緊張と緩和と畏怖と享楽 | NGOピースウィンズ・ジャパン スーダン駐在スタッフのブログ ナイルでまいる!南スーダン“こにょこにょ”レポート

緊張と緩和と畏怖と享楽

今朝、セキュリティガードが今住んでいるテントのすぐ横にある木の板を除けたら、毒ヘビが3匹も出てきた。南スーダンの僻地にいると、ヘビなどしょっちゅう出てくるので、馴れてしまった。ヘビが出たー!と大声を出すガード達の脇で「そうかそうか」と言いながら紅茶をずずずと飲んでいた。

NGOピースウィンズ・ジャパン スーダン駐在スタッフのブログ ナイルでまいる!南スーダン“こにょこにょ”レポート-南スーダンのヘビ(これはテントの中に出たもの)

南スーダンのヘビ(これはテントの中に出たもの)

前から気付いていたことだが、こちらの人はヘビが出ると非常に嬉しそうである。最初は何をそんなに嬉しそうにしているのかと思っていたが、最近はその喜びでヘビが出たんだな、と分かるようになった。しかし、棒でヘビを叩き殺す時には真剣そのもの。というより、怖がり過ぎてかなりへっぴり腰の、おっかなびっくりで上手く叩けなかったして見ていてイライラしてしまったりもする。こっちが手伝ってやろうと、別の棒を持って近づくと「危ないからダメだ!」と怒られる始末。それでもこうやって押さえたらいいんだろう、と棒で押さえつけてみせると、安心して叩きだしたりして、地元の人々はヘビに対してかなりの恐怖を抱いているようだ。

ではなぜ、ヘビを見つけた後や、ヘビを殺した後でとても嬉しそうな感情が生まれるのだろう。人と言うのは心の奥底で、何かが起こることを期待しているのかもしれない。例えそれが悪い出来事であったり、災難だったとしても、それによって何かが変わるかもしれないという事に内心期待するような潜在意識があるのかもしれない。大きな台風が直撃するというニュースを聞いて、あぁ怖いという思いと同時に、何故か楽しくワクワクするような気分になったという体験は誰にでもあるのではないだろうか。

さだまさしの「遥かなるクリスマス」という歌にこういう一節がある。
「世界中を幸せにと願う君と いえいっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる」

そして、この僻地で今たまたま読んでいる坂口安吾の短編集の中にも、あちこちが空襲を受けて命が危ないにも関わらず、町が焼けて人々が死んでしまうことをどこかで望んでしまう人々の話があった。退屈で平和な日々から離れられる術である戦争という非日常を望む心が奥底にあるのである。

災難や悪いことが起こることにより、日常から非日常への変化が生ずる。つまり、命を脅かす可能性のある事柄(例えばヘビが現れる等)によって、退屈な日常を打破するきっかけを期待する自分が何処かに潜んでいるのである。不幸があってこその幸せで、緊張があってこその緩和であるということを知っているからこそ、その内なる期待が在るのだと思われる。

さて、ここジョングレイ州は毎年のように部族紛争が頻発することで有名で、毎年数多くの人々が亡くなっている。主に紛争を起こしているのはヌエル族とムルレ族の敵対なのだが、ゲリラ戦が得意なムルレ族の攻撃がいつあるかわからないという状況下にあるヌエル族の間で、彼らが大好きなネタがある。いわば鉄板のネタである。

何か不審な物音が聞こえた時、なぜか仲間が一人見当たらない時、それは使われるのである。

「ムルレじゃないか!!?」

これで皆大笑いである。日頃あれだけ恐ろしいと思っているモノが、逆に面白いネタとなるのである。一瞬人をぎょっとさせ、その後はそれが安堵と共に楽しさになるという感じであろうか。直接は知らないが、おそらくムルレ族側でも同じようなことを言っているであろう。緊張と緩和、そして畏怖と享楽は表裏一体なのだ。

お化け屋敷やジェットコースターに人々が訪れるのも、皆が同じような効果をそこに求めているからなのかもしれない。人というものは、その人生を通じて享楽を求めるが故に、常に日常の軌道を外れるような畏れや緊張をどこかで求め続けている、おかしな生き物なのかも知れない。

ジャスト・ギビングでチャレンジ「南スーダン共和国をもっと多くの人に知って
ほしい!」を始めま
した。
http://justgiving.jp/c/8412

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