20240918 UPLAN 井戸川裁判福島被ばく訴訟第30回口頭弁論期日



 

 

何も知らせず、普通に暮らさせ、いまだに村の暮らしを破壊し続けている東電と日本政府。

 

今も、これからも村を苦しめる汚染の元凶はそのまま、汚染水を垂れ流している・・・

 

 

◆知らされなかった原発事故◆
              伊藤延由(福島県飯舘村民)

 2011年3月11日、福島県飯舘村も、経験したことのない強い揺れに見舞われました。村は深くまで花こう岩の地層が続いているせいか、被害は比較的少なく、私が管理人を務める農業研修所は屋根瓦がずれたり、玄関の引らき戸が開きにくくなったりした程度ですみました。
 13日まで停電のためテレビは見られず、山がちなのでラジオの入りはいまひとつ。情報が少ない中、12日からは、海側の南相馬市や浪江町などから1200人ほどの人たちが避難し、村民は炊き出しをして出迎えました。この時点では、まさか自分たちも東京電力福島第一原発事故の被害者になるとは思っていませんでした。

  ところが15日タ、村の状況は一変したのです。村から事故の情報はほとんど知らされませんでした。
  しかし、福島第一から漏れた膨大な放射能は北西向きの風に乗って村方向に流れ、折あしく降り続いていた雨、夜半からの雪によって村周辺に
降り注ぎました。
 当時、私たちは何も知らされず、普通に暮らしていました。

 後日知ったことですが、14日に急きょ村役場近くに、放射線量を監視する簡易型モニタリングポストが設置され、通常時より少し高かった放射線量は15日午後6時ごろ、千倍にまではね上がったのです。
 福島第一の放射能が降った瞬間です。
 研修所周辺に雪が積もった16日朝の写真を載せましたが、この雪こそが村の暮らしを破壊し、今も、これからも村を苦しめる汚染の元凶なのです。
  (10月2日「東京新聞」朝刊24面「私の東京物語」8より)

 

 

 

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