無痛分娩には、以下のようなリスクがあり危険!
- 無痛分娩導入直後に一過性に赤ちゃんの心拍状態が悪化する場合があります。これは麻酔の効きが急激であることが原因だと考えられており、緊急帝王切開に至るケースもありますが、ほとんどの場合、5分以内に回復します。
- 分娩時間があまりに長引くと、母体と赤ちゃんに負担がかかってしまいます。その場合、吸引や鉗子が使われたり、帝王切開が必要となったりすることもあります。吸引分娩や鉗子分娩を行った後に出血が続く弛緩出血や、産道の一部に傷ができる産道裂傷が起こるリスクがあります。
- 硬膜外麻酔によって、かゆみ、足のしびれ、頭痛、低血圧などの副作用が出現する場合があります。
- 無痛分娩の際に最悪のケースとして考えられるのが、妊婦が亡くなってしまうこと。
■2019/12/30 8:10河合 蘭 : 出産ジャーナリスト
「無痛分娩」には一体どれだけの危険が伴うのかその産科が麻酔をしっかりとやれるかが焦点だ
「痛みがなければ母親になれないなんておかしい」という考えが浸透し、硬膜外麻酔による無痛分娩の希望者が増えている。
一方、2016年には日本産婦人科医会の妊産婦死亡症例検討評価委員会(厚生労働科学研究費補助金)が、麻酔が直接的な死因となった事例があったことを報告。2017年は無痛分娩をした女性が死亡したり重い障害を負ったりしたケースが相次いで報じられ、刑事訴訟も起きた。厚生労働省は研究班を組織して2018年に安全対策をまとめ、2020年春で2年になる。
今、日本の無痛分娩は安全になったのだろうか?
日本ではまだなじみが薄いが、麻酔科医の世界には帝王切開、無痛分娩、胎児・新生児などの麻酔に特化した「産科麻酔」という専門ジャンルがある。産科医が麻酔を行う施設が多い日本と違い、海外では麻酔は麻酔科医がかけるのが普通で、専門分化も進んでいる。2000年以降、日本にも産科麻酔の研修コースを持つ大学病院が登場し、これまでに数百名の医師が巣立って全国で活躍中だ。麻酔のよさも怖さも知り尽くした医師たちの目に、現状はどのように映っているのか。
2000年に、日本初の産科麻酔部門を立ち上げた照井克生さん(埼玉医科大学総合医療センター産科麻酔科診療部長・教授)は、生まれてきたときから、出産の安全性を高める役割を背負っていたのかもしれない。母親が難産で、いわゆる「胎児仮死」の状態で生まれてきた。
幸い、赤ちゃんを逆さづりにしてピシピシたたくという昔ながらの蘇生法が成功した。しかし、肝を冷やしたお母さんは、「お産というものは、本当に大変なことなんだよ」といつも話しながら息子を育てた。
産科には緊急帝王切開手術がけっこうある
照井さんは成長して医師となり、若き日にアメリカのハーバード・メディカル・スクールに留学したが、教育病院で、産科病棟の体制を見て目を見張った。その産科病棟には、他科の手術に行ってしまうことはない産科専属の麻酔科医が複数名24時間体制で常駐していた。
「産科には『超』のつく緊急帝王切開手術がけっこうあるんですよ。その時、麻酔科医がいれば産科の先生は手術に専念できますよね」と照井さん。
麻酔科は、麻酔をかけるだけではなく、救命救急センターに詰めている救急科のように、心拍や呼吸を監視し、すみやかに人工呼吸や輸血を開始することに長けた科でもある。手術室で、自力呼吸ができない全身麻酔を受けている人や、大量に出血している人の全身管理を日ごろから担当しているからだ。実際、大量出血は日本では母体死亡理由の代表だが、アメリカではそうではなかった。
「麻酔科医が産科医療チームに加われば、そのチームはグッと危機に強くなる。いつしか日本でも、こんな体制をつくれたら」。照井さんは3年間の研修ののち、産科麻酔の普及という夢を持って日本へ帰ってきた。
ほどなくして、「新しい総合周産期母子医療センターで妊婦、胎児、新生児専門の麻酔部門を立ち上げてほしい」という話が舞い込み、現職に着任。照井さんは、ここで、20年間にわたり、全国から集まってくる医師たちに最新の産科麻酔学を伝えてきた。
埼玉医科大の総合周産期母子医療センターにある産科麻酔科の医局で(筆者撮影)
照井さんは硬膜外麻酔による「無痛分娩」も重要視してきた。アメリカは硬膜外無痛分娩の希望者が多いので、その麻酔報酬で産科病棟に常駐する麻酔科医たちの給与が賄えていたからだ。とくに日本は帝王切開の麻酔報酬が安く、専従の麻酔科医を確保するのは、大きな病院でも経営上難しい。
照井さんは「日本でも無痛分娩を一定数増やして、麻酔科医が産科病棟に常駐する体制を広めたい」と考えた。ただし、硬膜外麻酔を行えば胎児への血流減少につながりうる母体の血圧低下や、陣痛が弱まるケースは珍しくない。それらは早期に対処して分娩への影響を最小限に抑えなければならない。死亡につながりうる副作用については、防止策を徹底することが不可欠だ。安全性が肝心だと思った照井さんは、まず、『硬膜外無痛分娩 安全に行うために』という医師向けの本を書いた。
無痛分娩を行う医師なら知らない人はいないこの本を開くと、何度も繰り返されている言葉がある。それは「少量分割注入」という6文字である。麻酔薬は、決して、一度に全量を入れてはいけないという意味だ。
「手の感覚に頼るのみ」
照井さんは、模型を用いて麻酔の針が入るべき正しい場所を教えてくれた。
「正しい位置に針が入ったかどうかは、目で確認できません。手の感覚に頼るのみです」
実習模型のカバーをはずし、麻酔針の進む道を説明する照井さん(筆者撮影)
照井さんの説明によると、麻酔科医は、まず皮膚の上から背骨を触って針が入る隙間を見つける。そこから入った針は皮膚、皮下組織を通り、次に背骨と背骨をつなぐ靭帯を3種類通過するが、そこで、針を持つ指に感じていた抵抗感がふっと抜ける。
そこが、目指す「硬膜外腔」だ。正しい硬膜外麻酔無痛分娩は、その真ん前にある硬膜を突くことなく、その一歩手前の空間に麻酔薬を注入し、そこを通っている神経に作用して信号を遮断する。
「この硬膜外腔は本当に狭い空間で奥行きは1センチもないんです。皮膚から硬膜外腔までの深さも人さまざまで、一般的には4~5センチですが私たちの経験では2センチ少々の人から7センチくらいあった人までいました」
もし針が硬膜を破り、それに密着したクモ膜も破いてしまったらどうなるのか。
その場合は、麻酔薬が脊髄に直接触れるので薬が10倍くらい強力に効いてしまう。投与量が多いと脳と全身との信号のやり取りが全面的に遮断された「全脊髄くも膜下麻酔」となり、呼吸も心臓も停止する。そこで人工呼吸ができなければ妊婦が亡くなってしまう。
「だからこそ、薬を少し入れては様子を見る『少量分割注入』は絶対に欠かせないのです。少しの量なら、くも膜下に入っても症状は軽くてすみます。ところが、この『少量分割注入』が、事故が報道されたあるクリニックでは行われていませんでした」
劇薬・麻薬を扱うことが多い麻酔科医は、事故の防止法やトラブルシューティングをいくつもたたき込まれるが、硬膜外麻酔で最も重要な安全対策は少量分割注入だと照井さんは言い続けてきた。それをしない施設が硬膜外無痛分娩を行っていたという事実は、照井さんにとって衝撃的なことだった。
「誤操作は、必ず起きます」
「誤操作は、必ず起きます」
照井さんは強調する。
「それを前提に行動しなければならないのです。ベテランでも、針が本当に正しい所に入ったかどうかは、実際に麻酔薬を入れてみなければわかりません。『私はうまいし、たくさんやっているから間違わない』という自信が、いちばん怖いものなのです」
照井さんは無痛分娩の普及を願ってきたが、打って変わって、今は慎重だ。
「知らないうちに無痛分娩の人気が盛り上がってしまいました。十分な麻酔研修を受けたのちに、長年にわたり硬膜外無痛分娩を事故なく行っている産科医もいらっしゃいますが、こんなにたくさんの産院が新規に硬膜外無痛分娩を開始していたことは驚きです」
無痛分娩の国内の実施率は、2008年の調査では2.6%にとどまっていた。しかし、事故報道の後に日本産婦人科医会が急きょ実施した調査では6.1%と約3倍になっていた(2016年)。しかも、常勤麻酔科医がいることはまれな診療所のほうが実施率は高かった。
麻酔科医が少ないという現実もある。全国的に見ると、無痛分娩の人気は、産科医を支える麻酔科医を増やすというより、むしろ産科医が自分で麻酔を行う機会を増やした。
厚労省の研究班は、2018年、「無痛分娩の安全な提供体制の構築に関する提言」を発表して、無痛分娩実施施設に求めることを示した。
そこでは、硬膜外痛分娩を産科医が行うなら「100例程度の経験を有することが望ましい」など一定の基準を満たすことや、麻酔科医から急変時の対応を教わる講習会に参加すべきとされた。麻酔科医が急変時に使用する医療機器や医薬品も、準備すべき物品として示された。
ただ、始まった講習会は半日から1日程度のもの。それが対象者・目的別に4種類ある。研究班の一員だった照井さんによると、講習会は「すでに経験を積んでいる施設の危機対応能力を強化するもの」。対策は始まったばかりという印象がある。
無痛分娩を甘く見ている施設の新規参入、提言を無視して無痛分娩を続ける施設をなくす方策は、まだ見えてこない。照井さんによると、アメリカでは、病院が医療行為と専門医制度を連動させた「プリビレッジ(権限)」という規定を設けて、医師が不勉強なまま新しい技術に手を出すことはできないようにしている。日本は、もっぱら医師個人の良心にゆだねた形だ。
ただ、研究班は、医師が麻酔を行う医師としてふさわしいかどうかを、産む人が判断できる仕組みを作った。関連の学会・団体の手により、無痛分娩施設の情報を公開するウェブサイトが一般に公開された。「無痛分娩関係学会・団体連絡協議会(JALA; Japanese Association for Labor Analgesia)」のホームページにある「全国無痛分娩施設検索」を見ると、無痛分娩の件数、麻酔をかける医師の情報などが施設ごとに掲載されている。
「麻酔担当医」の欄は、こう読む
一般人にはなじみのない言葉が並んでいるので、名古屋市立大学病院無痛分娩センター長の田中基さんにこのページの解説をしてもらった。
無痛分娩施設の情報公開ページを開き、基本ポイントを説明してくれた田中さん(筆者撮影)
「まず、このぺージに診療内容の情報を公開しているかどうかが、ひとつの目安です」と田中さん。厚労省研究班は情報を公開すべきだとしたが、実際に掲載されている施設の数は限られている。「載っていない施設は準備中なのかもしれませんが、もしかしたら、あまり公表したくない状況なのかもしれません」
情報が公開されていたら、まず見てほしいのは「麻酔担当医」の欄だという。
「『日本麻酔科学会認定麻酔科専門医』は日本麻酔科学会の試験に合格したいわゆる「麻酔科医」で、麻酔担当医としていちばん安心な資格だと考えられます。その次は『麻酔科標榜医』でしょう。これは厚労省の認定資格で、産科の先生でも麻酔科専門医の下で2年以上研修したら申請できます」
麻酔科専門医、麻酔科標榜医を持つ医師がいなかったら、講習会の受講歴が目安になる。ただ田中さんは、個人的には「産科の先生が無痛分娩を行うなら、麻酔科標榜医を取得してほしい」と考えていた。それは、やはり、呼吸や心臓が止まってしまったときの対応力が大きく変わるからだ。
「無痛分娩の麻酔は、硬膜外麻酔の注射テクニックだけではありません。産後まで続く観察やトラブルシューティングのすべてが麻酔であって、それは麻酔科診療の総合的なトレーニングのうえに成り立っているものです」
田中さんは照井さんのもとを巣立ったのち、いくつもの病院で産科麻酔の部門を立ち上げてきた。産科に精通した麻酔科医がもっと育てば、産科医も助かる。(名古屋市立大学病院で 写真撮影・衣笠梨絵さん)
田中さんも、お産の怖さを感じて産科麻酔の道に入った一人だ。医師として自分の道を探していた頃、NICU(新生児集中治療室)で研修していると、1人の赤ちゃんが搬送されてきて、母親は出産直後に死亡したと聞いて驚いた。父親は多忙で、夜遅く面会に来ては、黙って赤ちゃんを見つめていた。
田中さんはその子を助けて無事に退院させたが、赤ちゃんに帰る家はなかった。退院先は乳児院だった。防げる母体死亡があるなら防ぎたいという思いから、田中さんは、照井さんの門戸をたたいて産科麻酔の道に飛び込んだ。
安全を守るのは自分自身
私は田中さんと別れてから、改めていろいろな無痛分娩施設のホームページを眺めた。情報公開をしていない施設はたくさんあるし、麻酔のリスクについて「まれ」「これまで一例もない」といった言葉を強調する施設もあった。照井さんの「誤操作は必ず起きる」「自信がいちばんこわい」という言葉を何度も思い出した。
妊娠した人が産院選びをする時は、ネットの口コミや食事、利便性などで決める人が多い。「無痛分娩ができる」ことも分娩件数を増やすと最近は言われている。しかし、こうして安全性についての情報公開も始まった。
安全を守るのは、自分自身だ。
東京都 無痛分べんの実態調査開始 小池知事は費用助成を公約に
東京都は、麻酔を使って出産の痛みを和らげる「無痛分べん」の実態を把握しようと、対象となる医療機関に実施件数や体制などを尋ねるアンケート調査を始めました。
「無痛分べん」は、麻酔を使って出産時の痛みを和らげるもので、小池知事は都知事選挙の際、「無痛分べん」の費用助成に取り組むことを公約に掲げていました。
こうした中、都は、無痛分べんの実態を把握しようと、都内の対象となるおよそ160の医療機関にアンケート調査を行っています。
アンケートでは実施件数や医師や助産師などの体制、それに費用など、およそ60項目を尋ねています。
日本産婦人科医会の調査によりますと、すべての分べんのうち、無痛分べんで出産した人の割合はおととし、全国で11.6%となっていて、5年前の5.2%から倍増しているということです。
東京都保健医療局の佐藤大輔調整担当課長は「出産時の痛みによって『産めない』ということならひとつの選択肢になり得ると思うが、まずは医療機関の体制を確認して、どれくらい安全性が確保できるかを把握したい」と話していました。