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御嶽山噴火 国などに賠償求める裁判 2審が結審 10月判決
戦後最悪の火山災害となった10年前の御嶽山の噴火をめぐり、一部の遺族などが国と長野県に賠償を求めている裁判は、2審の東京高等裁判所の審理が終わりました。
判決はことし10月21日に言い渡されます。
10年前の2014年9月、長野県と岐阜県にまたがる御嶽山が噴火し、死者・行方不明者が63人にのぼった火山災害では、一部の遺族など32人が国や長野県の事前の対応が不適切だったなどとしてあわせて3億7600万円の賠償を求めました。
1審の長野地方裁判所松本支部はおととし7月、噴火2日前に気象庁が噴火警戒レベルを引き上げなかった判断について「合理性が欠けた」とする一方、「その段階から適切に対応していたとしても被害を防げたとは言えない」として賠償を認めず、遺族らが控訴していました。
22日東京高等裁判所で開かれた2審の裁判で、遺族側の弁護士は、前回の裁判のあとに実施された地元の木曽町と王滝村の調査で、「噴火警戒レベルを引き上げた場合、1時間50分程度あれば登山客に情報を伝えられた」とする結果が出たことを踏まえ意見を述べました。
このなかで、「気象庁は、遅くとも噴火の前日までに噴火警戒レベルを引き上げることが可能で、地元の自治体は登山者に入山規制の情報を伝えて被害を防ぐことができた」と主張しました。
一方、国は「噴火警戒レベルの引き上げにつながる明確な観測データはなく、合理性を欠くとは言えない」などと訴えを退けるよう主張していて裁判は22日で結審しました。
判決は10月21日に言い渡されます。
裁判のあとの記者会見で、長男の英樹さん(37)を亡くした岡山県赤磐市の堀口純一さん(77)は「気象庁の判断は失敗だったと思うので、国の責任を認める判決を期待している。気象庁は、息子の死をむだにせず防災の向上に取り組んでほしい」と話していました。
また、小学5年生だった娘の照利さんを亡くした愛知県豊田市の長山幸嗣さん(53)は「ことしで噴火から10年だが一日でも娘を忘れることはない。犠牲になった人たちの魂が慰められるような判決を期待したい」と話していました。
弁護団の事務局長を務める山下潤弁護士は「気象庁に違法性があったとする1審の判決を2審でも維持したうえで、噴火警戒レベル引き上げの判断と被害に因果関係を認めるよう望んでいる」と述べました。
https://jadm.or.jp/od/toku-iin/ontakesan.pdf
9 月 27 日(土) 11:52 御嶽山噴火
噴火発生後、気象庁は12 時36 分に噴火警報(火 口周辺)を発表して、噴火警戒レベルを1 から3(入山規制)に引き上げた。
13 時15 分に岐阜県が火山災害警戒本部を設置した。
長野県では13 時20 分に警戒対策本部を設置し、その 後、14 時10 分に災害対策本部への移行を行った。
また、長野県庁内には28 日22 時00 分に 国の非常災害現地対策本部も設置された。
木曽広域消防本部では、11 時56 分に御嶽山9 合目にある避難小屋「覚明堂」からの通報で 噴火を覚知し、13 時20 分ごろから非番召集をかけて、王滝村側の登山道の入り口である王滝口 に救急車を待機させた。
その後、支援隊も、王滝口と木曽町川の登山道入り口である黒沢口 に出動させた(御嶽山周辺の地名は図2-1 参照)。
長野県警察機動隊本部には12 時55 分に 出動命令があり、木曽町に向けて出動している。
自衛隊に関しては、14 時31分に長野県知事 から同県松本市に本部を置く第13 普通科連隊長に対して災害派遣要請が発出され、活動を開始した。
医療機関については、木曽地域で唯一の病院である長野県立木曽病院が中心となって 負傷者対応の準備を進めた(詳細は、次章)。
その後、再噴火への警戒や台風接近に伴う天候不順等で度々、活動が中断になりながら捜索が続けられたが、10 月16 日には積雪や地面凍結により山頂付近での活動が困難となった。
そのため、同日午後に阿部・長野県知事が捜索打ち切りを決断し、2014 年内の捜索は終了と なった。10 月16 日までに死亡が確認された犠牲者が57人、行方不明者が6人だった。長野県庁が集計した負傷者数は69人となっている。2015 年7 月29 日から同年8 月6 日に再捜索 が行われ、新たに1 人の遺体が確認されている。