当NGO・言論・表現の自由を守る会初代代表杉山光央氏は、千葉刑務所の布川事件桜井昌司氏と杉山卓夫氏に、新聞を差し入れ、桜井さんの詩集「母ちゃんのうた」を印刷し、1部100円で普及しカンパ活動し、仮釈放・再審請求実現に尽力し、2004年7月NGO創設後、事務局はビラ配布弾圧事件裁判支援とともに、冤罪被害者布川事件支援にも取り組み、利根川近く・布川の現地調査・支援集会に参加し、2007年以降袴田事件支援にも参加。

 

 布川事件支援を長期にわたり続けていた杉山光央代表は、布川事件勝利・被害者の2人を再審実現するために一番大切なことは、桜井さんと杉山さんが喧嘩別れさせないこと。

 そのため、集会後の杉山卓夫さんサポート・おしゃべり飲み会を大切にしていました。

 

 みなさん、巌さんの再審無罪実現で、お姉さんとふたりの笑顔と穏やかな日常が一日も早く実現するよう応援してください。

 

 どうぞ、よろしくおねがいします。

 

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

 法務省

袴田巌さんの姉 ひで子さんらが再審に関する法改正を訴え

58年前に静岡県で一家4人が殺害された事件で再審=やり直しの裁判が行われている袴田巌さんの姉のひで子さんが13日、超党派の国会議員でつくる議員連盟の総会に出席し、迅速な救済のためには再審に関する法律の改正が必要だと訴えました。

 
 

再審に関する法改正を目指す議員連盟の総会には、袴田巌さんの姉のひで子さんと、57年前に茨城県で男性が殺害されたいわゆる「布川事件」の再審で無罪が確定し、去年亡くなった桜井昌司さんの妻の恵子さんが参加しました。

再審に関する今の法律には証拠開示などの具体的な規定がなく、審理の長期化につながっているとの指摘があります。

袴田ひで子さんは、「58年闘ってやっと再審開始になりました。法律に不備があると思うので二度と弟のようなことが起きないよう法改正に協力をお願いします」と訴えました。

 
 

また、桜井恵子さんは、再審請求の審理で取り調べの録音テープなど自白の信用性に疑問を投げかける証拠が開示されたと紹介し、「開示された証拠だけでも本来、無罪になっていただろうと再審の判決文で触れられていた。

長い時間と自由と権利が奪われ、一方で真犯人は罪を問われることなく生きている現実がある。

1日も早く法律を改正し、被害者の救済が進むようお願いしますと述べました。

議員連盟では、法改正を求める要望書をまとめ、近く法務大臣に提出するとしています。

 

 

 

 

 

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

 

 

 

・・・

 

第一審の水戸地方裁判所土浦支部での裁判は、1968年2月15日から始まりました。二人は強盗殺人については一貫して否認を続けました。裁判では、死体が発見された当日に二人を最寄りの駅や被害者宅への路上や被害者宅前で目撃したという複数の証人の尋問がなされ、二人の自白調書も証拠として取調べがなされました。二人と犯行を結びつける物的な証拠は一切ありませんでした。

 

裁判所は、二人と犯行を結び付ける物的証拠は一切ないものの、二人は詳しい自白をしているし、現場につながるいくつかの場所で、犯行日時と推定された8月28日に二人を見た人が多数いるとして、二人を有罪にしました。二人は控訴しましたが、棄却され、最高裁判所に上告しました。しかし最高裁判所は長文の決定を出し、自白がなくても目撃証人らの証言などの情況証拠があるので十分に有罪と認定できるとの理由を付して棄却しました。

 

刑務所に服役中の1983年、二人は裁判のやり直し、再審の請求をしましたが、9年の歳月がかかったものの認められませんでした。1996年11月仮釈放になって社会に戻った二人は、諦めることなく弁護団とともに再審請求の準備を始め、2001年12月に2回目の再審請求をしました。

 

再審請求の手続では、(1)確定判決が摘示した被害者の死因は「扼殺」ではなく、「絞殺」である、(2)二人を見たという多数の目撃証言は、目撃した日時を間違っていた、(3)夜間に二人を見たという証言については、実験をすると正確には視認できない、(4)指紋が発見されないのは二人が現場にいなかったことを示す、(5)櫻井さんが獄中で綴っていた日記からは警察官や検察官の違法な取調べがなされたことが強くうかがえ、無実の者しか書けない内容に満ち溢れている(獄中日記の写真ご参照)などなど多くの疑問が指摘され、これを支える多数の新証拠が提出され、審理がなされました。医学鑑定に関する証人尋問をはじめとして複数の証人の尋問も行われ、2005年9月、水戸地方裁判所土浦支部は、裁判のやり直し、再審開始を決定しました。これを不服として検察官は即時抗告をしましたが、東京高等裁判所はさらに事実調べを行い、2008年7月、検察官の不服申立てを退けました。これに対して検察官は最高裁判所に特別抗告まで行いましたが、2009年12月、最高裁判所も検察官の不服申立てを退け、再審の開始が確定しました。弁護団は、再審請求手続において、検察官が手元に保有する未開示の証拠を開示するよう繰り返し要請し、検察官が開示した証拠のうち、無罪をうかがわせる証拠を新証拠として出し続けました。その中には、櫻井さんに対する取調べを録音したテープもありましたが、分析をすると、捜査官が録音を止めたり、テープを戻したりして取調べ内容を操作していることが分かりました。証拠開示がなされたことで、検察官が隠し持っていた無罪方向の証拠が明らかにされたのです。

 

櫻井昌司さん作成の獄中日記(1967年11月8日~1970年10月6日のもの)

 

2010年7月からやり直しの裁判、再審公判手続きが始まり、都合7回の公判が行われました。ここでも弁護団は、検察官に対してまだ開示していない証拠を開示するよう求め、開示された無罪方向の証拠を提出しました。再審公判では、事件当時杉山さんを被害者宅前で目撃したという証人の尋問がなされましたが、杉山さんであったという特定はされませんでした。また二人に対する被告人質問がなされ、二人は警察や検察における取調べの状況を詳しく供述し、違法捜査がなされていたことが赤裸々に語られました。二人が取調べの状況を、長い期間にわたり、何度も反芻しつつ記憶を紡いできたことが強くうかがえます。

 

判決では、櫻井さん、杉山さんら二人の犯人性は、これを推認させる情況証拠は何ら存在しないこと、他方、自白の任意性には疑義があること、信用性については否定されること、捜査官の違法な取調べがなされたこと、捜査官は偽証をしていたこと、再審請求審で開示された櫻井さんに対する取調べ中の様子を録音したテープは、各種の細工がなされていたことなどが指摘され、二人は強盗殺人の犯人ではないとして無罪となりました。

 

二人が逮捕されてから、実に44年の年月が経過して、二人が一貫して叫び続けていたことがやっと認められて汚名をそそぐことができたのです。警察や検察が違法な捜査を続け、検察官が不十分な証拠に基づき無理やり起訴し、公判では警察官が偽証まで繰り返していましたが、再審公判ではそうした多くの違法行為が明らかにされました。

 

 

以上のとおり、再審開始決定は検察官が不服申立てをしたことにより、4年以上時間が余計にかかりました。また、検察官が隠し持っていた未開示の記録が開示されたことにより、無罪の方向を示す証拠が、実は多数存在していたことが明らかになり、検察官の不正な対応が明るみに出たことも指摘できます。再審開始決定に対する検察官の不服申立てを禁止すること、検察官手持ちの未開示証拠が開示されることは無論のこと、70年以上も改正されたことのない不備だらけの再審請求手続が全般的に改正され、適正化が図られることが重要と考えられます。

再審法の世界に、「法の支配」の原則を確立させないといけません。