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急性硬膜下血腫は「死亡率6割超、難しい手術」 鳥山明さん死去

 

毎日新聞2024/3/8 16:53(最終更新 3/8 17:28)

 
毎日グラフのインタビューで「Dr.スランプ」の創作過程などを語る鳥山明さん=東京都千代田区神田駿河台の山の上ホテルで1981年11月撮影

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 「Dr.スランプ」や「ドラゴンボール」などのヒット作を生んだ漫画家の鳥山明さんが1日、急性硬膜下血腫のため68歳で死去した。急性硬膜下血腫とはどういう病気なのか。脳神経外科の専門医は「緊急手術が必要なケースが多く、時間との戦いになる場合が多い」と話す。

 「なかめぐろ脳神経外科・内科 頭痛クリニック」(東京都目黒区)の青山尚樹院長によると、急性硬膜下血腫は頭部の外傷などで、脳と硬膜のすき間に血がたまって脳を圧迫する疾患だ。重篤な場合には脳が腫れる。

 ボクシングなど激しいスポーツで発症するケースが代表的だが、高齢者が転倒して発症することもある。

 原因は外傷だけではない。まれに脳内の血管の異常で発症する場合もある。

 急性硬膜下血腫を発症すると、意識がなくなったり、発語に異常をきたしたりして死亡にいたる例も少なくないという。

 

 青山院長は「鳥山さんが発症した経緯は分からない」と断った上で「一般的には開頭し、頭蓋骨(ずがいこつ)を外して脳を圧迫している血腫を洗い流す難易度の高い手術が必要になる。発症した場合、死亡率は6割を超える」と話す。さらに「発症後、即時に治療できるかが重要だ。外傷などを受け、意識に異常を感じたら早急に医療機関を受診してほしい」と強調した。【隈元悠太】

 

 

 

 

 

 訃報NHK

漫画家 鳥山明さん死去 68歳 「DRAGON BALL」などで人気

「DRAGON BALL」や「Dr.スランプ」など、魅力的なキャラクターが登場する世界的な人気作品を次々に生み出した漫画家の鳥山明さんが今月1日、急性硬膜下血腫のため亡くなりました。68歳でした。

鳥山さんのこれまでの経歴や追悼の声、海外メディアの反応などをまとめています。

 

 

 

 

世界が悲しみ鳥山明さん68歳急死「アラレちゃん」「ドラゴンボール」2月末に転倒救急搬送の情報

 

3月1日に亡くなった鳥山明さんの自画像

 

 「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」などの作品で世界的な人気を誇った、漫画家の鳥山明さん(とりやま・あきら=本名同じ)が急性硬膜下血腫で1日に急逝した。68歳だった。

 

  【写真】世界が悲しみ…亡くなった鳥山明さん 

 

 作品を連載した「週刊少年ジャンプ」出版元の集英社と鳥山さんの事務所「バード・スタジオ」などが8日、発表した。葬儀は近親者のみで執り行った。漫画を文化にまで昇華させた巨匠の死に、世界各国から悲しみの声があふれた。  

 

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  8日正午、鳥山さんの訃報に列島に激震が走った。鳥山さんの「バード・スタジオ」と作品の総合プロデュースを担当する「カプセルコーポレーション・トーキョー」は連名で「突然のご報告になりますが、漫画家・鳥山明は2024年3月1日、急性硬膜下血腫により永眠しました。68歳でした」と連名で死を公表した。

 

  漫画、一部の出版関係者の間で鳥山さんが2月末に転倒して救急搬送されたとの情報が流れている。急性硬膜下血腫は、外傷により脳の表面の血管から出血した血液が頭蓋骨の下で脳を覆う硬膜と脳の間にたまり、脳を強く圧迫することからも符合する点がある。昨年に体調を崩したとの声もあり情報は錯綜(さくそう)している。

 

  鳥山さんは、愛知県立起工業高(現県立一宮起工科高)でデザインを学び、マンガ研究同好会会長も務めていたという。卒業後、デザイン会社に就職し広告イラストを描いていたが、方向性の違いから23歳の誕生日の78年4月5日に漫画を描き始めた。「週刊少年ジャンプ」の新人賞「月例ヤングジャンプ賞」投稿を機に、同12月に同誌に掲載された「ワンダーアイランド」で漫画家デビューした。 

 

 その名を一躍、世に知らしめたのが80年に連載を開始した「Dr.スランプ」だ。科学者の則巻千兵衛が作った、かわいい見た目とは裏腹の怪力を誇るロボットのアラレちゃんら個性的なキャラがペンギン村で和気あいあいと過ごす日常を描いた物語が受けた。  84年5月に「Dr.スランプ」の連載を終了し、同年11月から連載を開始した「ドラゴンボール」で人気は不動のものになった。孫悟空が7つ集めるとどんな願いもかなう「ドラゴンボール」を探す冒険譚(たん)は、ブルマら魅力的なキャラが世界中で愛され、10年半の連載での累計発行部数2億6000万部超に上った。人気ゲームシリーズ「ドラゴンクエスト」のキャラクターデザインも86年の第1作から手がけた。  訃報の中で「熱心に取りかかっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはず」と触れられたが、最も愛した作品「SAND LAND」(00年)の新作アニメ、ゲームに関しての記者会見が今月4日に都内で開かれていた。描き下ろしイラストを寄せ「『ドラゴンボール』というやや派手な作品の反動もあって、短編や読み切りはどれも、好みである小さな世界とゆるいヒーローのなんでもない地味で平和な話ばかりを描いてきました。地味好きな僕では実現しなかったであろうドラマチックな展開は新鮮な驚き」などと意欲的なコメントも寄せていた。