今朝、唐十郎さんが昨日 急性硬膜下血腫のため 都内の病院で亡くなったとの訃報NEWS・・・

 

 

 

 

今朝、あいさつを交わしたご近所の方:数年前 慢性硬膜下血腫で倒れたものの、その場に偶然 ご家族が居合わせ、

 

その後、病院の対応に問題があったものの、急性ではなかったため、ご家族の見守りと適切な判断医療連携で

 

 

 

 

救急車で搬送

 

一旦意識が回復したため入院の必要性を認められず一旦帰宅させられ、

 

 

 

その3日後、《 朝食時、箸を持つ手に、箸がない…》 家族が 即病院に

 

 

こんどは、即MRIで”要緊急手術”・即転院 緊急手術 、なんとか無事に回復・・・

 

 

 

 

 

 

偶然「硬膜下血腫」、「急性」のため 治療の甲斐なくお亡くなりになられてしまった唐さん

 

 

台東区・下谷出身 習志野市泉町にある 東邦大学付属東邦高校卒とのこと・・・

 

 

 

ご冥福をお祈り致します。

 

 

 

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 訃報 NHK

劇作家で俳優の唐十郎さん死去 84歳 アングラ演劇で絶大な人気

 

「紅(あか)テント」の公演でアンダーグラウンド演劇の旗手として絶大な人気を誇り、数多くの独創的な舞台を作り上げた、劇作家で演出家、俳優の唐十郎さんが、4日夜、都内の病院で急性硬膜下血腫のため亡くなりました。84歳でした。

唐十郎さんは東京都の出身で、明治大学文学部演劇学科に入学、在学中から俳優として活動し、卒業後「状況劇場」を旗揚げ、1967年には東京 新宿の花園神社で「紅テント」を張って公演を行うなど、アンダーグラウンド演劇の旗手として絶大な人気を誇りました。

状況劇場の解散後、1989年には劇団「唐組」を結成、唐さんは劇作家、演出家、俳優としてテント公演を精力的に行い、数々の独創的な作品の上演を続けてきました。

2003年には、長崎の諌早湾の干拓問題から着想した「泥人魚」で、多数の戯曲賞や演劇賞を受賞しました。

小説家としては、1983年に「佐川君からの手紙」で芥川賞を受賞しています。

唐さんは2021年、現代演劇をはじめとする文化芸術に多大な影響を与えたとして文化功労者に選ばれています。

遺族などによりますと、唐さんは、今月1日に自宅で転倒して、都内の病院に緊急搬送され、4日夜、急性硬膜下血腫のため亡くなったということです。

84歳でした。

妻の美和子さん「テントで行う公演でお別れを」

唐十郎さんの妻の美和子さんは「亡くなってから一日もたっていないので、葬儀の予定は未定ですが、近親者のみで行えたらと思っています。きょうはテントで行う劇団公演の初日です。戯曲のことばを聞いて、お別れしていただけるとありがたいです。それが唐十郎の本望だと思います」と話していました。

「唐組」座長代行 “分身とも言えるこのテントにいる”

劇団「唐組」は5月5日から東京 新宿の花園神社の境内に張られた「紅テント」で代表作「泥人魚」を上演する予定です。

訃報を受け、「唐組」で唐さんの座長代行を務める久保井研さんが、その思い出を語りました。

久保井さんは「10年ほど前に転倒してからは、舞台に出演することはなくなりましたが、自身の作った芝居をここに見に来ては涙していました。きょうからの舞台も元気になった唐さんに見てもらおうと思っていましたが、それはかないませんでした。“目指す山”というよりも“はまる沼”のような演劇人で、すべてのことばが宝物のように思えますが、『とにかく観客が待ってる。何があっても芝居はうつんだ。飯を食うように芝居をやるんだ』ということばが一番印象に残ってます。唐さんは分身とも言えるこのテントにいると思います。何よりも芝居が大好きな人で、客席の後ろから見守ってくれているはずなので、きょうは初日の幕を開けます」と話していました。

 

 

 

 

唐 十郎(から じゅうろう、1940年〈昭和15年〉2月11日 - 2024年〈令和6年〉5月4日)は、日本の劇作家・演出家・俳優。本名:大靏 義英(おおつる よしひで)。劇団「唐組」主宰、文化功労者。紅テントの「状況劇場」を結成。アングラ演劇の始祖。

東京都台東区出身。

 

下谷区立(現:台東区立)坂本小学校、私立駒込中学校、東邦大学付属東邦高校を経て、明治大学文学部演劇学科卒業。

1962年に、松田政男、山口健二、川仁宏らが企画した自立学校に、学生として参加。

演劇の新テーゼ「特権的肉体論」を提唱して、1963年に笹原茂峻(笹原茂朱)らと共に劇団「シチュエーションの会」(翌年「状況劇場」に改名)を旗揚げ。旗揚げ公演はサルトル作の『恭しき娼婦』。翌1964年の処女戯曲『24時53分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』で、初めて唐十郎の筆名を用いる。