語り継ぐ震災の記憶 | ★同じ空の下で★  

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だれかの 日向に なりたいな
あったかい人になりたい。


いま震災から一年たとうとしているから

TVでも流してくれているところおおいですね

うちのとこでは朝の5時すぎに
311その時のあなたは…
語り継ぐ為に 生き残った方が
話してくれてます


まだまだ知らない現実を聞いて涙しながら生きててくれてありがとうと

今朝も思いました
80近いおじいちゃん

奥さんと2人で暮していました
あの日までは…

地震がきて
うちは潰れてない

でも津波がくるらしい…と防災無線がなってる


ここにはこないだろうが一応にげようか…
奥さんが隣に住んでる足の不自由なおじいちゃんも乗せていこうといったので三人で走らせた


しかし渋滞
なんとか避難所までついた

おじいちゃんは校舎へいくよっていったけど おばあちゃんは 足の悪い人と車で待機してるからっていうので
いいよ‼待ってろなって別れたのです

校舎に入ると異変に気付くのです
波が…グランドにきてる…あぁと思っていると無表情のまま奥さんが手を振って流れていったのが最後…

その後すぐおじいちゃんも津波にのまれてしまうのです

瓦礫とドロで流された場所が階段…

つかまり必死に耐えたそうです
顔をあげたらそこには大木があり
それをどかさないと上には上がれない


みんなで木をどけて更に上へと逃げました

でも俺ものまれたけど
奥さんもどこかに捕まりここにいるかもしれないと必死にさがしたそうです


いない…

校舎からみた風景はどこからきたのかわからない船…

何だ?これは…

それでもまだうちはあるはずだから着替えを取りに行こうとおもったそうです
奥さんも多分先にいるかもしれないと…

しかし
自宅は基礎もないまま何もかもなくなっていたそうです

避難所の学校ももはや危険だということで違う学校に移動しなければならなくなり
奥さんを探しつづけながら移動…

足にはくいが刺さり怪我をしていましたが夢中だったのでしょう
痛みもわからなかった様子でした

数日間 避難所にいたら息子達が迎えにきてくれたそうです

そしてそれから半年後…
最愛の奥さんが安置所にいるとの連絡が…


そこだけで100人はいたと

白髪頭だから白髪の方を見て歩き



いたって思っても顔が違う…

息子達を呼び
もう一度一緒に確認してもらうと

顔ではなく着ていた服…

あっ母さんだよ この服母さんだよ
俺がかったやつだから…



一緒に校舎に入れば…あの無表情でバイバイとずっと手を振っていた最愛の奥さんを忘れることはないと…



奥さんのすきなうたを

毎日朝晩歌い話しかけて過ごしているそうです

胸がしめつけられました…


これから何代も先に残す為に
語り継ぐ事…


忘れないでいてほしい



あの日あの時間

生死を分けた2時46分


あたしもこの巨大地震と巨大津波は
ずっと話をして映像に残し写真に残して子どもたちへ…そしてこどたちは

またその子供達へと語り継いでくれたらと思います


絶対はないことが

これで検証されたのだから…


ここには来るはずがない津波は

きてしまったのだから…




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