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強制失踪条約における「強制失踪」の定義と その国内犯罪化義務 

 

薬師寺 公 夫

 

論文要旨

 

事法上の犯罪とするために必要な措置をとる国の義務とについて検討したものである。強制失踪は拉 致のように,直接国の機関により又は間接的に国の許可,支援又は黙認を得て行動する人や集団に よって行われるあらゆる形態の自由のはく奪を行う行為であって,その自由の剥奪を認めず又はそれ による失踪者の消息若しくは所在を隠蔽することを伴い,かつ,その失踪者を法律の保護の外に置く ものをいう (第 2 条) と定義されている。この定義は,「長期間法律の保護の下から排除する意図」 等の要素を必要とする国際刑事裁判所規程第 7 条 2 項 (i) 及び国連国際法委員会の人道に対する犯 罪第 1 読草案第 3 条 2 項の「強制失踪」の定義とは,異なっている。強制失踪の対象とされない権利 を独立の人権として定めることによって,強制失踪からの保護と被害者の救済並びに強制失踪に対す る訴追・処罰をはかろうとした強制失踪条約は,なぜ上記第 2 条のような ICC 規程とは異なる「強 制失踪」の定義を採用するに至ったのか。本稿一では,この経緯を条約起草過程の検討を通じて明ら かにするとともに,最初の個人通報事件であるイルスタ事件の強制失踪委員会の見解を検討すること を通じて,3 要素説にたつ同委員会が上記の定義をどのように解釈したのかを明らかにした。 強制失踪条約は,不処罰との闘いを強化するために,第 2 条に定義する「強制失踪」を条約の基準 に従って国内法上の刑事犯罪とする義務を締約国に課した(第 4 条から第 8 条)。そこで本稿の二では, 強制失踪条約がどのような措置を締約国に義務づけているかを条約の起草過程と国家報告の検討手続 を考察することによって明らかにした。強制失踪の構成要件につき 3 要素説を採用する強制失踪委員 会が強制失踪罪を継続的,自律的かつ単一の独立罪とみなして,同罪の極度の重大性に適合した固有 の重罰,上官責任,出訴期限等を制定する義務を強調するのに対して,締約国には日本も含めて既存 の国内刑事法上の犯罪及び制度を組み合わせることによって対処しようとする傾向が強い。そこで二 では,刑事法に関する条約義務の国内実施のあり方について,委員会と締約国の間にどのような論点 と課題が生じてきているのかを考察した。

 

はじめに 

 

2006 年に国連総会で採択され 2010 年 12 月 23 日に効力を発生した「強制失踪からのすべて の者の保護に関する国際条約」(以下強制失踪条約) は,拷問等禁止条約及び児童の売買等に関 する児童の権利条約選択議定書等と同じく国連人権条約にはあまり見られない国際刑事法に関 する規定ををもっている。すなわち「強制失踪」を条約上の犯罪として定義し,その国内犯罪化と処罰義務を定めるという側面である。強制失踪条約は,国連テロ防止関連条約の基本パ ターンに従って1),犯罪となる「強制失踪」を条約で定義しているが,刑罰については当該犯 罪の重大性に適合した厳しい刑罰を要求するものの,具体的な刑罰の設定は締約国の国内法に 委ねている。他方一般の国際テロ防止関連条約や児童の売買等に関する児童の権利条約選択議 定書が主に私人のテロ行為や児童の売買等の行為を処罰対象としているのに対して,強制失踪 条約や拷問等禁止条約は,国が関与した強制失踪や拷問を規制対象とし,純然たる非国家主体 による同様の行為については,強制失踪条約が,第 3 条で一般的に,締約国は当該の行為を 「調査し,かつ,それらについて責任を有する者を裁判に付するために適当な措置をとる」と 定めるに止まる。つまり,一般の国際テロ防止関連条約とは異なり,強制失踪条約は,国家が 関与する強制失踪罪のみを対象として,締約国に「強制失踪が自国の刑事法上の犯罪を構成す ることを確保するために必要な措置をとる」(第 4 条) ことを求め,そのために必要な条約上 の義務をより細かく定めている。 国際条約が定義した犯罪をどのように国内法で受け入れ,どのような刑罰を科すかは,従来, 基本的には締約国の主権事項と見なされてきたといってよい。国際犯罪とはいっても集団殺害 罪のような「国際法上の犯罪」とは異なり,「強制失踪」罪や「拷問」罪は直接国際法によっ て個人が規律されるわけではなく,他方,罪刑法定主義を求める国内法の規定があるため,国 際犯罪を定義した条約規定を国内で直接適用することは殆どの国で認められていない。そこで 「強制失踪」罪も国内刑事法の規定に変型することが必要になるが,条約が定義する犯罪をそ のまま独立の犯罪と定める国内法を新設するか,刑事法上の既存の犯罪を組み合わせて適用す るかの判断は,従来の考えでは,基本的に国内管轄事項と考えられてきた。特に国際テロ防止 関連条約の基本パターンを受け継ぐ条約の実施の方法は,基本的に各締約国に委ねられてきた。 例えば日本は,1970 年の航空機不法奪取防止 (ハーグ) 条約を締結するに当たっては,条約義 務の履行を担保する国内法として「航空機の強奪等の処罰に関する法律」(1970 年) という特 別法を制定したが,人質をとる行為に関する国際条約の批准 (1987 年) を契機に国際テロ防止 関連条約を締結するたびに刑事特別法を制定する必要がないように,刑法総則に「条約による 国外犯」に関する第 4 条の 2 を付加することによって「刑法第二編の罪」を適用するという形 で処理することになった (もちろん既存の実体刑法規定で対応できない部分は刑法の改正や特別法の 制定によって対処してきている)2)。既存の刑事法で対応するという実行を行っている国は,日本 に限られないが,こうした場合,国際条約に定める犯罪の定義と国内法上の犯罪の定義との間 にずれが生じることがありうる。例えば,強制失踪条約が定める国家機関の関与のある「強制 失踪」の場合,刑法第二編には強制失踪罪それ自体は存在しないために,刑法第二編の関連各 犯罪を適用することによって「強制失踪」行為の国内的な訴追・処罰を担保するということに なるが,刑法第二編の罪の適用によって条約に定義する「強制失踪」行為が首尾よくカバーできるのかという問題が生じうる。 もっとも国際テロ防止関連条約を含めて従来国際刑事犯罪条約は,条約実施の恒常的機関を 設けてこなかったため,条約の解釈・適用をめぐる国家間紛争が国際司法裁判所 (ICJ) に提 訴されるような特殊な場合を除けば3),条約の実施は,条約の解釈権をもつ締約国のみによっ て担保されてきたといってよい4)。もっとも最近では国連腐敗防止条約や国連国際組織犯罪条 約のように条約実施を監視する制度 (review mechanism) を設ける国際刑事条約も現れてきて いるが5) ,これらの実施手続は,最良の慣行と課題を共有し効果的な実施を援助することを目 的としており,締約国会議の下に置かれた締約国間のピア・レビューの形式をとることを特色 としている。これに対して,拷問等禁止条約と強制失踪条約は,「拷問」罪及び「強制失踪」 罪の抑圧のために国連の国際テロ防止関連条約の基本パターンを受け継いだ犯罪規制及び国際 刑事協力のための規定を設けるとともに,国連人権条約の条約実施制度の基本パターンを踏襲 して,条約の実施を国家報告手続,個人通報手続,国家通報手続によって履行監視するシステ ムを採用した。このため,刑事関連規定についても国家報告に対する拷問禁止委員会 (CAT) 及び強制失踪委員会 (CED) の審査が行われ,個人通報手続では被害者により刑事関連規定に 関する国の義務違反が問われうる仕組みとなっている。重大な人権侵害の不処罰を許さない取 り組みの一環として独特の制度が設定されていることになるが,この制度が実際にどのような 機能を果し始めているのかを,本稿の課題である強制失踪条約について検討してみたいと思う。 なお,強制失踪条約の第 5 条は,「強制失踪の広範又は組織的な実行」が国際法上の「人道 に対する犯罪」を構成すると定めるが,国際刑事裁判所 (ICC) 規程第 7 条 1 項及び 2 項 (i) で定める「人道に対する犯罪」とは,いくつかの重要な点で構成要素を異にしている。さらに 国連国際法委員会が 2017 年に作成した「人道に対する犯罪」第 1 読草案は,強制失踪につい て ICC 規程の定義を採用し,その防止・処罰のために国に国際テロ防止関連条約の基本パ ターンに沿った国内犯罪化義務,刑事管轄権設定義務,訴追か又は引渡しかの義務などを定め ている。強制失踪及びそれが「人道に対する犯罪」を構成する要件について異なる定義及び基 準を採用するいくつかの国際文書が登場する中,ICC 規程と強制失踪条約の双方の締約国であ る日本が,それぞれの条約制度の下で別個の義務をどのように履行していくのかが課題となる が,本稿では,その一つである強制失踪条約の「強制失踪」の定義に焦点を絞って,同条約上 の「強制失踪」犯罪の国内犯罪化義務の実施方法について,強制失踪委員会の総括的所見及び 見解にも考慮を払いながら若干の検討を加えてみたいと思う。

 

 

二 「強制失踪」の定義をめぐる問題 

 

(1) 強制失踪条約における「強制失踪」の定義

 

 ―― 国際刑事裁判所規程との違い ―― 

 

強制失踪条約第 2 条は,強制失踪を「国の機関又は国の許可,支援若しくは黙認を得て行動 する個人若しくは集団が,逮捕,拘禁,拉 (ら) 致その他のあらゆる形態の自由のはく奪を行 う行為であって,その自由のはく奪を認めず,又はそれによる失踪 (そう) 者の消息若しくは 所在を隠蔽 (ぺい) することを伴い,かつ,当該失踪 (そう) 者を法律の保護の外に置くもの をいう」と定義する。他方,ICC 規程第 7 条 2 項 (i) は,人道に対する犯罪に限ってはいる が,「人の強制失踪」を「国若しくは政治的組織又はこれらによる許可,支援若しくは黙認を 得た者が,長期間法律の保護の下から排除する意図をもって,人を,逮捕し,拘禁し,又は拉 (ら) 致する行為であって,その自由をはく奪していることを認めず,又はその消息若しくは 所在に関する情報を提供することを拒否することを伴うものをいう」(傍線筆者) と定義する。 「人道に対する犯罪」に関する ILC 第 1 読草案第 3 条 2 項 (i) も,ICC 規程第 7 条 2 項 (i) の定義をそのまま採用する。強制失踪が「人道に対する犯罪」となる条件も,強制失踪条約と ICC 規程とでは基準が異なっている。すなわち,強制失踪条約は,強制失踪の「広範又は組織 的な実行」があれば,適用可能な国際法に定める「人道に対する犯罪」に該当すると定めるが (第 5 条),ICC 規程は,強制失踪が「人道に対する犯罪」となるためには,その行為が「文民 たる住民に対する攻撃であって広範又は組織的なものの一部として」行われ,しかも,「その ような攻撃であると認識しつつ」行われていることを要件とする (第 7 条 1 項)。 両者を比較すれば,その違いは一目瞭然であろう。第 1 に,「強制失踪」そのものの定義が 異なる。強制失踪条約が,国対個人という人権条約の枠組みに従って国が関与する強制失踪の みを定義するのに対して,個人 (国の元首等も含む) の国際犯罪を扱う ICC 規程は「政治的組 織」による強制失踪も規制対象にする。もちろん,強制失踪条約も,国が関与しない「個人又 は集団が行った」強制失踪行為を「調査し,かつ,それらについて責任を有する者を裁判に付 するために適当な措置をとる」ことを締約国に義務づけているが,非国家主体による強制失踪 同等の行為は同条約の主眼目ではない。今ひとつ大きな差違は,強制失踪条約が,①自由のは く奪,②国の何らかの関与,③国による自由のはく奪の否認又は消息等の隠蔽を要件とし,失 踪者を法の外に置く意図までは要求していないのに対して,ICC 規程は上記 3 要件に加えて, 国又は政治的組織が「長期間法律の保護の下から排除する意図をもって」行為することを必要 としている。ICC 規程第 7 条は,法律の保護の外に置くことを要件化するだけでなく,それが 「長期間 (for a prolonged period)」に及ぶこと及び行為者にその「意図」があったことの証明を 求めているのである。 第 2 に,強制失踪が「人道に対する犯罪」を構成する基準も,両者で異なる。強制失踪条約は,強制失踪の単なる「広範又は組織的な実行」があれば「人道に対する犯罪」の成立を認め る規定ぶりであるのに対して,ICC 規程は,強制失踪が「文民たる住民に対する攻撃であって 広範又は組織的なものの一部として」行われること,さらに行為者が「そのような攻撃である と認識しつつ行う」ことを「人道に対する犯罪」の成立条件としている。ICC 規程は「国際的 な関心事である最も重大な犯罪」のみを規律対象とするが,国内刑事法の介在を待たず直接個 人を拘束する「国際法上の犯罪」である「人道に対する犯罪」について,なぜ強制失踪条約は ICC 規程とは異なる規定の仕方をしたのだろうか。最近,「人道に対する犯罪」について国連 の国際テロ防止関連条約の基本パターンに従って国家の義務を法典化しようとした ILC は, 強制失踪に関して ICC 規程第 7 条の定義と基準を採用する第 1 読草案を採択した。「人道に対 する犯罪」を構成する強制失踪を国内犯罪化し,刑事管轄権を設定し,訴追か又は引渡しかの 義務を引き受ける国家の立場からすれば,二つの異なる基準が存在することは,決して望まし いことではない。そこで ILC の第 1 読草案第 3 条 2 項 (i) は,ICC 規程第 7 条 2 項 (i) の強 制失踪の定義をそのまま採用しつつも,第3条4 項に「この条文案は国際文書又は国際法に定 めるより広い定義を損なうものではない」6) という規定を新たに追加することで,強制失踪条 約等の人権諸条約との調整をはかっている。また同条項に関する ILC の注釈は,「強制失踪」 の定義にふれ,第 1 読草案第 3 条 2 項 (i) の定義は ICC 規程第 7 条 2 項 (i) に従ったもので 強制失踪宣言,米州強制失踪条約,国連強制失踪条約の定義とは異なり,第3条4 項に定める ように,国がこれらの文書や国内法でより広義の定義を採用することを排除しないが,「人道 に対する犯罪」条文草案の範囲に入らない国内法上の要素は犯罪人引渡しや司法共助などの点 で本条文草案の利益を受けない,と指摘している7)。しかし,国連強制失踪条約は犯罪人引渡 しや司法共助などの国際協力義務を定めているから,同条約締約国が,強制失踪及び「人道に 対する犯罪」の国内犯罪化,刑事管轄権の設定,訴追か又は引渡しかの義務について,ILC 条 文草案とは異なる定義と基準に従ったより広範な義務を引き受けなければならないことには変 わりはない。 しかし,このような相違が生じたのは,強制失踪条約と ICC 規程の起草作業が並行して行 われる中,1988 年に採択された ICC 規程 (2019 年2月末で締約国は 123 カ国) の強制失踪の定義 を,2006 年採択の強制失踪条約 (2019 年2月末で締約国は 59 カ国) が採用しなかったことに起 因する。前述したように,強制失踪条約は,とりわけ強制失踪の定義から「政治的組織」の要 素と,「長期間法律の保護の下から排除する意図」の要素を排除した。以下では,後者の要件 を強制失踪の定義から排除した経緯に焦点を絞って,なぜ強制失踪条約起草者は ICC 規程と は異なる基準を採用したのかについて簡単に振り返っておきたい。国家機関が関与する強制失 踪の国内犯罪化義務に重要な関連をもつからである。他方の「政治的組織」の排除については, 個人の国際法上の犯罪を定義し国際刑事裁判所の管轄権を確立することを主要な目的としたICC 規程とは異なり,人権条約である強制失踪条約の場合は,個人の人権と国家の義務という 人権の伝統的な法枠組みを考慮して,個人の人権を保護・確保・実現する専ら国家の義務に焦 点を絞らざるをえない結果,政治的組織による強制失踪については直接の規律対象とはせず, 非国家主体による強制失踪を調査・訴追する国の義務のみを扱う別個の条文 (第 3 条) を新設 することで対処したといえる8)。非国家主体による強制失踪については,拙稿「強制失踪条約 における非国家主体の人権侵害行為と締約国の責任」9) で詳しく論じているのでそれに譲る。 (2) 強制失踪条約における「強制失踪」の構成要素 ―― 3 要素説と 4 要素説の攻防 ―― T. スコバッチ及び G. シトロニは,1996 年の「強制又は非自発的失踪作業部会 (WGEID)」の 報告が強制失踪の定義に含められるべき三つの要素,すなわち,①人の意思に反した自由のは く奪,②政府職員の少なくとも黙認の形態による間接的な関与,③自由はく奪の否認と失踪者 の所在等の隠蔽,を明確に指摘したが,この内の②と特に③が強制失踪に典型的な要素だと述 べる10)。右の WGEID 報告書は,強制失踪を国内法上の犯罪とすることを求めた 1992 年の強 制失踪宣言第 4 条に関連して,刑法の規定を同宣言前文に定める強制失踪の定義に合わせる必 要はないが,強制失踪行為を強制的な自由のはく奪,誘拐,外界との連絡を断つ拘禁 (incommunicado detention) 等と明確に区別して定義することを求めており,そのために強制失踪に不 可欠な 3 要素を提示したのである11)。司法行政作業部会の 1998 年の報告に付された強制失踪 条約案の第 1 条は,強制失踪の定義にこの 3 要素を採用した12)。 他方,人道に対する犯罪に関する ICC 規程の強制失踪の定義は,1998 年 4 月の準備委員会 段階の定義案では,この 3 要素以外に,第 4 の要素として,自由はく奪の否認と失踪者の所在 等の隠蔽により「失踪者を法律の保護の外に置く」ことが加えられた規定になっていた13)。し かし,T. スコバッチ及び G. シトロニによれば,7 月になって「なんらかの不明確な理由に よって」,現行の規定のように「長期間法律の保護の下から排除する意図」を必要とする規定 に置き換えられたとされる14)。さらに ICC 規程採択後の「犯罪の要素」では,強制失踪の実 行者は,自由のはく奪の後に自由はく奪の否認と失踪者の所在等の隠蔽が続くこと,並びに, 強制失踪が文民に対する広範又は組織的な攻撃の一部として行われたことに気づいていたこと まで求める内容になっている,ことが指摘されている15) 。結局,二人によれば,強制失踪の意 図と期間を組み合わせることで ICC 規程は,検察官に殆ど不可能な挙証責任を課すもので, 人権保護文書のモデルとしてはいい例とはいえず,ICC で裁かれる者に適用を限定すべきもの だ,とされている16)。ただし,ICC 規程第 7 条 1 項及び 2 項の上記規定は,あくまで ICC が 「人道に対する犯罪」を構成する「強制失踪」罪につき個人の刑事責任を認定するための基準 を定めた規定であって,それ以上でもそれ以下でもない点に注意すべきであろう。 強制失踪に関する上記 ICC 規程第 7 条の定義に追加された犯罪の主観的要素 (意図) の要件が,国が強制失踪の実行者を訴追しようとする際に,国の当局及び裁判所の挙証責任の負担を 極端に増大させることは,2002 年のノバック報告でも指摘されている。彼は,将来の国際文 書において国内刑事法上の犯罪とすることを求められる強制失踪は,ICC 規程に含められたも のよりも広いものでなければならないと指摘した17)。しかし,「法律の保護の外に置く」とい う要素を強制失踪の追加的な要件とみなすか否か,さらに「長期間法律の保護の外に置く意 図」という長期性及び故意性の要素を加えるべきか否かについては,強制失踪条約の採択まで 議論が続いた。 会期間作業部会の 2003 年報告書によれば,強制失踪の定義に当たり構成要素として,少な くとも,(a) 自由のはく奪 (形態を問わない),(b) 自由はく奪の否認,(c) 失踪者の法律の保 護からの排除,の 3 要素があるという点では諸国代表の考え方がある程度まとまっていたもの の,これらの要素に加えて (非国家主体の問題を除いても),(d) 強制失踪の期間,(e) 武力紛 争への適用,(f) 越境的な失踪の問題等についてもふれるべきだという意見があったほか,強 制失踪犯罪の構成要素を明確にするために主観的要素にふれるべきだと主張する意見に対して, 刑事司法に実効性を与えるためには主観的要素を含めるべきでないとする意見が出されるなど, なお多様な意見が存在していたことが窺える18)。次いで会期間作業部会の 2004 年報告書によ れば,ケセジャン特別報告者・議長作成の定義に関する作業文書第 1 条案に,①自由のはく奪 (形態を問わない),②自由のはく奪の否認又は失踪者の消息等の隠蔽,③失踪者を法律の保護 の外へ置くこと,の 3 要素が明示されたが,この案をめぐっては,最新の国際法を反映した ICC 規程の定義と異なることに遺憾を表明する代表と,人道に対する犯罪に当たるような強制 失踪に対する刑事裁判権を ICC に付与する ICC 規程とあらゆる強制失踪からすべての人を保 護する強制失踪条約とでは目的が異なるから,強制失踪条約ではより広い強制失踪の定義が好 ましいとする代表の意見とが別れ19) ,「失踪者を法律の保護の外に置く」ことについては特に 次の点で意見の対立があったことが窺われる。第 1 に,法律の保護からの「長期間の」排除を 支持する代表が,逮捕と拘禁通知との間には一定の期間が必要だと主張したのに対して,反対 意見の代表は,強制失踪は自由のはく奪の否認があれば逮捕の瞬間から始まるのであって, 「長期間 (prolonged period)」という曖昧な文言は不必要であり,一定期間の経過を待つことな く自由のはく奪に即時介入できることが必要だと主張した20)。また,「法律の保護からの排除」 の意味が「意図」なのか「結果」なのかをめぐっても,国内法は犯罪の遂行に意図の要素が存 在することを要求しているから実行者の強制失踪を行う意図が明示されなければならないとす る意見と,そうした意図の証明は困難であり意図という追加的要素は不要だという意見とが表 明され,いくつかの妥協案が示されたが妥協には至らなかった21)。 続く会期間作業部会の 2005年報告書によれば,前年の議長作業文書の第 1 条案から政治的 組織の文言を削除した改訂定義案に基づいて起草作業を進めた結果,同年 9 月の会期間作業部会で,「逮捕,拘禁,拉 (ら) 致その他の」という文言を追加すれば現行条文と同一の条文案 について,合意が成立した。若干の代表は,第 1 条案は無修正のまま国内法に引き写されるよ うな刑法上の定義ではなく,人権侵害について定義したものであると指摘したが22),「法律の 保護からの排除」についてはなお次のような事情があった。すなわち,議長がコンセンサスの ために,英文はそのままにして仏文テキストの “la sourstrayant ainsi à la protection de la loi” から “ainsi” を削除することにより,「法律の保護からの排除」が強制失踪の結果なのかそれ とも定義の一部なのかをめぐる問題に「建設的な解釈上の曖昧さ (constructive ambiguity)」を 設けることを提案したが,この提案はコンセンサスを得られなかった23)。この会合でも,若干 の代表はなお失踪の目的は失踪者を長期にわたり法律の保護から排除することにあると主張し, 又は,罪を問うことができるようにするためには意図の要素を入れる必要があると主張して, 期間と意図の挿入を追求したのに対して,他の代表は,一般的な意思 (dol général) ついては 国内法が定めを置いているから条約で意思についてふれる必要はなく,法律の保護からの排除 は失踪の結果に過ぎず追加的要件 (特定の意思 dol spécial) と見なすべきではないとし,あるい は,意図の表示を義務づける新たな基準の追加は単に証明を困難にするだけだと反論した,と 報告されている24)。しかし,こうした経緯を経て,強制失踪条約第 2 条の定義規定についてな んとかコンセンサスに達した会期間作業部会の 2006 年報告書によれば,アルゼンチンが,強 制失踪の対象とされた人が「法律の保護の外」に置かれるのは失踪に当然付随する事柄であっ て強制失踪の 3 要素の結果であり追加的構成要素ではないという立場を明確に表明したのに対 して,中国,エジプト,英国は,「法律の保護の外に置かれる」ことは 3 要素の結果ではなく, 第 4 の要件であるとみなす立場を表明し,さらに米国及びカナダは,強制失踪犯罪を行った個 人の刑事責任を問うには意思の要素が不可欠だと主張して,米国は「法律の保護から排除する 意図をもって」という文言への修正を主張した25) 。作業部会最後の一般演説でも米国は,第 2 条が故意性の要素を含めるように定義する必要があり,もっとなすべき作業があると信ずると 述べ,インドも「建設的な解釈上の曖昧さ」は同一犯罪について異なる証明基準を生じさせる が,心理的要素 (mens rea) は行為を犯罪とするための不可欠の要素であるから意図の要素を 明示しなかったからといって挙証責任の軽減にはならないと述べた26)。英国も日本も,「法律 の保護の外に置かれる」ことを強制失踪の第 4 の要件とする考え方を支持した27)。作業部会の 議長は,第 2 条案本文の曖昧さについて注意を喚起し,この文言を強制失踪の定義の不可分の 一部とみるかみないかについては立法者に解釈の選択権を与えていること,また批准時に国は この点について解釈宣言を行う完全な権利を有することについて言及し,また意図についても, すべての要素は意図なしには相互に結びつかず,いかなる刑事制度の下でも意図なしに強制失 踪犯罪は成立しないから定義の中に意図は黙示されていると説明した28)。 強制失踪の定義に関する第 2 条の以上の起草過程から次のことが窺われる。

第 1 に,強制失踪の 3 構成要素である,①形態のいかんを問わず人の意思に反する自由のはく奪,②国家機関 の直接又は間接 (黙認を含む) の関与,③自由のはく奪の否認又は失踪者の消息等の隠蔽,に ついては,①について具体的な行為に言及するか否かの問題を除けば,諸国間に異論がなかっ た。また,②及び③,とりわけ③の要素が他の自由のはく奪と区別される強制失踪の特徴を示 す中核的構成要素であることについても,異論はなかったと見てよいであろう。第 2 に,強制 失踪条約第 2 条の強制失踪の定義は,あらゆる形態の強制失踪から個人を保護し,強制失踪の 不処罰を許容しないという人権条約の目的に適合するように可能な限り広い定義が採用されて いる。したがって,強制失踪の被害者の保護や強制失踪の実行者の不処罰を実質上許容するこ とになる障害や主観的要素は強制失踪の構成要素の定義それ自体からは除外されたように思わ れる。第 3 に,これと関係するが,起草過程を通じて強制失踪の構成要素について諸国の見解 が最も分かれたのが,第 2 条の「当該失踪者を法律の保護の外に置くもの」という規定の解釈 である。まず ICC 規程第 7 条 2 項 (i) と異なり,「長期間 (prolonged period)」という言葉は 期間が曖昧な上,強制失踪の範囲を不当に狭めるものとして,構成要素には入れられなかった し,この削除に反対する意見はそれほど強くはなかったと見受けられる。自由のはく奪から家 族への通知までにどの程度の時間的経過が許容されるのかという解釈・適用問題は残るとして も,自由のはく奪の長期間にわたる否認や隠蔽がなければ強制失踪に該当しないということに はならないと思われる。次に,「法律の保護の外に置く」ことが強制失踪に該当するための第 4 の構成要素となるのか,上記 3 要素を満たすことによって当然生じる結果を定めたものに過 ぎないのかについては,起草過程を見る限り,起草者の意思に一致があったとは認められない。 会期間作業部会議長による「建設的な解釈上の曖昧さ」の試み自体が双方の解釈の余地を残す 試みであり,それがコンセンサスにならなかったからといっていずれかの解釈が採用されたと はとてもいえない。起草過程を見る限り別個の解釈が成立しうる余地があったといわざるを得 ないだろう。T. スコバッチ及び G. シトロニも,「法律の保護の外に置く」という要素が犯罪 の自律的要件か強制失踪が行われたことの単なる結果なのかを明確にしないように起草されて おり,一種の「建設的な解釈上の曖昧さ」と考えられる,と指摘する29) 。他方,「法律の保護 の外に置く意図をもって」の「意図をもって」という文言は,意識的に規定に含められなかっ た。主観的な意図が長期間と組み合わされると殆ど立証不可能になるという実際的理由がその 背景にあったと思われる。意図に関する規定が採用されなかった以上,「法律の保護の外に置 く」ことの意図の証明がなければ強制失踪条約上の「強制失踪」には該当せず,条約のいかな る実体規定の適用もないということにはならない。しかし,強制失踪の国内犯罪化義務に関連 して,強制失踪の 3 要素の内,自由のはく奪,自由のはく奪の否定又は失踪者の消息等の隠蔽 について全く意図が認められない者についてまで刑事責任が問えるように締約国を義務づけた かといえば,そうではない。会期間作業部会議長も,いかなる刑事制度の下でも意図なしには強制失踪犯罪は存立しないから定義の中に意図は黙示されていると述べたように,強制失踪の 定義の中で意図にあえて言及しなかったのは,刑事犯罪行為の成立に心理的要素の存在がなけ ればならないという国内法上の一般原則を排除することを意味しないという一般的了解があっ たからである。しかし,強制失踪を国内犯罪とする立法措置をとる際に強制失踪犯罪の構成要 件として,実行者にどこまでの認識を求めるのかについては条約第 2 条の定義は曖昧さを残し たといわざるをえないだろう。 他方,「人道に対する犯罪」とは「文民たる住民に対する攻撃であって広範又は組織的なも のの一部として,そのような攻撃であると認識しつつ行う」殺人,絶滅行為,奴隷化,住民の 追放又は強制移送などの行為をいうと定義する 1998 年の ICC 規程第 7 条 1 項は,ニュルンベ ルグ及び東京の裁判所条例以来発展してきた人道に対する犯罪の一つの歴史的到達点を定式化 したものである。他方,一定の要件を備えた強制失踪が人道に対する犯罪に該当するという考 え方が表明されるようになるのは,T. スコバッチ及び G. シトロニによれば 1980 年代初頭以 降のことだと言われ,強制失踪の組織的な実行が人道に対する犯罪の性質を有するといった性 格づけは 1992 年の強制失踪宣言前文でもなされている30)。1998 年に人権小委員会司法行政作 業部会が作成した強制失踪条約案第 3 条は,「強制失踪の組織的な又は大規模な (massive) 実 行」を人道に対する犯罪と性格づけ,それを実行し又は関与した被疑者は,関与の性格がどん なに限定的なものであっても,その行為が「強制失踪の組織的な又は大規模な (massive) 実 行」の一部であることを知っていた又は知っているべきであった場合には人道に対する犯罪に 問われるべきであると規定し,さらに強制失踪が人道に対する犯罪に該当した場合の法的効果 (刑罰の重さに関する第 5 条,時効に関する第 16 条 1 項等) について規定していた31)。しかし,その 後,強制失踪条約で人道に対する犯罪にふれるべきか否かについては諸国代表の意見が分かれ た。会期間作業部会の 2005 年報告書によれば,将来の文書は ICC 規程等で既に定められてい る人道に対する犯罪の問題に立ち入るべきではないという意見が出される一方で,ICC 規程は 人道に対する犯罪に対する ICC の管轄権を規定しているが他の問題については定めていない ので強制失踪が人道に対する犯罪に該当する場合の国内法上の義務等に関する定めを置くべき だという主張もなされ,また規定を設ける場合にも,ICC 規程第 7 条 1 項にならって強制失踪 は「文民たる住民に対する攻撃であって広範又は組織的なものの一部として,そのような攻撃 であると認識しつつ行われる場合には人道に対する犯罪を構成する」という規定にするのか, それとも「強制失踪の広範又は組織的な実行は人道に対する犯罪を構成し,国際法の定めると ころにより決せられた結論を引き受けなければならない」という規定にするのかをめぐって意 見が分かれたが,多くの代表は,現行国際法特に ICC 規程の基準からかけ離れた基準を採用 すべきではないという意見であった,とされる32)。会期間作業部会での議論が続けられ,上記 後者の案の「人道に対する犯罪」の前に「適用可能な国際法に定める」という文言を入れる妥協案が提案され,これが現行の第 5 条となったことが認められるが,「適用可能な国際法」と は ICC 規程第 7 条のことを指すとみる解釈もあれば,それを明記しなかったことを遺憾とす る見解,さらに強制失踪条約第 5 条は実体条文としての意味をなさず前文にいれるべきだった とする見解などが表明され,他方では,広範又は組織的な攻撃の一部として強制失踪が行われ た場合には,それがたった一件の強制失踪であったとしても人道に対する犯罪を構成するとい うのが現行国際法であるところ,現行条文はこの規則からの後退を示すという見解も表明され た33)。これに対して作業部会議長は,「適用可能な国際法」という文言は中立的なもので,人 道に対する犯罪に関係する国際法を弱めるものではないと反論している34)。この文言には, ICC 規程及びこれまでの ICTY 等国際刑事裁判所の判決で認められてきた規則だけでなく, 今後の規則の発展も含意されているものと思われるが,強制失踪条約第 5 条の「広範又は組織 的な実行」という文言のみを見て ICC 規程第 7 条に定める基準とは異なる基準が採用された と見るのは誤りであろう。ただ第 5 条は,強制失踪が人道に対する犯罪を構成する要件につい ても,人道に対する犯罪を構成した場合の法的効果についても直接義務の内容を定めておらず, すべてを「適用可能な国際法」に委ねる規定ぶりとなっていることに注意しなければならない。 (3) 強制失踪委員会における「強制失踪」の解釈 ―― イルスタ事件見解と 3 要素説の採用 ―― 現在までに強制失踪委員会が取り上げた個人通報事件は一件しかないが,最初の事件である E. D. イルスタ及び A. V. イルスタ対アルゼンチン事件の強制失踪委員会 (CED) 見解は,「強 制失踪」の定義について CED の解釈を示した重要な見解である。事件では,刑務所で服役中 だったロベルト・A・イルスタの刑務所間移送中に生じた約 1 週間の消息不明が強制失踪条約 第 2 条に定義する「強制失踪」に該当するか否かが最大の争点となった。事件の概要をごく簡 単に説明しておくと次のようになる。 ロベルト・A・イルスタは,銃を使用した強盗等により 2005 年 12 月に 8 年の拘禁刑を言い 渡されアルゼンチンのコルドバ州の刑務所で服役していたが,3 年以上にわたり刑務所職員に 拷問,非人道的及び品位を傷つける取扱いを受けたため,2012 年に刑務所職員を州裁判所に 訴え,テレビ番組で拷問の様子を公に訴えたところ,刑務所職員の拷問や虐待が一層ひどく なったので,殺されることをおそれ,家族が住むサンチアゴ・デル・エステル州の刑務所への 移送を刑務所当局に要請した。ところが彼は,2013 年 1 月 16 日に要請した刑務所ではなく, サンタフェ州の刑務所に移送され,懲罰独居房に収監され,再び拷問や虐待が行われた。彼の 家族が刑務所当局に何度も彼の所在について情報を求めたが,回答がなされなかった。この状 態が 7 日間以上続き,通報者らはロベルトが強制失踪させられたと考えたが,ロベルトは再び 家族と電話連絡をとれるようになり,懲罰房に入れられ毎日拷問や虐待を受けていると話した。