こんばんは、児島です。


ここ数日、アフガニスタン北部は、冬の到来を思わせる寒い曇天が続いている。
まだ本格的な雨季とはいえないが、気温が下がり、吐く息も白くなってきた。


すでにアフガニスタンに関する報道では何度も取り上げられてるが、
2007年冬~2008年春の雨季の雨量が異常に少なく、そして2008年春~秋の乾季は大干ばつとなった。
私が滞在するサリプル州では、潤沢な年は雨季に250~350mmの雨量があるが、
先の雨季には100mm前後であった。これは水不足の程度を端的に表す数字だ。


この雨量不足の影響を受け、サリプル州の天水域での小麦生産量はゼロであった。
ゼロというのは、とても衝撃的な数字である。大凶作と言ってもいいだろう。


さらに先の雨季は、ご記憶の方も多いと思うが、
アフガニスタンは非常な寒波に襲われ、死者が出るほどであった。
現地のテレビで見た、両足を凍傷で無くした村人の映像が忘れられない。


つまり今年は、飢寒と飢渇が連続して襲来した年なのである。


飢寒と飢渇は、人々に、蓄えである種籾や家畜まで食いつぶし売りつくさせてしまう。
今現在の食糧と水がないということと同時に、将来の収入の芽もつぶしてしまうのである。

英国の王立統合防衛安全保障研究所によれば、840万人が食糧不足であるとしている。


我々も旱魃の被害を何とか軽減しようと、被害の大きい天水域への給水事業を行ってきた。
しかし、乾季が終わろうとしている今、
天水域の村人は、水だけでなく、この冬を越すための食糧の配布を必要としている。

サリプルの天水域の若い男達は、

越冬するために必要な現金を稼ぐために、大都市や他国に出稼ぎに行っている。

どれだけの稼ぎがあるののだろうか。稼ぎのためには人倫にもとることに手を染めることもあろう。

テロの温床のひとつとして、依然として貧しい地方の農村地域の存在が指摘されることがあるが、

それは当然なことである。


天水域、山すその村

写真:天水域の村。山すそにへばり着くように村がある。



中国の宋時代には「江浙熟すれば天下足る」という表現があった。
浙江省に開拓された水田が当時の中国の穀倉地帯として、
宋という国の農業生産の多くを担ったということである。


同じような言い回しがアフガニスタンにもある。
「ファリヤブが実り薄ければ、アフガニスタン全体が潤わない」
という表現である。

ファリヤブ州というのは、サリプル州の西隣にある地域であり、大きな天水域と灌漑域をもっている。

この言い回しがアフガニスタンの中でどれだけ一般的なものかは調べていないが、
少なくとも私の団体で働く現地スタッフはこの表現を知っていた。

江浙云々と、ファリヤブ云々を比べて特徴的なのは、
中国の言い回しは、豊作を仮定した表現になっているのに対し、
アフガニスタンの言い回しが、実りが薄い場合を想定している点である。
こんなところにも、地理的に決定付けられたアフガニスタンの運命のような諦観を感じる。


しかし、私は、
それでもまだ、アフガニスタンには食糧生産を安定化する可能性が残っていると思うのだ。
それは、河川水など地表面水の有効利用方法を構築するというやり方である。

たとえば内戦前はアフガニスタンは他国に農産物を輸出するほどの余剰生産力を持っていた。
現在、年降水量は当時に比べ変動しつつ減少していると思われるが

(データが不足していて明確な傾向はつかめない)、
そういう状態であるからこそ、その水の有効利用を考えねばならないと思う。

水資源の有効利用という考え方を実践するには、準備と試行錯誤に長い時間がかかるが、
アフガニスタン政府と先進諸国が大いに力を傾注する価値はあると思う。

そう考えて、これまで5年間、サリプル川流域で水資源観測を行ってきた。

その成果はまだ形となっては現れていない。それが歯がゆいところだ。


水不足や農業生産と、

テロや治安は、

互いに繋がった問題であり、

アフガニスタンの農業事情がいずれ国際社会へも問題は伝播していくということである。

つまり、アフガニスタンの農業生産が不安定であることは、やがてすなわち、日本の問題にもつながる。

時間がかかることではあるが、チャレンジするだけの価値のあることだと思う。