こんにちは、児島です。



アフガニスタン便り-西瓜スタッフ 写真:サリプルは今、西瓜の季節だ。スタッフとの共同生活で食費をケチっているので、一般的に高価な果物類は、わざわざここで言うのもおこがましいが、私が自腹で買ってあげているのだ。それにしては、あまりスタッフから有難がられないのは、私が、普段から舅のように細々と口うるさく言って支出をおさえているからだ、さびしい気分である。

さて、今回は、

上の写真とは関係なく、
前回に引き続き、アフガニスタンの焦げるような暑さについて述べる。


前回のブログで述べたとおり、現場作業時に経験する日差しの強さは相当なものでする。

勿論、

気温の高さや湿気のなさが、日差しの体感を、より強めていることもあるであろう。

さらに、私の頭髪の薄さが日差しを実際より強く感じさせている、という被害者意識もあるかもしれない。


しかし、それらを差し引いても、絶対量としての日差しそのものが強いと考えられる。


なぜこれほどに日差しが強いのか。それを説明してみる。



***



御存知のように、太陽の位置が真上に近づくほど、日射量は大きくなる。

”南にいくほど日差しがきつい”という一般的な理解は、緯度とこの天頂角の関係から来ているわけだ。

しかし、

私が駐在しているサリプルの緯度は、北緯36°近辺であり、

日本で言えば、埼玉県と同じ緯度帯に位置している。

だから、日本とサリプルとで、太陽の天頂角に依存した日射量の大きな違いというものは無いのである。

つまり、”アフガニスタンは日本より南に位置しているから暑い”という理屈は通らない。


では何が違うのだろうか。


***


ところで、

私は現在、アフガニスタンのサリプルで水資源調査を遂行しているのだが

その活動のなかで、私の専門である”水文学”が非常に役に立っている。

水文学とは、

地表近辺から大気圏に存在する水の動きについて研究する学問であるが、

実際に水の動きを調べようとすると、

どうしても、地表や大気でのエネルギーの動きを知る必要が出てくる。

それはなぜかといえば、

”水”はその存在形態を、氷にしたり液体にしたり水蒸気にしたりすることで

大きなエネルギーの動きに関わっているからである。


水文学とは、一般的には余り聞き慣れない、地味な学問であるが、

その重要性に関して言うなら、

近年、大気中の二酸化炭素量が増加して気候の温暖化や変動が発生していると言われているが、

その定量的な予測や検証の過程では、水文学的知見が必要不可欠である、ということなどは、

水文学の重要性を表す好例であろう。


であるから、

地球へのエネルギー入力値としての日射量は

水文学のなかでの重要な考察対象のひとつである。


というわけで

以下では、水文学的な知見を用いて、なぜアフガニスタンの日差しが強いかを説明してみる。



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結論からいうと、

それは、アフガニスタンの大気中の水蒸気量が、日本より圧倒的に少ないためだと考えられる。


では、なぜそう考えられるのか、以下で、定量的に論じてみる。


大気の上端での太陽光線の強さを S0↓、地上で受ける日射量をS↓とすると、

快晴日の場合については、


アフガニスタン便り-日射計算式      …(1)

という実験式が観測などから確かめられている。


地球に大気がある以上、式(1)の値は1より小さくなる。

つまり、地上に到達する日射量S↓は、

大気の上端での日射量S0↓に比べて小さくなる。

それは、宇宙から入ってきた太陽光線は、

大気中の様々な物質に反射されたり吸収されたりするうちに減衰するからである。

だから上の式は、”太陽からやってきた光線の何割が地上に到達するか”を示しているわけだ。


なお、この式(1) 中の m と F1、j1 は、

太陽の天頂角、大気の混濁度(汚れ具合)、地表面の反射率の関数である。


さて、太陽の天頂角をΘとすると、


アフガニスタン便り-日射計算式04 …(2)


が成り立つ。なお、φ は緯度、δ は太陽赤緯、h は南中からの時角である。

いま、アフガニスタンと日本の日射量について簡単な比較をするために、

アフガニスタンではサリプル、日本では埼玉県あたりを仮定して、

どちらも緯度φを36°とし、

南中高度が最も高い夏至の正午を選んで、δ=23.44°、h=0として式(2) のΘを計算すると、

サリプルでも埼玉でも、太陽の天頂角は、12.6°くらいになる。



水蒸気の影響とは?

ここで、式(1)で、大気の汚れ具合は、サリプルと埼玉でだいたい同程度であると仮定する。

そうすると、式(1) 中の


アフガニスタン便り-日射計算式07
は、サリプルも埼玉もだいたい同じ値になることになる。
そうすると、サリプルと埼玉の日射量の違いを形成しているのは、式(1)中の


アフガニスタン便り-日射計算式08
であることになる。この i1 というのは、


アフガニスタン便り-日射計算式02 …(3)


で表される。ここで m は式(1)中のmと同じもので、大まかに言うと太陽の天頂角の関数なので、

サリプルと埼玉とで同じ値となる。

問題は ω である。


ωは、可降水量といわれるもので、

対象としている場所において、

大気中に含まれる水蒸気が全部、残らず雨になって降った場合の降水量換算値である。

式(3) を見れば分かるように、

可降水量ωが大きければ大きいほど、つまり大気が湿っていればいるほど、

log10ωの値は大きくなるから、

i1 の値も大きくなるので、(1-i1)の値は小さくなる、

つまり、大気が湿っていればいるほど

大気中の水蒸気によって日射量は吸収されて小さくなるのである。


さて、このlog10ωの値であるが、

勿論、実測することは難しいが、

地上の気温と湿度から算出される露点温度を用いて推定することができる。

今、仮に、

サリプルの気温と相対湿度を、40℃、10%、

埼玉の気温と相対湿度を、33℃、70%

と仮定する。

(サリプルなどの相対湿度の低さは、日本人の私には異常である。)


そうすると、露点温度は、サリプルで3℃、埼玉で27℃となり、

これらの値から log10ω の値を推定し、i1 の値を推定すると、


サリプルのi1は、 -0.00030

埼玉のi1は、 +0.09941


となる。ということは、サリプルと埼玉での (1-i1) の違いは、


 0.09941-0.00030 = 0.09911≒0.1


ということになり、式(1)に戻って考えれば、

夏至の時期あたりの暑い時期の正午では、

サリプルの日射量は、埼玉の日射量より

大気上端の日射量の10%も大きくなることがある、

ということになる。


夏至近辺の大気上端日射量S0↓は、1200W/m2 を超えるから、

その10%というと120W/m2となる。

夏至近辺での日本の快晴日でやや湿った日では、地上での日射量は800W/m2くらいだから、

120W/m2の増加は、15%もの増加となる。

つまり、時期と時間によっては、サリプルでは、埼玉の115%の日射量がある、ということになる。



エアロゾルの影響は?

ただし、アフガニスタンの場合は、

前回のブログで述べたとおり、大気中にもうもうと砂埃が舞っており、

この影響は逆に日射を減衰させている可能性がある。


サリプルでの大気中の浮遊物に関するデータがないので、定量化できていない。

私の現在の印象では、

稀に起こる、非常に大きな砂嵐(下の写真を参照)の場合はその影響が大きいが、

それ以外の、平時の砂竜巻や風による砂塵の影響は、

上記した、大気の乾燥による日射量の増加に比べれば小さいのではないか、と考えている。

いずれ、現在計測している日射量などからその影響を推定してみようと思っている。


アフガニスタン便り-砂嵐

写真:1年のうち、2,3回ある砂嵐。これは前回紹介した砂竜巻とは違い、大規模(おそらく10キロ以上の範囲)に発生するものである。写真は、時刻が昼過ぎであり、砂が無ければまだまだ明るい時間帯である。感覚としては、曇天日以下の日射量であった。



***


上記のような日射量の計算は、

水文学的な定量化の一例であり、

河川水に関しての定量化のためには、日射量以外にも、

降水量や流出量、蒸発量など様々な過程を定量化することが必要となる。


以前に、このブログで

水資源管理にまつわるリアリティーについて、その混沌について書いた。

そこでは、地域社会の中での水資源管理の社会科学的(民俗学的な、とも言えるかも知れない)なリアルを、

丁寧に拾わなければいけないと述べた。


一方で、

水資源管理には、

上記の日射量計算のような、自然科学的な側面も多く含まれている。


例えば、”灌漑用水の平等な分配”という課題については、

それを管理・監督する枠組みや、強制力を持った法整備も水資源管理のうちだが、

実際、どれだけの灌漑用水があり、どの用水路にどれだけの水がどれだけの農地に分配されるか、

それを客観的にモニターする枠組みも水資源管理の基本である。


思うに、

水資源管理を考えていくときには、

”流動的でとらえどころが不明瞭な社会科学的現象”をおさえるのと、

”ある程度の投資をすれば客観的に表しうる自然科学的現象”をおさえること、

その両方からアプローチすることが必要だ。

特に、社会科学的現象があまりに混沌としているとき、

定量的なアプローチは、大きな力になり得る。

(勿論、社会科学的な混沌を無視して、行き過ぎた定量化をすれば、係争などの災いを招くこともありうるが。)

その二つを長期的に消化していき、いずれ有機的にすり合わせていく、というのが真っ当な順序だと思う。

描くべき理念はその途中で見えてくるのではないか、と思う。


今のアフガニスタンの水資源管理戦略では

その両方が欠けている。


上の例で言うなら、

灌漑用水の分配をどのように行っていくべきか、

それを如何に定量的にモニターするのか、

どちらへのアプローチも、現状を見ずにトップダウンで決めてしまっている。


社会科学的な現象にしろ、自然科学的な現象にしろ

現象を精査しないで

現地政府は、とにかくまず枠組みを作ろうとしている。

まず、理念ありき、で話が進んでしまっているのだ。


おそらく、先進国の専門家が

当世流行の水資源管理の理念を、直に移植したような絵を描いて、

それを現地政府が鵜呑みにしたのではないか、と思う。


実際に水資源管理の中で起こるリアルを拾うための調査などは

それを行う計画すらない。


OJTで進めなくてはいけない部分もあるだろうが

水資源管理の国家戦略のような、重要な枠組みは

”あ、やっぱり、この枠組みはまちがいでした、別のやつにします”とはいかない。


アフガニスタンは23年の内乱を経て、

水資源管理から土地所有からすべてが不明瞭となっている。

そういう今の段階では、

水資源管理戦略にも暫定性を持たせてよいと思うが、どうであろう。


とにかく、弊団体では、

アフガニスタンの水資源管理のなかで現在一番欠けている、
定量化のための第一歩を進めつつある。