東北福祉大学教授を務めた伊藤 信太郎(いとう しんたろう、1953年5月6日 - )は、

 

自由民主党所属の衆議院議員(7期)、

環境大臣(第32代)、

内閣府特命担当大臣(原子力防災)、

自由民主党宮城県支部連合会長。
 

  • 2013年11月26日、特定秘密保護法案の採決で賛成票を投じている。
  • 憲法9条の改正と集団的自衛権の行使容認に賛成。
  • 特定秘密保護法は日本に必要だ。
  • アベノミクスを評価する。
  • 原発は日本に必要だ。
  • 首相の靖国神社参拝は問題ない。
  • ヘイトスピーチの法規制に反対。
  • 選択的夫婦別姓制度導入について、「どちらとも言えない」としている。

 

 

ウィキペディアより


外務副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、外務大臣政務官(第3次小泉改造内閣)、衆議院東日本大震災復興特別委員長、同環境委員長、自由民主党国際局長を歴任した。この他、大阪大学大学院客員教授(国際公共政策研究科)や東北福祉大学教授を務めた。

父は第69代衆議院議長の伊藤宗一郎。

来歴
宮城県加美町に、後の衆議院議員・伊藤宗一郎の長男として生まれる。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、1976年(昭和51年)に慶應義塾大学経済学部経済学科を卒業した。

1978年(昭和53年)には慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程を修了した。

留学時代
1979年、日本人として初めて入学が許可されたアメリカン・フィルム・インスティチュート(American Film Institute[11], AFI )の映画監督プログラムを修了した。在学中は、4本の映画の脚本を英語で書き、監督した。

翌1980年にはハーバード大学大学院(Graduate School of Arts and Sciences, GSAS )にて、人文修士(Master of Arts)を修了した。

同年、フランスに移住。ソルボンヌ大学で学ぶ。

帰国後
1981年(昭和56年)、日本に帰国し、同年11月、防衛庁長官(当時)に就任した実父・伊藤宗一郎の秘書官となった。

1985年(昭和60年)には、ニュース番組『CNNデイウォッチ』(テレビ朝日)のキャスターを務め、1995年(平成7年)には玉川大学大学院非常勤講師に就任した。

1996年(平成8年)、伊藤宗一郎の衆議院議長就任に伴い、同政策担当秘書となった。

また、玉川大学大学院非常勤講師として、1995年(平成7年)にはマスメディア論・国際関係論、1996年(平成8年)には地域論(フランス)を担当した。

1999年(平成11年)、東北福祉大学助教授(感性福祉研究所)に就任、2001年(平成13年)には同教授に昇格した。

国会議員へ

外務大臣政務官時代に公開された肖像写真

参議院議員選挙宮城選挙区にて応援演説を行う伊藤(2016年6月22日)
2001年(平成13年)9月4日、衆議院議員在任中だった父・伊藤宗一郎の死去に伴い、宮城4区では補欠選挙が行われることとなった。自由民主党は世襲候補として伊藤を機械的に擁立することはせず、公募による候補者予備選挙を実施した。この予備選において伊藤は前参議院議員の亀谷博昭に大差をつけて選出される。自民党の公認候補として同補欠選挙で元宮城県知事の本間俊太郎らを破り初当選した。

2003年(平成15年)、衆議院議員に再選。

2005年(平成17年)の郵政国会では、郵政民営化に慎重な立場をとっていたが、最終的には賛成した。第44回衆議院議員総選挙では自民党公認を得て3選され、第3次小泉改造内閣では外務大臣政務官、2008年(平成20年)発足の福田康夫改造内閣では外務副大臣に就任した。

2009年(平成21年)、第45回衆議院議員総選挙に自民党から立候補。公明党の推薦も受けたが民主党の石山敬貴に敗れ、重複立候補していた比例東北ブロックでも復活出来ずに落選した。

落選後に人材派遣会社・パソナグループの特別顧問に就任、就職先が決まらない大学生らにビジネスマナーから専門知識を教授する『人材創造大学校』の「事務総長」を務める。


2012年(平成24年)、第46回衆議院議員総選挙に自民党から立候補し、前回敗れた石山を大差で破って4選。国政に復帰した。

2013年 (平成25年)、衆議院環境委員長に就任。

2014年(平成26年)、第47回衆議院議員総選挙に自民党から立候補し、5選。

2017年(平成29年)、第48回衆議院議員総選挙に自民党から立候補し、6選。

2021年(令和3年)、第49回衆議院議員総選挙に自民党から立候補し、7選。

2023年(令和5年)9月13日発足の第2次岸田第2次改造内閣で環境大臣兼内閣府特命担当大臣(原子力防災)に就任し、初入閣。

 

 

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

5/3(金) 19:25

“水俣病患者の訴え”発言中に環境省がマイクの音声絞る 参加者の抗議に大臣は?

 

■水俣病患者の訴え 環境省が“音絞る”  問題は環境大臣と水俣病の患者や被害者団体の懇談で発生しました。 伊藤環境大臣 「皆さまの話をうかがえる重要な機会だと考えています」

 

  懇談には8つの団体が参加。そして、各団体に与えられた時間は…。 

 

環境省職員 「1団体3分程度で発言を順番にお願いしたいと思います」

 

  ところが、まだ3分経たないうちに…。 

 

水俣病被害者市民の会 山下善寛代表 「水俣病被害の深さ広さを究め尽くしていない。チッソは患者に対する責任…」

 

 環境省職員 「話をおまとめ下さい」

 

 水俣病被害者市民の会 山下善寛代表 「もうすぐ終わりますので。2014年3月に出された…」

 

 環境省職員 「お話をおまとめに」 

 

水俣病被害者市民の会 山下善寛代表 「これは最高裁判決に違反するし…3分あるんでしょ」

 

 環境省職員 「はい、3分経っています」

 

  最後はマイクなしに地声で話しました。さらに…。

 

 水俣病患者連合 松崎重光副会長 「(妻は)去年の4月に『痛いよ痛いよ』と言いながら死んでいきました」 

 別の参加者が水俣病と認められずに亡くなった妻への思いを語るなか…。

水俣病患者連合 松崎重光副会長 「会社が水銀を垂れ流さなければこういうことにはならなかったと、私はいつも家内と話していました」

 

 環境省職員 「話をおまとめ下さい」

 

  声が急に聞こえなくなりました。 

 

参加者 「切られている。スイッチ切られている」 

「本当に水俣の被害者のことを考えているならしゃべらせてやればいいのに」 

「聞いてやれーな大臣」

 

 隣の団体が自分たちの時間を譲ると、マイクの音量は戻りました。

 

 参加者 「話を聞くって言って出てきた」 

 

「入った、入った」 

 

 なぜ話の途中でマイクが切れたのでしょう。

 

 参加者 「マイクの音量の調整をしたのかどうかだけ確認させて下さい」

 

 環境省職員 「不手際でございました。事務局の不手際でございました。申し訳ございません」 

 

参加者 「不手際ということはやったということだね。音量を絞ったということだね」

 

 環境省職員 「事務局の不手際でございました。申し訳ございません」

 

  話を聞く重要な機会だと話していた伊藤大臣は…。 

 

参加者 「マイクを切ったことについてどう思われます?」 

 

伊藤環境大臣 「私はマイクを切ったことについて認識していません」

  その場で一部始終を見ていたものの分からなかったということです。

テレビ朝日