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の渡部です。
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文科省の調査によると、小中の不登校が11年連続して増加し、

最多の34万人になったという。また、いじめや暴力行為も過去最多だ。

更には、教員の精神的理由での休職者や中途退職者が増え、

採用試験倍率はどんどん下がり、教員不足が深刻化している。

日本の教育はまさにガタガタになってきている。

(このことは、大学教育にも波及している)

 

どうしてこのようになってしまったのか。

その最大の原因は、戦後一貫して進められた自民党の

反動的教育政策にある。

それは、

・1980年代の「日の丸・君が代」の学校現場への強制と1999年の法制化

・2006年の教育基本法の改悪

以降、特に顕著になった。

 

1947年教基法には、第一条(教育の目的)に次のように述べてあった。

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教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、

真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、

勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な

国民の育成を期して行われなければならない。

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しかし改悪教基法では、次のように矮小化された。

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教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び

社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な

国民の育成を期して行われなければならない。

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つまり、「人格の完成」という言葉は残っているものの、

その人格の中身が削られたのである。

 

そして「愛国心」が導入され、

新たに、(大学)・(私立学校)・(家庭教育)・(幼児期の教育)

・(社会教育:「個人の要望や社会の要請」追加)、

・(学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)などが新設され、

・(教員)では「全体の奉仕者」が削除され、

「養成と研修の充実がはかられなければならない」が追加された。

 

また、第17条に「教育振興基本計画」が新設され、

そこには次のように述べられている。

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政府は、教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、

教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について、

基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければならない。

2 地方公共団体は、前項の計画を参酌し、その地域の実情に応じ、

当該地方公共団体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう

努めなければならない。

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こうして、天皇制と戦争のシンボルであった「日の丸・君が代」を強制し、

「愛国心」を導入、幼児から小中高、さらには大学、社会まで

全面的な国家主義教育になったのである。

 

さらに、その後学力テストの導入、学習指導要領に政府の見解強要。

教員対策として、主任制などの職階性の導入、

職員会議での挙手採決禁止、業績評価(勤務評定)などなどによって、

教員はトップダウンでおりてくる教育政策の単なる遂行者にさせられた。

(今の学校現場には民主主義はない)

 

その結果、教員間はバラバラに分断され、教員組合は先細りした。

教員の多忙と時間外労働は常態化し、家に帰れば眠るだけ、

子どもたちとゆっくりと話す時間も、仲間とゆっくり話す時間も、

新聞や本を読む時間も無くなった。

 

子どもたちにとっては、学テや受験で競争に煽られ、

「個別最適化学習」などと言ってバラバラにされ、

ただただ点数や学歴だけで人を評価するような、

息の詰まるような学校になってしまった。

しかも、先生はいつも忙しくて話を聞いてもらえない。

こんなつまらない学校では、不登校が増えるのは当然だ。

対応策として非常勤のスクールカウンセラーなどをおいても

根本的解決にはならない。むしろ学校内に非常勤が増えるだけだ。

 

戦後できた教職員組合は、戦前、国の教育政策やに対して無批判で、

無謀な侵略戦争に教え子を戦場に送り、多くの犠牲を出したことの反省から、

「教え子を再び戦場に送るな!」をスローガンに

「平和教育」に力をいれて闘ってきた。

 

それはたとえば、

「勤務評定反対闘争](<勤評は戦争への一塚>と言われた)、

「1960年安保闘争」、「70年安保闘争」、「学テ反対闘争」

「官製研修反対闘争」、「教科書裁判闘争」、「学習指導要領伝達講習反対闘争」、

「主任制反対闘争」、「新学習指導要領反対闘争」、

「日の丸・君が代強制反対闘争」、「教育基本法改悪反対闘争」、

などとなってあらわれた。

しかし、当時の自民党政府の教員政策により、抑圧・弾圧され、

上記のような状態までなってきてしまった。

(「勤務評定反対闘争」は石川達三の名著『人間の壁』に詳しい)

 

その結果、日本の教育はガタガタな状態となり、

学問は衰退し、日本の国力もどんどん落ち込んでいる。

それどころか、貧富の差はますます拡大し、

「平和国家」は「軍事国家」となり、

再び戦争へ若者を送り出そうという状況にまで来ている。

 

ところで、戦前の教員たちが進んで国策に従った大きな要因は

当時の教員たちの社会・政治的無知だったことにある。

だから、上からいわれたことを鵜呑みにして、

「聖戦」などと言って子どもたちを侵略戦争に動員したのである。

(それに反対した教員たちはいたが、

抑圧され職を追われ、大きな力にはならなかった)

 

今また、多くの若い教員たちは、

・「日の丸・君が代」(天皇制と戦争のシンボル)の強制、

・職階性(昇進しなければ給料は上がらない)、

・職員会議での挙手採決禁止(諸問題が議論にならない)、

・業績評価(疑問や批判すれば低評価となり給料は上がらない)、

などに対する批判の声をほとんど聞くことがなく、

社会・政治的無知の状態におかれている。

 

しかも、彼らの多くはそうした状態に置かれながら、

その原因がよくわからないまま、苦しみもがいている。

 

だから、再び戦争の危険性が高まっている今、

「日の丸・君が代」の意味や歴史的役割も知らず、

自分たちが苦しんでいる「職階性」、

「業績評価(勤務評定)」の狙い(国家主義的教育の徹底)も

よくわからない若い教員たち、

あるいは、若い学生や働いている若い人たちに言いたい。

 

「日の丸・君が代」は戦争のシンボル、勤評は戦争への一里塚、と。

 

そして、二度と騙されるな!!、と。