図書館で最後に借りた本は?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
図書館といえば、
学生が勉強したり、我慢できなくなった子供が騒ぎ出したり、同じ本へ伸ばした手と手がぶつかって恋が生まれたり、とかく長閑なで平和的なイメージであるが、歴史を遡ると結構血生臭かったりする。
 
思うに、
アレキサンドリアの大図書館とその最後の司書ヒュパティアの悲劇の印象が強いのだろう、基本図書館は正義、抑圧をしてくる側は悪である。
 
もっとも、
かの悪名高い秦の始皇帝の焚書なんてのは、統一国家たる秦の礎を築くためには必要不可避な面もあり、征服国による被征服国の歴史書の排除なんてのは必ずしもまっ黒と言い切れない部分もある。現代の中国が一国としての纏まりを保っていられるのは始皇帝の強引な統一のおかげともいえるのだ。
中国が戦国期の七雄に分割されたままで、一方欧州はローマ帝国による統一が巨大国家を形成させ続けたなんて東西逆転なIFの世界もあり得たかもなのだ。(まあ、地政学的な要件もあって、遥かに中国の方が統一され易くはあるのだが)
 
さておき、
図書館は脈々と受け継がれ整備されてきた知識の森であり、図書館の司書はその護り手といったところか。
オタ的な感覚からすると、ヒュパティエの悲劇は、世界樹の森を邪教の使徒に蹂躙され抵抗虚しく散っていく美人なエルフのねーちゃんの構図なのだ。
 
アレクサンドロス大王の大遠征の結果へレニズム文化が興って、東西融合という大事業を後継者たちが引き継いだことで、各地にアレクサンドロスの名を冠する国際都市や図書館といった東西の知識を内包する知識の森が生み出された。
 
古代エジプトからエーゲ、ギリシア、古代ペルシア、ヒッタイトなどから受け継がれたハピルスやら粘土板やらで蓄えられていた知識が集められ、教育に使われ或いは写本されて更に後世へと引き継がれていった。
 
ただ、
アレクサンドリアの大図書館自体は創立したプトレマイオス朝の衰退とともに威容を失っていき、ローマ期にはそのほとんどの蔵書を火災や盗難で紛失したり或いは迫害され追放された司書たちによって持ち去られて、ヒュパティアの頃には大図書館と呼べる状態ではなく、新プラトン主義者(ヒュパティアは彼らの学校の学長を父親から引き継いでいて実は司書というわけでもない)たちの集会所のようなものであったともいわれる。
 
どうも、
キリスト教との折り合いが悪かったらしく、皇帝が改宗してローマ国教に成りあがっていたキリスト教勢力に殺されたのは間違いないらしい。
 
「考えるあなたの権利を保有してください。なぜなら、まったく考えないことよりは誤ったことも考えてさえすれば良いのです」
「真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことです」
 
てなことを公然と講義していたらしいから、
神を信じなさい、神の地上の代理者たる皇帝に跪きなさい、と権力基盤を築くことに汲々としていたであろうキリスト教の偉いさんにはさぞや邪魔な存在だったのだろう。
 
まあとにかく、
ヒュパティアのような悲劇を無数に生み出しながらキリスト教は確固たる地位を築き上げ、ヘレニズム世界はイスラムの浸食と相まって失われ、欧州は中世の暗黒期へと向かっていくことになる。(ある意味文化的な統一はローマ帝国崩壊後も維持されたと見れなくもないのでやはり真っ黒とは言い難いけども)