こんにちは、児島です。
昨日は、午前中突然に
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のマザルシャリフ所長から電話があり、
”近々サリプルに戻ることになるイランからの帰還民のための、帰還民キャンプの候補地を視察するのだが、
それに同行して、助言をして欲しい”という要請を受けた。
突然のことで、朝飯もまだ手をつけずに仕事をしていたのだが、
とりあえず、GPSやらカメラやら、この暑さなので水筒がわりのミネラルウォーターやら、
現場作業時に着用する現地服に着替えるなど、色々慌しく準備して、UNHCR職員らと合流した。
UNHCR職員と、サリプル州政府帰還民局局長、ピースウィンズを始めとした幾つかのNGOが
UNHCRのアーマード・ビークルに分乗して、
1時間ちょっとかかる候補地を訪ねた。
トヨタ・ランクルのアーマード・ビークルのドアは重くて、
路面の状態のせいで傾いて停車したときなど、開閉がし難いのも難点だが、
今回気がついたのは
その自重の重さからか、サスペンション、ショックアブゾーバーが余りに柔らかい上に、
悪路用に車高が高くなっているので
ダートでの揺れが、ソフトすぎて小船に乗ってるようになることだ。
今まで車酔いなどした事がない私だが、なれないラグジュアリーな揺れで、少し気分が悪くなった。
我が団体のオンボロのランクルの硬質な揺れほうが私には合っている。
以前から、財政的に余裕があれば、わが団体のランクルの足回りについて、
山道用にサスペンションを改造しようかと考えていたのだが、
この揺れを経験して、やめようと思った。
写真:UNHCRの車両と、帰還民キャンプ候補地。少し傾斜していてガリがあるので、雨季の洪水の影響があるかもしれない。
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イランからの帰還民について概略を述べると、
この話は、ここ数週間の間に急に浮上してきた動きである。
アフガニスタン難民受入国のイランが、突然、難民に退去を迫り、
退去しない場合は高額の税金を支払うように求めてきたようで、
500家族が、出身地であるサリプルに急遽戻ることになった。
早ければ来週にもサリプルに到着してしまう可能性もあり、
受け入れ態勢について大急ぎの対応が行われている。
サリプル州としても、緊急度の高い問題として認識されていて、
すでに何度か州知事を含む関係者の会議も開かれていた。
これらの難民の人々は、
実に23年間という長い間イランで難民として生活していたので、
故郷とは言っても、サリプルに生活基盤が整っているわけではない。
すでに住居の大半は崩壊しているから、住む場所の当てがない人が多い。
農地を所有しているものも幾らかいるようだが、
すぐに農作業が始めれるわけもないから、収入の当てはない。
また、23年の間の難民キャンプでの生活のなかで、子供や孫など、当然ながら家族が増えていて、
23年前の2倍、3倍となっているから、
難民として国外脱出した当時以上の生業をサリプルで見つけなくてはならない。
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わが団体では、2002年から、
サリプルにてUNHCRや他のNGOとともに国内避難民キャンプを運営していた。
その時期は私はシェラレオネにいたのでそのキャンプについては直接知らないのだが、
当時の団体としての経験が今回活かされるかもしれないと思った。
また、シェラレオネでは、同じくピースウィンズが
シェラレオネの帰還民キャンプ、リベリア難民キャンプ運営をしていて、
そこで、私はキャンプ用の井戸掘削や、ラテリンの整備など、水関連面で関わっていたので
幾ばくかの助言ができるかと思い、
今回のUNHCRの要請にこたえ、まずはとりあえず、キャンプ候補地の合同視察に加わったわけである。
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キャンプには
難民キャンプ、国内避難民キャンプ(IDPキャンプ、と呼ぶ)、帰還民キャンプ、などに分類される。
UNHCRがキャンプを立ち上げる、という場合は、
これらの整備や運営、管理などの調整をUNHCRが担当し、
一方、NGOは、実際のキャンプでの運営をとりしきる、というケースが一般的である。
緊急援助の中では、
調整機関・ドナーとしてのUNと、
難民キャンプの実地運営という専門的なスキルを持ったNGOとが
タッグを組んで事業を行うのである。
国際緊急支援の中でのNGOの役割は、
日本社会の中で”NGO”という言葉が示す印象よりも、ずっと重い。
私のシェラレオネとアフガニスタンでの印象では、
UNHCRの職員の人々は、なんというか、
機敏で機動力があって、臨機応変で、現場オリエンテッドな、気持ちのよい人々が多いように思う。
私は、今の仕事を始めてからの、多少の経験から、
巨大官僚機構としての国連に対しては、全体的には批判的なほうである。
異常なコストをかけた組織運営であったり、
支援の現場には不似合いな発想をする職員が少なからずいたりするので、
そのへんが批判的になっている理由だが、
UNHCRの職員の人々は、なんだか、いい感じがする。
今日同行した人も、プラクティカルな感じだったので、
私ごときの提言にも耳を傾けてくれ、それなりに上手く咀嚼してくれたように思う。
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難民キャンプを設営するときは、
UNHCRが調整役をして、地元政府やコミュニティと相談しながら、キャンプ候補地を決めるが、
今回のように、出身地に帰る、という場合は、比較的調整しやすいのだと思う。
私がシェラレオネでキャンプの水関係を担当していたときは、
キャンプサイトを選定するのが難しかったように記憶している。
シェラレオネでピースウィンズが難民・帰還民キャンプを運営したときは、
まず、UNHCRがリストアップしたホストとなる村を尋ね、
そのキャンプ候補地が、物理的にうけいれ可能か、
つまり住み難い地形ではないか、飲料水は確保できるか、などについて
細かく視察した。
場合によっては、ホストとなる村が、調整上の限界から、最初から限定されてしまうこともある。
そんなときは、後から行う現地踏査で、水の確保が不可能である事が判明するなど、
あとからあとから問題がいろいろ起こってくることも多い。
もちろん、
ホストとなる村に対しては、キャンプを引き受けるその見返りに、
学校建設や井戸掘削などの支援もあわせて行うことを約束することになる。
それもキャンプ運営の一部である。
私はシェラレオネで、ピースウィンズが運営をすることになっているキャンプ設営のために、
何度かキャンプ候補地を視察した。
担当上、私は水周りを中心にチェックをしていたが、
同時に、日本人の一級建築士のスタッフもいて、
その人は、サイトプランナー、つまりキャンプの設計を担当するエンジニアとして現場を一緒に歩いた。
具体的には、
複雑な地形を有している候補地をどのように使って、
キャンプをどのような区画にわけてコミュニティを作るか、
住居群と水周り、ラテリンやシャワールームなどをどのように配置して衛生面を確保するか、など
難民キャンプを設営する、と一言でいっても、
様々な視点からの設計が必要であり、
UNHCRのパートナーとして、実際のキャンプ設営をするNGOには、
それらの専門知識が必要となるのである。
さて、
シェラレオネの中部では、表層10m~20mの土壌の下には、猛烈に硬い花崗岩が出てくるので、
狙いは、
花崗岩の中にまでドリルで掘削して岩盤内の破砕帯の水を狙うか、
花崗岩の手前まで掘削して、表層中の10m~20mの砂礫層にある帯水層を狙うか、
になる。
浅層井戸は、
シェラレオネはほぼ熱帯気候ながら、乾季と雨季があるので、
表層の帯水層狙いの浅層井戸の場合は、
水位が季節変化してしまうし、
破砕帯からの水に比べて汚れている事が多く、水質が問題となる。
私が訪ねたある候補地では、
土地が非常に傾斜している上に、
地下水位が高すぎて、
難民キャンプを設営した場合に、
大量に設置するラテリンから沁み出す糞尿からの汚染が懸念された。
また、その候補地のくぼ地地形には、小さなダイヤモンド鉱山があり、
ホストの村の住人が、ダイヤモンド探しの泥さらいをしてた。
こういう場合、難民キャンプを設営したのちに、ダイヤモンドを巡って
キャンプ住民とホストの村民との間に必ず係争が発生すると予想される。
これらの状況を勘案して、その候補地は却下した。
写真:シェラレオネの難民キャンプ用の水タンク。場合によってはよい水が得られる井戸を掘れないこともある。この写真のケースは、コストはかかるが、近くの河川水を汲み上げ、それを消毒して飲料水にしていた。
また、ある別の候補地では、
視察当時はまだジャングルやパームトゥリーのプランテーション状態の森を、
サイトプランをするエンジニアと、
ホストの村の責任者と一緒に踏査したのだが、
そのとき、そこいら中に、
木の枝で作った、なにかの動物用の罠があって、何度も引っかかりかけた。
危ないなあ、と思いながら、何用のトラップなのかと訊くと、
ネズミの仲間で、ネコより大きいくらいの動物がいて、それを捕まえる罠だということだった。
そのネズミは、私もよく食べていたし、危険な動物ではないことは分かってたが、
ネズミの仲間はいいとしても、やはり、アフリカの森、動物の脅威もあるから、
その村人に、”この候補地の周辺では、危険な動物はいないですか?”と訊いたら、
”大丈夫、大丈夫、これくらいの太さのヘビが出るくらいだよ”
と、大人の足の脛くらいの太さを手で示しながら、
動物の脅威がないことを自信満々に請け合ってくれたのだった。
地下水位、地形などを調べ、サイトプランナーと色々相談して、
結果的にその場所をキャンプサイトに選んでピースウィンズがキャンプ運営を開始したが、
幸運にも、難民の方が生活されるようになっても
ヘビによる被害はでなかった。
写真:運営が始まっているシェラレオネの難民キャンプ。手前に積んである材木は、難民の皆さんの住居建設用の資機材の一部。
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とにかく、何もかもが満たされた”ベスト”な条件のキャンプ候補地などは、なかなかないものである。
地形や飲料水の確保、といった物理的な問題に加え、
ホスト村の条件などの交渉や、時限もあるから、
常に妥協をしながら候補地を絞っていくしかない。
今回のサリプルでの候補地は、
帰還民の数が少なかったり、受け入れる先がすでに決まっているために
的も絞りやすかったと思う。
今回の帰還民キャンプで難しいところのひとつは、
23年間イランで生活してきた人々の
特に元の住民の子供たち、新しいジェネレーションの人々が
全くアフガニスタンを知らない、というところだ。
そんなにすんなりと、馴染めるとは思えない。
生まれ育ったイランに戻りたい、と思う人もいるだろう。
写真:サイトを調査中の人々。色々なバックグラウンドを持つ人が、知恵を出し合い、それをUNHCRの責任者がまとめていく。
アフガニスタンにできた、ある別の帰還民支援でも、
やはり、どうしてもまだ復興の進んでいないアフガニスタンの生活になじめなかったのであろう、
幾つかの家族は
自分たちの家を建てるために配給した、鉄製資機材をすぐにバザールで売り払い、
その金で、イラン行きのバスのチケットを購入して、イランに戻ってしまった、という。
つくづく一筋縄ではいかない。
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内戦が勃発したことで引き起こされる影響とは、これだけ長く後を引きずるのだ。
戦争やら内戦やら、
これらが、上記した難民の帰還などまで全部含めて、
いったい、全体でどれだけのコストがかかることなのか、
と思うと、
昨今、先進国が拠出しているアフガニスタン支援の総額などを考えると、
どれだけ空しいコストがかかっていることになるのだろう。
人道的な意味だけでなく、
コストパフォーマンスから言っても、空しいものだと思う。
もちろん、それだけの支出があるということは、誰かが潤っているわけであろうが。