ナカジの挑戦での圧倒的な存在感(笑)
病気になって、離脱を余儀なくされたこともあった。
2015年は怪我もあって試合に絡めず、紅白戦すら入れないこともあった。
それでもギシさんはいつだってここにいた。
常に全力で、プロの姿勢を背中で示し続けた。若手の手本であり続けた。
もはや伝説の川崎戦でのゴール。
サポーターはもちろん、選手も、チーム関係者も、誰もが心を震わせた。
あれがなければ、サンフレは優勝していなかった。もちろんCWCで3位になることも。ここまでチームが一丸となることも。
チャンピオンシップ第1戦で逆転を呼び込んだクロス。
やっぱりギシさんは奇跡を呼ぶ男だった。
優勝できたのは、ギシさんのおかげ。
それはみんなの共通認識。
ギシさんと獲った3つの星を胸に刻める誇りを、2016年も、その先も、ずっと持ち続けるよ。
ギシさんと共に闘った6年間を忘れないよ。
チームは変わってしまうけど、ギシさんをこれからも応援し続けるよ。
そして、何もできないけれど、サンフレを愛し続けるよ。
ギシさんがそれを望んでくれたから。
ギシさん。ギシさんが広島を離れるのはとても寂しいです。未だに泣きそうです。
だけど、ギシさんはまだまだできる選手だから。
それを誰よりわかっている私たちだから。
今は辛いけど、これでよかったんだと、そう言える日が来るように、他チームで輝いてください。
今はそれぞれの道を歩こう。
その道の先には、また会える日がきっと来るから。
ギシさん。ありがとう。
title ありがとう / FUNKY MONKEY BABYS