冷え込む日もぼちぼち増えてきて、家の辺でも山のほうから紅葉が色ずき始めた。

 

紅葉が紅くなったり、黄色くなったりするのは、なにゆえか?

日照時間が減り気温の低下する冬には休眠モードに入る落葉樹が、葉の付け根に離層と呼ばれる壁をつくって葉を落とす準備を始めると、葉に残った糖分が紫外線と反応して、アントシアンという色素を作り出し、日照時間が減り分解の始まったクロロフィルの緑に変わって、アントシアンの赤が発現するからなのだそうだ。
(ちなみに、黄色はカロテノイド、褐色はフロバフェンという色素とのこと)

 

散り行くものは美しいの法則(ナンダソリャw)に従って、見事な限りではあるのだが、ではなぜに落葉樹自体にとってはほとんどメリットのない紅葉が行われるのか?

というクエッションは実は分かっていないらしい。

 

鮮やかであればあるほど害虫が寄り付きぬくいという研究があって、複雑な過程を経て作り出される色素を顕示することで、害虫に対する自らの免疫力の強さを示しているという考察がなされているらしいのだが、(さしずめ、『ムダムダムダァ~!!』と害虫に喚きたててるようなもんか?)、これも確定した説ではないらしい。

 

なぜそうなったのかはともかく、人間の目には美しいものとして捉えられるから、これ以降も人間が幅を利かせる世界が続くなら、落葉樹は種を維持する上で更に鮮やかな紅葉を発現させていくのかもしれない。


 ※

 

ところで、なぜに紅葉狩りというのか?

 

いちご狩りとか、ぶどう狩りとか、栗狩りとかは食い物繋がりとして、桜狩りも、ひまわり狩りも、菊狩りもあんまし使わないと思うのだが、何ゆえ紅葉だけ「狩り」なのだろう?
花でないから花見を使うのも違うかもだし、しょうがなくなんだろか?

んっ、そういや、近所の寺の精進料理で紅葉の葉の天婦羅は食った事はあるな…

 

で――
 

この場合、

「狩り」というのは「草花を眺めること」の意味をさし、平安時代には実際に紅葉した木の枝を手折り(狩り)、手のひらにのせて鑑賞する、という鑑賞方法があった。(wiki)
ってことなのだが、

 

何だかツマランので、もう一説w

 

その昔、会津の伴笹丸・菊世夫婦は第六天の魔王に祈って娘呉葉を授かりました。
娘が才色備えた美しい女性に成長したとき、一家は都に上って小店を開き呉葉は紅葉と名を改めて琴の指南を始めました。

ある日、紅葉の琴の音に足を止めた源経基公の御台所は紅葉を屋敷に召して侍女といたしました。
紅葉の美しさは経基公の目にも止まり、公は紅葉を召して夜を共にしました。

経基公の子を宿した紅葉は公の寵愛を独り占めにしたいと思うようになり、邪法を使い御台所を呪い殺そうと計りましたが企てが露見してしまい、紅葉は捕らえられ信濃の戸隠へ流されてしまいました。

信濃に至り、川を遡ると水無瀬という山里に出ました。「我は都の者。御台所の嫉妬で追放の憂き目にあいなった。」と語る麗人に純朴な里人は哀れみ、内裏屋敷を建てて住まわせました。
紅葉は喜び、里人が病に苦しむと占いや加持祈祷で直してあげたのでした。

紅葉は付近の里に東京、西京、二条、三条、などの名をつけて都を偲んでいましたが、月満ちて玉のような男の子を産むと、その子を一目経基公に見せたいと思うようになり、兵を集め力づくでも都へ上ろうと考えました。

里人には「経基公より迎えが来たので都へ戻ります」と言い置き、戸隠荒倉山の岩屋に移ると、戸隠山中の山賊を配下とし、村々を襲い軍資金を集めました。

そのうわさが冷泉天皇の知るところとなり、天皇は平維茂に紅葉征伐を命じました。
平維茂は山賊共を打ち破り、紅葉の岩屋へ攻め寄せますが、紅葉は妖術を使い維茂軍を道に迷わせます。

妖術を破るには神仏の力にすがるほかないと別所温泉北向き観音に籠もり、満願の日に一振りの宝剣を授かりました。

意気上がる維茂軍を紅葉は又もや妖術で退けようとしましたが宝剣の前に術が効きません。やむなく雲に乗って逃げようとする紅葉に、維茂は宝剣を弓につがえて放つと、紅葉の胸に刺さり、地面に落ちて息絶えました。
享年33歳と伝わります。
人々はこれより水無瀬の里を鬼のいない里・鬼無里と言うようになりました。 

信州・鬼無里のHP
http://odeyarekinasa.jp/year/year.html

 

つまり、紅葉狩りとは、鬼と呼ばれた『紅葉』の討伐になぞらえて、
同じ名の紅葉を愛でることをそう呼び始めた―― って、誰かが書いているのを目にした。
脈絡はないが、平安貴族のあんちゃんが、聞きかじりの知識を得意がってそんな風に呼び始めたのだとしたらちょっとおもしろい。

 

平安の頃は、朝にたてつくものはことごとく鬼である。

『紅葉狩り』は平将門の乱の少し後の頃のお話のようなので、地名が変えられたことも考え合わせると、将門のごとく実際に朝廷に逆らった女性がいたのかもしれない。
性格の程は定かではないが、都から来た武将を散々梃子摺らせたようであるので、それなりに才のある女性だったのだろうと思われる。

 

『紅葉』の散った信州・戸隠のこのあたりは、紅葉の渓谷と黄金色のブナの森林がとても美しいらしい。
行ったことないので、一度は行ってみたいかも。