津波で7キロ漂流、生還の安倍さん「今を全力で生きて」
「思い込みや過信は人につきもの。でも、克服していかないといけない」と語る安倍さん=22日、大崎市の鹿島台中
安倍さんが住民の話を基に、3月11日夜の東松島市野蒜地区を描いたスケッチ。星空の下、多くの人が低体温症で命を落とした
宮城県東松島市野蒜で東日本大震災の津波に巻き込まれ、床板に乗って吉田川を7キロ漂流、生還した安倍淳さん(52)が22日、移り住んだ大崎市の鹿島台中で講演した。「津波が来るまで逃げなかった自分の過ちを繰り返さないでほしい」と震災の教訓を語り、「今を全力で生きて」と若い世代にメッセージを送った。
「地震から津波が来るまで1時間あった。避難しなかったのは油断と『ここまでは来ない』と思い込んでいたから」。生徒約330人と家族を前に、安倍さんは率直な反省の言葉を口にした。
安倍さんは震災後に描いたスケッチや住民が撮影した野蒜地区の映像も使って、当時の状況を説明。「明日また地震が来るかもしれない。失敗や教訓を忘れず、皆さんは地震が来たらすぐ逃げてほしい」と呼び掛けた。
安倍さんは震災時、野蒜海岸近くで経営していた潜水土木工事会社の事務所に妻の志摩子さん(49)といた。避難を迷っていた時、住宅の2階を超える波が街に。安倍さんは事務所へ、妻は近くの自宅へ避難。建物ごと別々に川へ流され、建物が接触した時に安倍さんが妻を事務所に引き寄せた。
事務所は橋に激突、大破。2人は4畳半ほどの床板に乗ったまま上流へ運ばれ、約40分後に土手にはい上がり、助かった。
安倍さんが生まれ育った野蒜地区は津波で甚大な被害を受け、大崎市鹿島台で事業を再開する道を選んだ。講演ではふるさとに戻れない喪失感や、親類や友人を亡くした悲しみにも触れ「生と死の境界は紙1枚ほどの薄さに等しい。明日が来ることは奇跡。だから今を全力で生きなければならない」と締めくくった。
講演を聞いた鹿島台中3年の渡辺けあきさん(15)は「津波の映像は今まで怖くて見られなかった。安倍さんがつらい経験を伝えてくれ、勇気を出して初めて見ることができた。教わったことを生かしたい」と話した。
2011年10月23日日曜日
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