原子力安全:1068] 経産省前脱原発テント座り込み日誌2024年4月18日版

 

【拡散希望】経産省前脱原発テント座り込み日誌2024年4月18日版

 

経産省前テントひろば、脱原発テント設置日(2011年9月11日)から1807日目(2016年8月21日)にテント強制撤去。2024年4月18日は、座り込み4,604日目。これは、マハトマ・ガンディー「非暴力、不服従」の実践です。

 

◎ 葉桜模様の季節になった 4月12日(金)前半(S・S)

              桜の花も大分散り、葉桜模様になっている。雨が少し残っていて、傘をさすほどではないが、じきに止むだろうと思っていたら、しばらくしたら止んだ。雨が止むと少し暖かくなった。しかし、文科省抗議の時間帯(午後4時~5時)になると、やはりそれなりに寒さを感じる。

              今日は久しぶりにサンケン太郎さんがやって来た。彼は川口や蕨の地元で反ヘイトの活動で頑張っているようだ。忙しい中、経産省前の座り込みと文科省前の抗議に駆けつけてくれた。また、北海道から瀬尾英幸さんがやって来た。泊原発現地の闘いで頑張っておられる方だ。今日は懐かしい顔ぶれがそろった。

              文科省前で抗議をしていたら、マスクをした女性が会釈をした。誰だろうと思ってよく見ると、4年ほど前までテントで活動していた小熊さんだった。彼女はその後、青森に移住して青森で活動をしているとのこと。また、青森では市議会議員に当選して、政治活動も始められたそうだ。「今日は、同じ青森市議会議員の友人と上京したついでに、文科省前でのスタンディングにも参加した」とのこと。(S・S)

 

◎ 北海道から、青森から、東京で、経産省を糾弾 4月12日(金)後半(K.M)

      午後3時ごろに到着したら、既に北海道から瀬尾英幸さんが座り込んでいる。「化学」(2024NO.3)に掲載された<「ALPS処理水」海洋放出の科学的根拠を問う>(平田文男、齊藤海三郎、澤田幸治)を紹介される。化学者たちが<福島第一原発ALPS処理水放出が人類の生存そのものに抜き差しならぬ影響を及ぼす>と専門誌に書いているのだ。続けて地元の反原発運動の情報交換。

      突然、60代の男性が話しかけてきた。「裁判所を退職し、これからサークル活動の整理をする。頑張ってください」と。そうだ、霞ヶ関を退職する方たちが、続けて経産省前座り込みに参加してくれるとありがたい。

      続いて、青森市会議員のお二人も到着。文科省前の朝鮮学校差別反対行動が終わる頃に、経産省抗議行動を開始。杉崎さんのオープニング「原子力発電NO!」「明日が無い」に続いて「脱原発、経産省はうそをつくな、…」と、経産省に向かってコール。続いて私から金沢大学土井妙子さんの「世界の原子力発電所と震源」カラーコピーを紹介・配布。

     神恵内村の村長選に挑んだ瀬尾さんが、経産省役人に向かって、「ハンナアーレントがアイヒマンを有能な官僚・煩悩の悪と訴えている、貴方たちも同じではないか」と訴えた。また、化学者の論文<「ALPS処理水」海洋放出の科学的根拠を問う>を紹介し、「海洋放出が人類の生存を危うくする」と訴えた。

    続いて、東京でも一緒に活動していた青森市会議員小熊さんが、原発反対核燃反対を訴える青森市会議員の蛯名さんを紹介した後に青森からのメッセージ。「下北半島に核施設と軍施設が押しつけられている。六ケ所に5つの核燃施設(再処理、MOX、貯蔵、低レベル放射性物質埋設、ウラン濃縮)があり、どれも稼働可能か疑問。フルMOXの大間原発も建設中。東通原発2つ、陸奥の使用済み核燃料の中間貯蔵施設に、電事連が全国の原発での共同利用を目論んでいる。東電柏崎刈羽から使用済み核燃料を7月~9月に搬入予定。中間でなく永久貯蔵の可能性も。青森には使用済み核燃料の為に全国の原発電力会社の支店がある。六ケ所再処理も東海再処理も危ない。電力消費地である東京が、福島事故の後も、青森県に核ゴミを押しつけようとしている」と訴え、「やっぱり原発は駄目の声を大きくしよう」と力強くアピールし、最後にDVD「鎌田慧さんと歩く下北半島」を紹介。

    落合恵子さんのクレヨンハウス4月20日「朝の教室」三浦まり(政治学者)講演会の案内配布。乱さんが、公害や原発が村や町の自治を壊す。原発で電気を起こす必要性はない。続けるのは犯罪行為。頑張りましょう。火炎瓶鉄さんが、東京から青森への原発の押付けと「再処理」の言葉遊びを糾弾、核ゴミを青森に押しつけるな、原発を福島に押しつけるな、沖縄に基地を押し付けるな、と訴え、脱原発・核廃絶・経済産業破壊省・もういい加減に目を覚ませ・…コール。守屋真実さんが「座り込め、ここへ」、「水に流すな」を歌い、食糧自給率を上げる署名を集める。私(K.M)から再稼働阻止全国ネットワークの新しいリーフレットを紹介。

堀江さんが、飯山陽批判。三上さんが、裏金問題を隠して訪米している岸田総理の戦争が出来る国家体制づくりを批判。

最後にNOWAR,NONUKES等のコールで抗議を終わる。(K.M)

 

◎  同じものを見ていてもね、裏金だって 4月13日(土) (O・O)

・同じものを見ている筈なのに

    ガザから沖縄を訪れたパレスチナの青年が言ったそうだ。「ここにもガザがある」と。

     本土(何じゃこの言葉)から沖縄に来た高校生が、父親が米国の軍人である地元の同年代の少年に言ったこと「ゲ-トに囲まれて不自由で大変でしょう」。地元の少年曰く「何を言っているの。私たちは基地の中も外も自由に通行できるが日本人は基地に入れない」。 (O・O)

 

◎「デブリは残っている、福島は終わってない」 男性の言 4月14日(日)(M島)

              わたしが経産省前に着くと、藤原さんと遠藤さんが座り込みの設営中。設営中からハトやスズメが数羽寄って来る。横断幕6枚とのぼり旗10本を立てる。記念撮影して一息ついていると、キリスト教宣伝車の千葉さんが、いつもの午後1時半より1時間以上早く来る。「これから、青木愛氏の講演会に行く」とのことで、千葉さんすぐ帰る。少しして遠藤さんもマイカーで帰る。

              快晴。暑いが風が適度に吹く。桜は大分散り、座り込みの後ろのツツジはつぼみ膨らむ。日陰が恋しい。後ろのプラタナスは枝先にちょこんと葉を付けたばかり。パラソルが必要か。しかしこの時期は半袖になっても、蚊の心配をしなくていいのが良い。

              午後1時頃、S山さんH野さんが来る。お2人組の日曜の参加は久しぶりだ。最近は三里塚を行ったり来たりしているとの事。藤原さんがハト、スズメたちに、せんべいや、ふかしいもをくれる。ハト4羽、スズメ約10羽、ヒヨドリ1羽が集まる。午後1時半頃、寺崎さんが来る。寺崎さんは一旦座り込みを抜けて、コンビニからフラッペを人数分買ってきて振る舞う。ありがとうございます。

              若い男性が大型スピーカーを積んだキャリーを引いて、ラップ調の曲を控えめに流しながら、特に挨拶もなく通過。よく聞くと「♪放射能バラ撒イテ、マダ金儲ケルカ…」と歌っているようだ。声をかければよかったかな。初老の男性が「国会議事堂をまだ見たことが無いので、見に来た」と訪れる。男性は「デブリが残っている、福島は終わってない」と話した。

     霞ヶ関ビルに日が隠れるもTシャツのまま。日が高くなり、隠れる位置がビルの上方に移ってきた。やがてビルに隠れず照り続けるようになるだろう。定時の午後3時で撤収。今日の座り込み参加者は7人でした。(M島)

 

◎  若い人は人権に敏感 これは良きことだ 4月17日(水)(保)

    きょうも朝から快晴で気温も高く(予報では24∼5℃)、桜も盛りを過ぎて残った花びらがパラパラと地面に落ちていった。これも風流であるが寂しさは否めない。ノボリ旗とバナーの括り付けは順調に進み、短時間で終わった。

              反原発ソングをかけながら経産省前を通りすぎていく人々へアピールした。午後1時近くになったので東京地裁へ向かった。外国にルーツを持つ人々が警察の度重なる執拗な職務質問に業を煮やして慰謝料を求める裁判が午後2時から開かれると言うので様子を見に出掛けたのである。ビラでも配っているかとも思ったが、そんなことはなく、日本の支援者が当事者と弁護団による入廷行進を計画(居並ぶメデイアのカメラに向けて)したが、横断幕もないので第三者には分からず、通りがかりの人がすぐ横を通るので「やり直し」をせざるを得なかった。

            雰囲気を感じようと抽選に並んでみた。「若い人は人権に敏感」というように多かった。半分以上。私のように年寄りは一割もいなかった。抽選には(最後の当選者が140番だった)150人ぐらい集まったのではないか。職員に人数を聞くのを忘れたのを帰ってきてから気付いた。抽選には当たったが、世話人に当たり券を渡してテントひろばに帰ってきた。今後とも注視していきたいと思います。

            きょうは午後4時半からテントひろばの運営委員会がある。それに出席するためもあって御大の江田さんが午後2時過ぎに来られた。久し振りにお会いした。お元気で何よりです。2時半頃には浦和の木村さん、練馬のTaさんが来られた。杉並のHiさん、Suさんも来られたので(月)としては大勢での座り込みとなった。

 片付けも皆さんでやったのでいつもより早く終わり、事務所への荷揚げも楽でした。(保)

 

◎ 繰り返し言うが、本当のことを知らせよ 4月16日(火)(旭凡太郎)

              今日は晴れ、風もそれほど強くはなかった。何よりも雨が降らなかったのは助かった。座り込みは6~‘7人、私は後番なので、椅子、旗等の折りたたみ、整理、テント事務所までの運送を担当した。テント事務所に戻ると「テント広場13年、4566日」と大きく書いたポスターが目につく。原発事故から13年強だが、「4566日」とは…長かった…というのが実感だ。

               その間、長いテント生活もあり、テント内は密集し、第三テント(第二は「福島の女たち」のテント)に逃れるというような経験もあった。一時期、テントをはった経産省前広場も、今は、ツツジの低木が一杯で、柵でかこまれており、どこに張ったか、なかなか解らないが、何年も24時間、頑張り続けたことは事実。何といっても公然たる「霞が関(の一角)占拠であったことには変わりなく、そのインパクトは全国に波及してきた。その13年間、多くの人が参加し、また少なからぬ人が亡くなった。

              今、テントは取り去られ、今日は旗、椅子を並べての座り込み、となっているが、反原発、国家権力批判の意識は強くなっている。もちろん、新しい世代との結合、新しい世代の参加を働きかけてゆく活動はますます問われてゆくのだが、しかし、それにつけても今年初めの能登半島地震と志賀原発危機は、改めて脱原発闘争の重要性を思い知らされた。

              元旦の地震で志賀町では震度7の揺れ。福島原発事故ほどには至たらなかったが、志賀原発の構内震度5強が観測され、敷地内では79ヵ所の地盤の亀裂が確認された。また志賀原発周辺の住民等が避難する道路も寸断され、志賀原発から半径30キロ圏内では、30ヵ所あまりの道路が通行止めとなり、14の地区で150人が孤立状態におとしこめられた。もし志賀原発に深刻な事態が起きていたら、住民が避難できず、危険にさらされた恐れは多大にあった。

              依然、原発は人間にとって制御出来ない核爆発装置であることを人類に問いかけている。

              われわれは今、毎日、経産省前で「反原発」の座り込みを続けている。今回の能登半島―志賀原発事故は、人類が脱原発に歩みを進める以外、生き延びてゆく道はないことを福島原発事故に続き、またもや、われわれに示している。

              経産省前テント広場座り込みを今後も続け、拡大してゆこう。              (旭凡太郎)

 

◎  経産省ってどんな役所 4月17日(水)(T・I)

    陽ざしが強く、パラソルが役立った。当番のIさんは下の娘さんも大学に入り、授業料のことなどで、ものすごく大変だと言う。セッティングが終って、お昼のおにぎりを食べようとすると、その時間に合わせるように、鳩さんと雀さんが来る。それで、どうしても彼らにおにぎりの米粒を分け与えてしまう。

             きょうはこんなことがあった。植え込みのところに捨ててあるたばこのカスやごみを拾った。どっかから飛んできたプラスチック箱の蓋(大きい)が道路にあった。それで、それを経産省の出入り口に立っている帝国警備保障のガードマンのところに持って行って「これを捨ててください」というと、ガードマンは「そんなことできません、管轄じゃないから。元のところに捨てておけばいいんです」と言った。それで、私はもとのところに捨てた。釈然としないので、また、ガードマンさんところに行って言った。「私たちが座り込みに来たとき、時間など記しているでしょ。今日の報告の中に、さっきのゴミのことを書いておいてください。そういう場合はどうしたらいいのかってこともね」と。ガードマンさんは「ええ、書いておきます」と。

             それからしばらくしたら、掃除のおじさんがきたので、おじさんに、道路のところにきてもらって、「これを片付けてくれませんか」と頼む。おじさんは、「ああそうだねー、わかりました。明日やる」と言ってくれた。飛んでいかないように、植え込みに突っ込んだ。SさんとHさんが午後1時過ぎにきてくれた。原子力規制委員会からまわってくるOイーさんは雀さんたちがみな小さい(子どもか?)のに驚いて、「雀は家族ではなく、子雀たちの集団で大きくなるのかな?」ど言っていた。(T・I)

 

◎  続いている東電株主訴訟 4月18日(木)(M.U)

              曇り空の下、Inさん、Yoさんと3人で設営。やがて憲法審査会の傍聴を終えたKaさんが参加、午後の武器輸出反対集会までの間一緒に座り込む。みんなでお弁当を食べていると、いつも見かける足の悪い鳩がしきりに寄って来るので、Yoさんがご飯を分けてあげた。

               12:30、 Oさんが立ち寄り、5月14日の東電株主代表訴訟学習会の案内ビラを配って行った。13:00 Okさん参加。続いて東大の博物館を見て来たというOgさんが加わる。その後Yaさんが立ち寄り、会計監査をすると言ってInさんと一緒に事務所に向かった。やがてSuさんが参加。14:00過ぎから、JKS47のメンバーが三々五々集まり、14:30から、いつもの祈祷会が賑やかに始まった。集会中、Taさんが到着。集会にはIwさん他何人かの立ち見客も来ており、Yaさんも事務所から戻って来て参加した。集会最後にSuさんがあいさつに立ち請戸の取組みを紹介、原発がなくなるまで共にがんばりましょうと訴えた。時間になりSuさん、Taさんと3人で撤収、4604日目の抗議行動を終えた。(M.U)

 

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◎ あまり知られていない不二越争議 4月15日(月)(保)

 きょうは一日中、小雨が降る天気であった。

 そのため経産省前の人通りは少なかった。そういう中でもカンパしてくださった方がお二人、「頑張って」「体に気をつけて」と励ましてくれる方も居られて勇気づけられました。

  ★不二越争議。韓国の最高裁判所から有罪判決を受けた不二越東京本社前でお昼時間に抗議集会が行われた。集会には韓国からも原告・遺族の方々、弁護士、支援の人々、報道陣が来られた。日本の支援者も含めて100人ほどが参加された。

 私(保)も事務所にあるポール4本を持参して協力する為に事務所を出たのだが「新橋駅の近く」という先入観から駅前をグルグル探し回っている内に12時を過ぎてしまい、着いたのは10分過ぎだった。当然ながら集会は始まっていて旗もしっかり括り付けられていたので、安心して終わるまで発言を聞いて経産省テントひろばに帰って来た。

  ★不二越争議の経過が分かりやすく書かれたビラを当該団体から受け取ったので次に掲載します。「問われているのは日本社会と私たち自身」とかみしめたいと思います。

              問われているのは日本社会と私たち

  川崎から日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会の皆さん、差別に反対するみなさんご承知のとおり、日本軍「慰安婦」問題では、昨年11月23日ソウル高等法院が、「主権免除」を克服して日本政府の責任を認めたイ・ヨンスさんたち日本軍「慰安婦」訴訟の勝利判決が下されました。

 そして、この徴用工の問題でも韓国の司法で大きな勝利が続きました。またILOも日本政府に対して新たな勧告を出し、断罪しています。

 すでに報告したとおり、3月25日は「徴用工(強制連行・強制労働)問題」で、3つの企業前での行動と衆議院第2会館での集会がありました。

 韓国大法院(最高裁)は今年の3月25日に、不二越強制連行訴訟において、被告不二越の不法行為を認定し、原告への賠償を命じたのでした。これにより、不二越を断罪した二審判決が確定したのです。

 2018年の徴用工訴訟大法院判決以降も、日本政府は徴用工問題についても1965年の日韓条約で「全て解決済み」と主張してきました。侵略・植民地支配の歴史事実を否定・偽造して自らの戦争犯罪を居直り、傲慢にも韓国に服従を迫ってきたのです。朝鮮半島から幼い少女たちを千人以上も強制動員した不二越もまた日本の司法も認定せざるを得なかった事実を真っ向から否定しています。

 しかし韓国大法院はこうした主張を改めて否定しました。ここでも「あったことをなかったことにはできない」のです。

 1992年から始まる不二越闘争は、独立運動で亡くなったユン・ボンギル義士たちの志を引き継ぎ、被害当事者が富山にある不二越の会社の塀を乗り越え、また東京のビル17階に突進して本社前での直接行動をたたかい抜くなどを通して、この戦犯企業を糾弾してきたのでした。そしてこうしたたたかいが2018年徴用工訴訟大法院判決を引き出し、1月25日の大法院での判決によって勝利を不動のものにしたのです。

  2月27日には富山で行なわれた不二越の株主総会に原告である被害者の遺族、キム・ミョンベさんが黒澤勉社長に対して堂々と訴えました。90代のキムさんは亡き妻の恨(ハン)を晴らすため、妻の遺影を抱いて会場に入り、「妻が生前一言の謝罪も聞けなかったことに腹が立つ」「ついに最高裁で勝った。私はここに頼みに来たのではなく警告しに来たのです。不二越は最高裁判所(大法院)の判決に従い、強制動員の被害者に謝罪し、賠償すべきです」と訴えていました。

 こうした状況を経て3月25日に東京本社前での行動が取り組まれました。韓国からも原告・遺族の方たちや弁護士さん、また金英丸さんたち支援の皆さんも来られ、報道陣もふくめて00人ぐらいでの本社前行動でした。

 「かわさき」からもかけつけ、それぞれノボリ旗や横断幕を持ち、2人がスピーチさせてもらいました。不二越訴訟支援事務局の中川さんのリードでコールを繰り返しました。

 また16時からの院内集会もまたがんばって勝利判決をもたらせたイム・ジェソン弁護士、三菱訴訟をたたかう髙橋さんや不二越の中川さん(「ナカガワとタカハシ」に出ていました)などがスピーチをしていました。(1行略)

 ★不二越を始め、日鉄・三菱・日立など強制連行・強制動員の犯罪を犯した企業は、被害当事者の怒りの声を聴き、そして大法院判決に従い、その事実を認め、原告に謝罪し、また賠償しなければなりません。

 徴用工闘争は新たな段階を迎えています。

 問われているのは日本社会と私たち自身です。(保)

 

 =====添付資料=====

・原発週報2024. 4.10-4.16 編集:漆原牧久

 

=========デモ、集会==========

◆ 4月26日(金) 経産省前抗議集会(毎週)

              17時~18時 経産省前ひろば

◆ 4月28日(日)脱原発青空川柳句会

              12時開始 経産省前テントひろば 選者:乱鬼龍

◆ 5月3日(金・祝) 武力で平和はつくれない!とりもどそう憲法いかす政治を 2024年憲法大集会 

     有明防災公園 13時開始 14:30~パレード開始

以上