2000年国連総会では、コフィ・アナン氏が「これからは国家の安全保障ではなく人間の安全保障だ!」と、経済社会理事会の下にあった人権委員会を人権理事会に昇格させることを提案し『そうだ、そうだ!』と賛同した日本政府。

 

 この国連機構改革は2006年にはじまり、今年元旦から日本政府は6回目の人権理事国(アジア選出)である。

 

 

 

 

 元旦の2度目の地震対策能登の豪雨洪水被害によって、多くの行方不明と死者、仮設住宅まで甚大な浸水被害

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2010年5月、ウィーン経由で第54会期子どもの権利委員会ロビーイングのためシュネーブ出張の際、座席のお隣さんこの機構改革は婦の坊やでした。

 

 過労死と日本の働かせ方に恐怖を感じたママは東欧出身でした。

 

 

 が、彼女の祖国でもなく移住先はオーストリア、ウィーンでした。

 

 

 家財道具は、船便で・・・

 

 

 

 

 かわいかったお子さんは14歳  ・・・

 

 

 


 

国際連合人間居住計画(UN-HABITAT)により「真に多目的で完全に持続可能な、世界初の洪水防止策」と称賛された治水工事。

 

 

 

行方不明の中学生が一刻も早く見つかりますように❤

 

すべての被災者の皆さんに、お金とマイナカード・プライバシー侵害の心配なく、住まいと食事としごとの提供を❣

 

こどもたちとともに

真に多目的で完全に持続可能な日本版洪水防止策に取り組む政治に転換しましょう❣

 

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「家の屋根だけが見える」 9月中旬の大豪雨からウイーンを守ったドナウ川治水システムの「凄さ」 欧州第二の大河はなぜ洪水を起こさなかったか

 

「美しき青きドナウ川」だが、豪雨により濁流となってウィーンへ流れていく(写真:筆者撮影)

 

 

 9月13日から16日にかけて豪雨が中央ヨーロッパを襲った。「ボリス」と名付けられたこの暴風雨は、ドイツ、オーストリア、チェコ、ポーランド、イタリアなど8カ国以上を襲い、200万人を超える住民が影響を受けた。 

 

【写真で見る】ドナウ川の水位がギリギリに。倒木に交じって無数のカボチャが次々と上流から流れてくる光景は異様だった 

 

■気温が30℃→10℃に一気に下がる 

 

 温暖化によって過去最高に水温が上昇した地中海。その上空に北から寒気が流れ込んだことが、雨量増加の原因となった。気温は30℃から10℃まで一気に下がり、高度1000m以上では季節外れの大雪となった。猛暑から突然の冬の到来だ。

 

 

 この豪雨により中央ヨーロッパの川が氾濫、1万人以上が避難を強いられ、21人が亡くなった。一方、100~1000年に一度といわれる水量を記録したオーストリアの首都ウィーンでは、河川はからくも洪水をまぬがれ、避難者や被災者もほぼゼロだった。 

 

 欧州第二の大河ドナウ川は、なぜ洪水を起こさなかったのか。

世界100カ国以上の現地在住日本人ライターたちの集まり「海外書き人クラブ」の会員である筆者が、ウィーンを守った治水システムを紹介する。

 

【写真15枚】水位がギリギリになったドナウ川。川沿いにつくられた散歩道やサイクリング道、テラスカフェテラスは水没した  大雨と強風が予報されていた9月13日、筆者はウィーン市街地にいた。日本では気温が30℃を軽く超えた日だが、ウィーンは8℃で風も強く、コートとレインウェアを着て長靴を履いた。とにかく寒く、強風で傘は使い物にならない。

 

 ■ウィーン市街地の「嵐の前」

 

  この日は豪雨初日。まだ川の水位は上がっていないが、市街地の一部はすでに浸水し、回り道をしなければ通り抜けられない箇所もあった。アルプスでは雨ではなく、大雪が降っていると聞いた。

 夜には雨脚が強まった。駅には乗客の姿もほとんどなく、金曜日の夜としては異様な光景だ。

 

  週末も容赦なく豪雨は続く。市からは「不要不急の外出は避けるように」と通達があり、ウィーン市の周りを取り囲むニーダーエースタライヒ州の被害が報じられるようになった。各地のダムの貯水量が上限に達し、川にあふれ出し、近隣住民が避難する様子も報道された。

 

  多くのウィーン人は自宅に引きこもり、もしものときに備えて買い出しや備蓄をしつつ、ドナウ川の動向に注目していた。

 

 ドナウ川はドイツ南部に水源をもち、オーストリア、ハンガリー、ルーマニアなど中欧・東欧10カ国以上を通って黒海に注ぐ、ヨーロッパで2番目に長い大河だ。 

 

 中欧の歴史は、ドナウの氾濫の歴史だ。

 

  何度も洪水に苦しめられてきたウィーンでは、19世紀後半にハプスブルク家の大改修により、蛇行していたドナウ川は直線に近くなった。1970~1980年代には、本流と並行した2本目の川「ノイエドナウ(新ドナウ)」を掘り、幅250m長さ21kmの細長い人工島を建設する大工事が行われた。

 

■「世界初の洪水防止策」と賞賛 

 

 ドナウ川を縦に2つに割り、片方の川の入り口に水門を設けることで、水がせき止められたノイエドナウと、本流を分けたのだ。雪解け水や上流の降雨などで水位が上がると、水門を開放して洪水を防ぐ仕組みだ。 

 

 この治水工事は、国際連合人間居住計画(UN-HABITAT)により「真に多目的で完全に持続可能な、世界初の洪水防止策」と称賛された。

 

  ドナウ川はウィーンを斜めに横切る最大の川だが、ウィーン市街地にはドナウ川の支流であるドナウ運河とウィーン川もある。これらの流れが1つでも決壊すると、ウィーン市内で多大な被害が出ることは、火を見るより明らかであった。

 雨音と不安で眠れぬ夜が明けた15日、ニュースが飛び込んできた。 

 

 普段は高さ5~7mのコンクリート製護岸壁の底にちょろちょろと流れる程度のウィーン川が、濁流となってあふれかけている映像だ。  ウィーン川は市街地の地下鉄と並行しているので、線路が水浸しになった。ドナウ運河も、船着き場が浸水し、茶色い濁流が流れている。どちらが氾濫しても、街はパニックになるだろう。普段とまったく異なる川の姿に恐怖を覚えた。

 高速道路に水があふれ、地下鉄が次々と運休し、鉄道が止まるニュースが駆け巡る。隣のニーダーエースタライヒ州は全土が災害地域に指定され、多くの住民が避難対象となるなか、ウィーンはどうなってしまうのか。

 

 ■ここでは家の屋根だけが見える

 

  隣の州に住む知人からも、被害の報告が相次ぐ。水道管があふれて地下室すべてが水没した家など、身近なレベルでも被害が絶えないという。消防は「人命救助を優先するため、地下室の浸水程度の被害では呼ばないでください」とラジオで呼びかけていた。

 

 

 軍で働く知人には召集がかかった。土嚢(どのう)積みや救助作業のために、最も被害が大きい地域へ出動した。「ここでは家の屋根だけが見える」と家族に伝えた言葉は、災害の悲惨さを物語っている。 

 

 ウィーンでもいよいよ大洪水が起こるかと思われたとき、ドナウ川の水位が基準値を超え、遊水池ノイエドナウの水門が開けられたと発表された。ウィーンを洪水から救う伝家の宝刀が抜かれたのだ。普段は穏やかな深緑色の水をたたえるノイエドナウは、水門開放とともに茶色い濁流となり、轟音とともに流れていく。

 

 雨が小降りになったタイミングで、ドナウ川と水門の状況を確認した。目の前に広がっていたのは、普段とは様変わりした大河だった。川沿いのサイクリング道は完全に水没し、テラスカフェは骨組みだけが残り、倒木がいたるところに転がっている。

 

 ■倒木に交じり流れ着くカボチャ 

 

 ノイエドナウにかかる橋は、水門開放時に取り外されているが、濁流が橋げたにぶつかってガコンガコンと音を立てている。倒木に交じって無数のカボチャが次々と上流から流れてくる光景は異様で、上流で農業を営む農家の被害を考えると心が痛む。

 雨はさらに24時間以上降り続くと予報が出ている。翌日はどこまで水位が上がるのか。自宅にある地下への浸水を覚悟し、地下室から上階にものを運び上げ、停電や断水に備える。

 

  ドナウ川と共に生きて50年という、付近に住む人に話を聞いた。 

 

 「ドナウ川があふれると、まずは水門を開放するだろ、それから川沿いのサイクリング道が浸水する。今はこの段階だ。そこから一段高い高速道路が浸水するまでは、まだ慌てなくて大丈夫」

 堤防のおかげで決壊はしていないが、よく見るとドナウ川の水位は高速道路より高くなっていた。住民はインフラの安全を信じているのだ。

 

 ■日常を取り戻すドナウ川

 

  雨が4日連続で降り続いた翌日の17日の朝、前日とは一転して青空が見え、日が差したときには、不思議な気分だった。大半の予想に反して、ドナウ川どころか、あれほど氾濫寸前だった市街地のドナウ運河やウィーン川も洪水を起こさず、大災害には発展しなかった。

 

  ドナウ川の水位は3日かけてゆっくりと下がった。ノイエドナウの水門が閉じられ、再び遊水池に戻った。濁流は穏やかな水面に戻り、茶色い水は青空を映している。

 
 
 

 水没していた川沿いの散歩道が再び姿を見せ、水鳥が餌をついばんでいる。サイクリング道に残った大量の泥をショベルカーで集めてトラックで運び出す作業が急ピッチで進み、テラスカフェの従業員が営業再開に向けて準備していた。  ウィーン川とドナウ運河も通常の水位に戻った。

 

  1000年に一度の大増水でも氾濫しなかったのには理由があった。

ウィーン市街地には複数の地下貯水池と地下トンネルがあり、その容量の限界まで水を貯めつつ、微調整による放水が繰り返されていたのだ。そのため、川はギリギリ決壊しない水位を保ち続けた。

 

■起こりえた被害を防ぐインフラ

 

  ウィーンは、遊水池ノイエドナウの水門開放と、地下貯水池の適切な運用により、過去最悪ともなりえた水害からまぬがれたのだ。 

 

 多くの人にとって、今回の豪雨は、「思ったほどの被害をもたらさなかった」と感じられるかもしれない。しかし、その裏には、何百年と積み上げられた治水テクノロジーとインフラ、そしてそれを運用する人々の手があった。

 

御影 実 :オーストリア・ウィーン在住ライター・ジャーナリスト

 

 

「家の屋根だけが見える」 9月中旬の大豪雨からウイーンを守ったドナウ川治水システムの「凄さ」 欧州第二の大河はなぜ洪水を起こさなかったか(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース