映画の紹介『10月7日からのガザ』
  ガザにこだまするのは、こどもたちの慟哭と戦慄
 横山道史(『市民の意見』編集委員)

◎ ガザをめぐっては、本紙でも継続的にとりあげてきた。
 前号は、小倉利丸さん(JCA-NET理事)に「ガザのジェノサイド-ビッグテックとサイバー戦争」というテーマで寄稿してもらった。
 その小倉さんは、映画『10月7日からのガザ』のオンラインでの試写会とトークイベントを月1回のペースで開催している。
 トークイベントには、本誌でもお馴染みの田浪亜央江さんの登壇もあった(2025年2月9日開催時)。
 残念ながら私は都合がつかず、この会には参加できなかったが、1月と3月の試写会には参加してきた。本誌の読者にもぜひ視聴してもらいたいと思い筆をとっている。

◎ さて、前置きが長くなった。本題に入ろう。
 本作は、ジャーナリストでありフランスの国会議員でもあるアイメリック・カロン(Aymeric Caron)による映像作品である。ガザ現地のジャーナリストと連絡を取りながら、映像の確認、選別、日付の記入を行って制作されたものである。更に、本作では、ガザのジェノサイドの生々しい映像を基軸としながらも、それに割り込むようにして、イスラエルの政治家や高官たちの演説、イスラエル兵がSNSに投稿したビデオ映像などが挿入されるという二重構造になっている。

◎ 映像内容について、いくつか印象的だった点について触れていこう
 まず、映像の中心に位置しているのは、子どもたちである。「これは夢なのか、それとも現実なのか?」自分の傷に驚き、そう尋ねる少女。
 ガザにこだまするのは、子どもたちの慟哭と戦慄である。
 これは、子どもの犠牲を強調するための演出などではない。
 子どもの犠牲が他の属性による犠牲に比べて圧倒的に顕著だからだ
 実際、ユニセフは早い段階で「ガザ地区は今や、子どもにとって世界で最も危険な場所である」と警告していた。しかも、それは単なる偶然の産物ではない。
 イスラエル軍による意図的な作戦の結果であることは何度も強調されてしかるべきだろう。

◎  次いで、他方のイスラエルといえば、その登場人物の多くに嫌悪感を抱かずにはいられないようなパレスチナ人への苛烈なヘイト発言をピックアップした映像の連続である。(良心的兵役拒否の若者の映像もあるが、これがイスラエル全体の中でどのような位置づけとして理解してよいのか、映像資料だけから推し量ることはできない)。
 その中でも、パレスチナ人をヒトではなく「ケダモノ」と叫ぶ非人間化は、かえってイスラエル人をこそ非人間化しているのではないか、そう思わずにはいられないようなイスラエル兵たちの振る舞いが印象的である。嬉々としながら、そしてまるでゲームを楽しむかのように殺戮を実行に移すその姿をなんと表現すればよいのだろうか。

◎ 2023年10月7日以降、ガザで何が起こっているのか、イスラエル軍が何をしているのか、私たちは知る義務がある。と同時に、2023年10月7日を記号化・象徴化してはならない。記号化・象徴化は対象を特異な例外とするからである。
 10月7日は、スタート地点ではないのだ。3月のトークイベントで、解説を務めた清末愛沙さんは、10・7以降のガザ情勢を理解するうえで何よりも理解しておくべきこととして、ガザが占領下で長年封鎖されてきたという事実、「アパルトヘイト」下にある事実を強調していたのは、そのためである。歴史的文脈から離れたガザ理解はありえなのだと。
          (『市民の意見』No208、2025/4/1、
           発行:「市民の意見30の会・東京」より転載)