動き出すと止まらぬ日本

 米軍飛行場移設工事と原発 〈ひと・暮らし・原発〉

吉田千亜=思索のノート 

 

信濃毎日デジタル 2024/4/21 

https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2024042100087 

 

この連載を、沖縄の地で書き始めている。

 

一緒にいるのは、2011年の原発事故後に出 会った福島の友人と、友人が営む学習塾の生徒3人。

 

友人とは原発事故から今日まで、福 島県郡山市内の子どもの通学路の放射線量を何度も測定してきた。

 

塾の生徒の高校入学を前に、平和について学ぶ2泊の合宿の同行者として、私は沖縄にいる。

 4月3日、羽田空港をたつ直前、台湾の地震による沖縄への津波警報の発表に伴い、海抜わずか3・3メートルという低地の那覇空港は、離着陸が見合わせとなった。

 

羽田空港 の出発ロビーに設置されたテレビの前には人が集まり、テレビからは「ただちに高台など 安全な場所へ避難を」と緊迫した声が聞こえた。

 

運航掲示板には「確認中」の文字。旅行や仕事で遠方に向かう人の間に、不安や焦りが入り交じった、いつもとは違う喧騒(けんそ う)が満ちていた。

 

すでに那覇空港に向かっていた飛行機は周辺を旋回し、近くの空港に着 陸した話も聞こえてくる。

沖縄の知人からは「今高台に避難した」という連絡もあった。

 

生徒の親からも子どもの携帯に連絡が入る。

 

「沖縄に行けるの?」「大丈夫?」と。東日 本大震災を経験しているのだ。

 

心配は当然だ。友人と私は沖縄に行けなくなることも考えながら、沖縄を案じていた。

 

 ◇ 

 

結局、私たちは2時間遅れて那覇に向かうこととなったが、日本はそういう国なのだ。

 

 いつでも災害に巻き込まれる。

 

 今年だけでも、甚大な被害が出た元日の能登半島地震の最大震度7、3月には福島県、 青森県、岩手県で最大震度5弱、4月18日にも愛媛県、高知県で最大震度6弱の強い地 震が起き、そのたびに「原発は大丈夫か」という声が上がる。 

 

なぜこんな災害大国に原発を造ったのかと、地震のたびに思う。

 

科学ジャーナリストの 添田孝史氏によれば「今から65年前、まだ地震について未知のことが多いと技術者たちは自覚していて、余裕を上乗せして慎重に原発を造ったつもりだったが、地震の研究が進むと、その余裕でも足りないことがはっきりしてきた」と言う。

 

1960年代終わりに成立した「プレートテクトニクス」理論より前に原発の立地が決まり、活断層の本格調査を始めたのは95年の阪神淡路大震災以降。

 

自然への畏怖の念に欠けた結果が2011年の原発事故だ。

 

 長野県に最も近い原発は、柏崎刈羽原発(野沢温泉村役場まで57・5キロ、長野市役所まで93・4キロ)、あるいは浜岡原発(天龍村役場まで77・1キロ)だ。

 

柏崎刈羽原発 には4月15日、再稼働に必要な検査の一環として、7号機の原子炉に核燃料の装填(そうてん)を始めた。

 

長野市と同程度の距離では、福島第1原発での栃木県那須町(92・4 キロ)にあたるが、その那須町も、事故直後に毎時1・17マイクロシーベルト(事故前 の約30倍)の放射線量を記録し、農業や酪農に放射能汚染の被害を受け、今でも民間団 体が甲状腺エコー検査や放射能測定を続けている。 

 

◇ 

 

さて、私たちは翌朝、名護市辺野古の海にいた。

 

米軍普天間飛行場の辺野古移設を巡り、 地盤改良工事に反対する沖縄県に代わり国が工事を承認する「代執行」の裁判で、最高裁判所は2月29日付で上告を退ける決定をし、県の敗訴が確定している。

 

 新基地建設に反対する市民らが集まる「テント村」にいた男性が、私たちに説明をしてくれた。

 

最深90メートルの軟弱地盤を埋め立てる不可能としか思えない工事を押し進め ていること、

日本の航空法の基準からも逸脱した状況で新基地建設が進んでいること、

サンゴの移植失敗を防衛省は「寿命」と説明したこと。

 

そして、「日本は、公共工事と戦争は (一度動き出したら)止まらない」と言った。

 

 真剣に耳を傾けていた子どもたちは、話を聞き終えると、海の生き物を探しながら波消し岩の先端まで歩いて行った。

 

話の不条理さとは裏腹に、海の青とヤドカリの動きは美しい。

 

2歳で原発事故を経験した子どもたちは、沖縄の海風の中で無邪気な歓声をあげている。

その姿を眺めながら、友人は私に言った。

 

「止まらないのは、原発も同じだね」と。

 

 ◇          ◇ 

 

よしだ・ちあ フリーライター。1977年埼玉県川越市生まれ。東日本大震災に伴う 原発事故の被害者・避難者の取材を続ける。事故後の福島県双葉郡の消防士の証言を集め たルポ「孤塁 双葉郡消防士たちの3・11」(岩波書店)で講談社本田靖春ノンフィクシ ョン賞、日本ジャーナリスト会議賞受賞。他の著書に「原発事故、ひとりひとりの記憶」 (岩波ジュニア新書)「ルポ母子避難」(岩波新書)など。