1851年第1回ロンドン万博 世界初の万博、大成功
- 名称:The Great Exhibition of the Works of Industry of All Nations
- 開催期間:1851年5月1日~10月15日
- 場所:ロンドン(サウスケンジントン、ハイドパーク)
1895(明治28)年、日清戦争に勝利した日本は、台湾を割譲され、初の植民地統治を始める。
英のインド統治やフランスのアルジェリア統治にならい、植民地をもつことで“一等国”をめざした日本。1910年、ロンドンで開かれた日英博覧会では、台湾のパイワン族を“展示”し、統治の成功を世界に誇示する。
日本は「格差と同化」という矛盾した台湾統治を続け、1930年代後半からは「皇民化運動」で日本文化を強制する。
半世紀におよぶ統治はどのように変遷していったのか。2万6千冊におよぶ『台湾総督府文書』、近年発見されたフィルム、欧米に埋もれていた文書などを手がかりに近代日本とアジアの関わりの原点を探っていく。
博覧会からみる植民地主義
- ●1851年のロンドン万博における植民地パビリオンは各地の原産物などを展示するに
とどまっていましたが、その後の博覧会では異国趣味的なパビリオンが増え、1889年
のパリ万博以降は「人間の展示」(植民地の原住民及び集落の展示)が行われるよう
になりました。それは白人優位主義を示し、植民地化を正当化し、豊かな「帝国」と
いうイメージを作り出す手段となっていきます。
1862年のロンドン万博で初めて万国博覧会を経験した日本はその後の博覧会で、欧
米人のジャポニスムを刺激するような展示を多く行っていきます。その一方でかれら
の帝国主義的な姿勢を学びとり、各博覧会で台湾館や朝鮮館、アイヌ人集落などの展示を行うことで、欧米各国と同様、自国の優位と植民地化の正当性を示していきます。
- Page 1
- 英国植民地であったセイロンの展示区画
- 原住民集落とそれを見学する欧米人
- 原住民によるダンス
- Page 2
- 初めて万博を見る日本人使節団
- 日本の歴史を紹介する図書
- 台湾総督府による出品
- Page 3
- 朝鮮館および台湾館の外観
- 日本陸軍による展示
- 満州大博覧会の会場図
半世紀におよぶ統治はどのように変遷していったのか。2万6千冊におよぶ『台湾総督府文書』、近年発見されたフィルム、欧米に埋もれていた文書などを手がかりに近代日本とアジアの関わりの原点を探っていく。
☆ 「子どもを万博見学に連れて行かないで」
学校からの声
https://blog.goo.ne.jp/people_
「今日CさんとAでB中学校行ってきました。…『
こんな報告の発信もありますね。
今日の日曜参観後の総会
「
校長先生、本当にありがとう
https://twitter.com/
万博協会HP「4月19日 工事再開のお知らせ」は以下
https://www.expo2025.or.jp/
「配管ピット内に溜まったメタンガスに引火したことにより、1階
どのようにしてガスが溜まったか、説明なし。
保護者は学校に、教職員は校長に、
2022年1月12日産経新聞の記事
「
https://www.sankei.com/
同じ浚渫残土埋め立ての3区(IRカジノ会場)
「夢洲ってどんなところか、調べてみたんですけど…有機汚泥、P
https://ameblo.jp/mori-arch-
「危ないんじゃないかと、不安なんですけど…