インターネットを使った調べ物は信頼できるか? の続きです。
インターネットは「最善の努力」に基づく技術であると共に、「性善説」に基づく技術でもあると、個人的に考えています。
「最善の努力」とは、「真摯に努力はしますが、100%の保証はできません、99%の完成度で良しとしてください」という立場のことです。「性善説」は、説明の必要はありませんね。
私は、科学研究者ですが、科学研究の世界も「性善説」に基づいて成り立っているという点で、インターネットと共通点があると思います。
学術論文誌に研究結果を論文として発表する場合、「査読」というプロセスがあり、同業者である他の研究者が審査して一定の水準に達していると判定されて始めて、掲載されることになります。
しかしその際に、実験データが本当であるかどうかの検証は、普通ありません。研究者の良心に従って「うそ」はつかないという「性善説」に基づいて、そのまま事実であることを前提として審査されます。
実はインターネットは、そういう科学者同士が、研究データをすばやく共有するために開発されたもので、最初はアメリカの大学・研究所間を結ぶネットワークでした。
ですからそもそも間違った(不要な)情報が故意に流されるようなことは想定されていないんです。
最初から「anonymous(匿名)」という発想が組み込まれていたのも、同業者への信頼があったからこそでしょう。
そして私見ですが、インターネットのよさは、「anonymous」を許容するような「性善説」に基づく設計思想(或いは人間への信頼)にあるのではないかと思っています。
いろんな問題点を抱えながらも、基本的には良い方向に向かっている(と思う)インターネットには、「戦争とか犯罪とかいろいろあるけど人間って結構いいもんじゃないか」という感覚に似たポジティブな感覚を覚えるのです。
インターネットを使いこなすノウハウについて、このブログで取り上げることはしません。それは「戦略」ではなく「戦術」だと思うからです。詳しくは、【事業計画書14】「戦略」と「戦術」を区別しよう の記事を参考にしてください。
このブログでは、「戦略」を中心に考えていこうと思っています。
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