スタッフの過去
こんにちは!皆さん、日本は梅雨中休みだそうですね。お元気でしょうか?ディリの今日の朝方寒かった!目を覚ます朝の水浴びも「ひゃーっ」となっちゃう寒さでした。午後5時現在は33度。昨日はジャッキーチェーンUNICEF平和大使来日のイベントに行ってきました。スターはスターだわ!って単純に観客として楽しんでしまったモンゴリアン。
話し変わって。今日、ちょっとした雑談中、スタッフが新たな彼の過去をポロっと漏らした。改めて、「ああ、こんな人たちと働いているんだな私は。」っと思いました。
モンゴリアン「うちの大家さんの息子がさー、どうやらエネルギー担当国務長官らしいの。アベリーノって知ってる?」
ジャスティーノ「知ってるよ!もちろん!彼とは一緒に刑務所にいた仲さ!」
モ「え?! 刑務所に入ったことあるの?!なんで?!いつ?!」
ジ「1991年サンタクルス事件*の時、僕はインドネシアで勉強していて、アベリーノや現在の国会議長のラサマ、日本の東ティモール大使とかもインドネシアにいて、総勢17人でインドネシアの首都ジャカルタで軍事侵攻反対デモをやったんだ。」
(*1975年東ティモールへインドネシア軍事侵攻。1991年にはインドネシア軍が平和的なデモ隊に無差別発砲。400名近い死者が出た。住民の大量虐殺事件として世界的に知られることになった。)
モ「知らなかったー!」
ジ「まずはアメリカ大使館に、嘆願書を出して、そのあと他の大使館へ行こうとしたら、600人くらいの警察に取り囲まれて、刑務所行きさ!僕は1ヶ月で出れたけど、アベリーノは3ヶ月、ラサマは1999年ごろにやっと出れたんだよ。」
モ「・・・・・そっか。」
ジ「17人が地下の汚い一室に閉じ込められて、トイレもおんなじ部屋にあってさー。ほかの人がするとたまんなかったよ。でもさ、ご飯はちゃんと出たからOK!って感じだったけどさ。」(いたって明るい口調)
モ「へーーーーー。」
そうだったんだー。独立運動が盛んだった東部出身の彼は、以前言っていた。「僕の村の僕と同じぐらいの男性はほとんど殺されてしまった。僕はインドネシアに勉強していたから、ラッキーだったけど。」二年前の騒乱では家を焼かれて家族を地方に避難させて単身赴任中。一時期はモンゴリアンと一緒にオフィスで住んでいる時期もあった。彼の度量の深さに何度もモンゴリアンも助けられてきた。他のローカルスタッフからの彼への信頼と尊敬、政界などとの人脈はすごいと思っていたけど、新たな過去を知って、彼の人格を少し深く理解した気がする。
いろいろな経験が彼という人間の深さに影響を与えているのだろう。
モンゴリアン