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復興遠くても…地元に残る選択 能登出身の記者が見た「若者の葛藤」

 

能登半島の北側、4つの市と町からなる「奥能登」。私が生まれ、高校時代までを過ごしたふるさとです。 平記者 「ちょうどこの辺り、あそこに対面通行の看板があると思うんですけど、当時、このあたりで地震が発生しました」 金沢市から能登町の実家に向かう際の出来事でした。 平記者(石川・珠洲市 1月8日) 「友だちも言っとったけど、知らん町になったみたいやね」 私は、高校時代の同級生で珠洲市飯田町に住む真脇魁さん(26)のもとを訪ねました。 

 

平記者(1月9日) 「どんな揺れやったけ」

 

 真脇魁さん 「立っとられんどころか、座っとられんというか。地面ボンボンって浮いてくるし、電柱倒れそうになってくるし」 自宅は倒壊こそ免れたものの、1年ほど前に海のすぐそばに建てた兄の家は津波にのまれました。家の中に残る大量の土砂。どこに、どの家具があったのかも分からない有様でした。 珠洲市で、去年5月に起きた震度6強の地震。真脇さんは、ボランティアで高齢者を手助けしました。しかし、今回の地震は… 

 

真脇魁さん 「俺が手をつけられるレベルじゃないから。これが市内、奥能登全域に広がっとると」 珠洲に住み続けたいという思いと葛藤していました。

 

 真脇魁さん 「(珠洲に)残りたいなとは思っとるけど、残ってどうするんかということと」

 

 平記者 「珠洲、好きけ?」

 

 真脇魁さん 「珠洲は大好きやね。この土地から離れるのが嫌というか、一方で若い人たちは多分残らんやろうし」 車のコーティング業を営む真脇さん。作業場が被害を受ける中、物資を輸送する車のパンク修理や、がれきで汚れた車の清掃などを続けています。 

 

真脇魁さん(先月28日) 「仕事しとったほうが自分は楽で、何かしとったほうが気が紛れて」 歌っているのは、奥能登で生まれ育った若者たち。少しでもみんなを元気づけたいと、真脇さんが動画を制作し、思いを発信しました。 

 

真脇魁さん 「『当たり前の今日が、もし誰かの明日で、誰かは今日という日を死ぬほど生きたかっただろう』というのは、まさにそうかなと」 

 

真脇魁さん 「地震あってからの生活は、逆に言うと濃かったけど、何をしたかと言われると…。片づけして水運んでみたいな、すべてがルーティーン」

 

 平記者 「前に進んどるなっていう気持ちとかはある?」

 

 真脇魁さん 「前に進んどるっていう気持ちはあんまりない。前に進もうと何かできんかなって努力はしとるけど」 珠洲市宝立町、市内でも被害の大きかった地域です。

 

 真脇魁さん(先月27日) 「道が空いたってだけで全然変わってない」 

 

平記者 「当時は、ここ道全部埋まってたのか」

 

 真脇魁さん 「そうやね、もう、ここ半分とかじゃなくて、車線1個分、全部(埋まっていた)」 

 

真脇さんは、復旧・復興へ動き出しているという世の中の認識に違和感を覚えています。 

 

真脇魁さん 「復興してますよ…。まあ確かに道路はちょっときれいにして、がれき撤去とかも始めとるけど、被災した人の生活面とかは全然見通し立たず、変わらんし。地震から3か月やけど、どこのテレビでも、ほかの県とかやと地震のニュースが、だんだん減っていって、多分忘れられていく。これは、風化させたらだめやと思うんやけどね」 復興までの遠い道のり。それでも「能登に住み続けたい」という真脇さんの思いは変わりません。 

 

真脇魁さん 「出ていくのも、出て行かんのも、その人の選択やし、正解はないやろうから。どっちの選択でも、その人が決めたならいい選択やと思っとるけど、ただ残るって決めたからには、この進んでいない現状をもっと外に伝えつつ、自分のできること、自分のできる分野でやっていくほうが、やっていくしかないんかな」

TBSテレビ

 

 
 

能登、倒れた家は被災直後のまま 進まぬ復旧「涙が出る」

 

 

石川県輪島市の倒壊した家屋から荷物を運び出す人たち=31日午後

 

 

 能登半島地震の被災地では31日時点でも、倒れた家の多くは手付かずで、がれきも山積みの状態だった。「街の風景は3カ月前のまま」「涙が出る」。住民は進まぬ復旧に途方に暮れた。金沢市など遠方に2次避難している人も多く、慣れない環境で長期化する避難生活に不安や不満が募る。

 

  「輪島朝市」では、黒く焼け焦げた建物跡の所々に花が手向けられていた。近くに住む向憲龍さん(81)は被災直後を思い出し「風景はそんなに変わらんな。見通しはつかないけど、いつか活気が戻ってほしい」とつぶやいた。

 

  一部壊れた自宅で生活する輪島市三井町の狭間孝彦さん(76)は「大工に修理を頼んでも3年は来られないと言われた。自分のできる範囲で直していくしかない」。2次避難先の金沢市から自宅の片付けに来ていた長井裕さん(68)は「生まれ育った輪島で早く暮らしたいが厳しい」と険しい表情だった。

 

  輪島市のみなし仮設住宅に住む女性(78)は「なじみの友達と会うことはなく、高齢者の1人暮らしはさみしい。いつまで支援してもらえるのか」と不安を口にした。