TBS NEWS DIG Powered by JNN

千葉・東方沖で相次いでいる地震の影響で、千葉県では2月27日からの6日間で最大震度4の揺れが3回発生するなど、のべ32回の地震を観測しています。一体、なにが起きているのでしょうか。 【写真を見る】千葉で6日間に30回超の地震は「スロースリップ」か 今回の震源付近で過去にも確認【Nスタ解説】 ■「スロースリップ」は断層面がゆっくりと滑るのが特徴 日比麻音子キャスター: 2月27日から3月3日にかけて、千葉県を震源とした地震が32回発生しています。震度4を観測したのは3回となっています。 こういったことを受けて地震調査委員会が開催されていますが、1日、この地震に関して地震調査委員会は「プレートの境界でゆっくりとした滑りが発生している」という見解を示しました。 プレートの境界の普段の状態というのは、陸のプレートと海のプレートの間が固着し、くっついています。海のプレートは常に沈み込んでおり、これに伴って陸のプレートも引きずり込まれ、ひずみが発生しているというわけです。 では、これがどうなったら地震となるのか。 通常の地震だと、ひずみが限界に達したとき、急激なずれが発生します。このずれによって揺れが伝播し、地震が発生する。もしくは、ずれでプレートが跳ね上がることによって津波が発生する。 では、今回のスロースリップとはどういうものかというと、断層面がゆっくりと滑っていきます。ゆっくりずれが発生するために、大きな激しい揺れは陸では起きませんし、一方でゆっくりな跳ね上がりになるので、津波も生じないという状況になっています。今回の千葉県の地震は、スロースリップとみられているわけです。 ■3.11直前にも「スロースリップ」発生…大地震への影響は? 日比キャスター: このスロースリップに関しては、2011年3月11日の東日本大震災発生よりも前である3月9日に、宮城県沖で発生したというケースがありました。 では、今回の場合は大地震に影響があるのかどうかという点ですが、地震調査委員会の平田直委員長は「全く関係ないとは思っていないが、(千葉・東方沖は)こういうこと(スロースリップ)が時々起きる場所」との見解を示しています。

 

<今回の地震の震源付近 過去には>(地震調査委員会発表) 

●スロースリップ 1996年5月5日~8月5日 →地震M4.3、最大震度2 

●スロースリップ 2002年9月20日~12月20日 →地震M3.7、最大震度2

 ●スロースリップ 2007年8月2日~11月2日 →地震M4.8、最大震度5弱

 ●スロースリップ 2011年10月15日~2012年1月15日 →地震M5.2、最大震度4

 ●スロースリップ 2013年12月21日~2014年3月21日 →地震M5.0、最大震度3 

●スロースリップ 2018年5月21日~8月21日 →地震M4.9、最大震度3 振り返れば30年ほど前、1996年から発生していて、最近だと2018年にもスロースリップが起きています。過去に複数回確認されているということですので、今回も、スロースリップとまとまった地震が同期して発生しているものとみています。 ですので、いわゆる大きな地震に直接的に関わるとはみていない、直ちに起きる可能性はない…ということなのですが、過去のケースを踏まえると、今後、震度5弱程度の強い揺れが観測される可能性があります。

 

 数週間から数か月の間ということですので、たとえば固定されていない家具が転倒するですとか、棚から物が落ちてくるということもあります。今、改めて備えてほしいということです。 ただ、そもそも南関東では、規模の大きな地震がいつ起きてもおかしくない状況がずっと続いているということになりますので、改めて今こそ備えをしておきたいタイミングです。 ホラン千秋キャスター: 30年のうちに6回、スロースリップの現象が起きているということですけれども、過去のデータをみていくと、スロースリップのあとに、必ずしも大きな地震が襲ってくるというわけでもない。 でも、“ないわけでもない”というこの可能性が、やはり皆さんを「心配だな」「より備えをしておこう」というマインドにさせるのだと思います。備えあれば憂いなしですので、しっかりとできるうちにできることを、もうどこでも起こりうるということを考え、日常からやっておくことが大事ですね。

 

田中ウルヴェ京 スポーツ心理学者(博士): それしかできません、私たちには。どれだけ科学技術が進化をしていても、そして明らかになっていっても、何が起きるかわからないというのが自然です。そのことに対して、「起きたときにどうするか」と「起きたあとにどうするか」の両方ですよね。 たとえば、テレビが落ちてこないようにするというのは「起きたときにどうするか」です。でも、どこに逃げるか、ご家族とどのように連絡を取るかというのは「起きたあとにどうするか」です。両方を分けてしっかり考え、対策をしておくというのはもちろんできることです。

TBS NEWS DIG Powered by JNN

 

 

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

 

TBS NEWS DIG Powered by JNN

栃木県で最大震度3の地震

2日午後8時23分ごろ、栃木県で最大震度3を観測する地震がありました。

 

 気象庁によりますと、震源地は茨城県南部で、震源の深さはおよそ50km、地震の規模を示すマグニチュードは4.1と推定されます。 

 

【詳細】各地の震度一覧・最新LIVE 

 

この地震による津波の心配はありません。 最大震度3を観測したのは、栃木県南部です。

TBS NEWS DIG Powered by JNN

 

​​

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

 

 

 

千葉県東方沖2024年3月1日5時43分 M5.2 震度4

 

千葉県東方沖2024年

 

5回目3月1日 5時43分ごろ

 

発生時刻 震源地 マグニチュード 最大震度
2024年3月1日 5時43分ごろ 千葉県東方沖 5.2 4

 

 

 

 

4回目 地震です

 

2024年2月29日

 

18:35ごろ

最大震度4

千葉県東方沖/20㎞

マグニチュード4.9

 

大網白里 震度4

 

 

 

 

3回目

2024年2月29日

16:27ごろ

千葉県東方沖

マグニチュード4.8

 

最大震度3

 

 

震源地/深さ/規模 千葉県東方沖/20km/M4.8
北緯/東経 35.3度/140.6度
この地震による津波の心配はありません

 

千葉県

長南町
大網白里市
九十九里町

 

 

 

 

 

2024年2月29日

12:30ごろ

千葉県東方沖

マグニチュード4.6

 

最大震度

 

 

 

震源地/深さ/規模 千葉県東方沖/20km/M4.6
北緯/東経 35.3度/140.6度
この地震による津波の心配はありません

 

 

2月29日11:13

 

 

 

 

能登地震被災者が語る「絶対に備えておきたいもの」断水でわかった意外な盲点とは?

2024年、元日に起きた能登半島地震から1カ月半以上が過ぎた。いまだに避難生活を送る人や断水の続く地域などもあり、地震の脅威というものをあらためて感じさせられる震災だった。 そんな中、震災直後からXで被災地のリアルな日常や、被災して思ったことについて発信を続けているのが石川県志賀町在住のPIYOCOさん(@PiYoCo_mAmA24)だ。今回、当日の状況や備えておけばよかったと思ったものなどについて話を聞いた。

 

 ■備えを何もしていない中始まった断水生活 PIYOCOさんは2歳の男の子と夫の3人家族で、元日は家族全員が自宅でくつろいでいたという。 「リビングで過ごしていたところ、最初は緊急地震速報が鳴って少し揺れが来たんですが、“あー、こんなもんか”って、いつものただちょっとおどかされてるだけかなと思っていたら、急に震度7の地震が来たので、慌ててとりあえず外に出ました」 直後に町内放送で大津波警報が出された。漁師の夫は、船を沖に出して津波から守るため、すぐに港へ向かったという。その時の状況をPIYOCOさんはXでこう綴っている。 《まず、防災グッズ何も用意してなかったのは悔やんだ。最初避難するとき、とりあえず毛布やら息子の飲み物すぐに食べられるもの(おやつ、パン)など揺れの合間、大津波警報出てる時に玄関まで運び車に詰め込み高台へ避難》 避難所で緊迫した一夜を過ごし、翌日に帰宅。食器類は割れ、あらゆるものが散乱していたが、建物自体は無事だったという。七尾市に住んでいた義理の実家は半壊したため、義理の母と義理の姉、その子供たちの5人がPIYOCOさんの家に避難した。そして8人での断水生活が始まった。 「まだ電気があったからよかったですが、水のない生活は本当に辛いです。まずぶち当たるのがトイレ問題。とりあえず最初は便器に尿を貯めるしかなく、便は仮設トイレまで行ってするか、タンク式トイレのある近くの避難所へ。“女の人が多いし使ってくれ”って避難所からご好意で簡易トイレを100個いただいたんですが、8人いるとあっという間になくなっちゃって2週間も持ちませんでした」 次に直面したのが食事の問題だった。 「水がないのでお米も炊けないし、カップ麺も食べられません。地震から2日ほどで、ありがたいことにお店が傾いたり割れたりしている状態でもなんとか店を開けてくれるところが出てきて、そうしたところでレトルトのあるものを買って食べて過ごしていました。お水と電子レンジでチンするご飯はどこも売り切れでした。水がないので、最初はジュースを買って飲ませたりしていました」

当初の給水は8人家族でも“1日6リットル”

まもなく給水が始まったが、初期は給水所でもあっという間に水がなくなり、もらえない日もあったという。また、給水にありつけても、1世帯に水6リットルしか配給されず、「本当に辛かった」という。 「びっくりしたんですが、お米を炊くにも、なるべく水を使わないようにすごく少ない水で研いでも4リットルかかるんです。赤ちゃんのいる家庭では、水のことを考えたら粉ミルクじゃなくて液体ミルクを用意しておけばよかったって方も結構いましたね」 少量の水で食事はなんとか取れたものの、困ったのは洗い物ができないことだったという。 「本当に節水節水。紙皿、ポリ袋、割り箸などを駆使してやりくりしています。ゴミはたくさん出るけど、そんなこと言ってられないですし、最初の頃は紙皿にラップをして使うなど、紙皿すら捨てられない状態でした」 徐々に水道の復旧が行われていったが、PIYOCOさんの住む地域は、取材した2月15日時点ではまだ断水が続いていた。給水は途中から1日40リットルまで増え、取材時には量の制限は解除されていたものの、家族8人で毎日40リットルは使い切っていたという。 普段あまりにも当たり前に使っている水だから意識することも少ないが、長期に渡る断水下では水が手に入らない状況を想定した備えが重要になってくる。PIYOCOさんは経験を通じて“絶対にあったほうがいい”と思った“備蓄必須項目”をXで発信している。 まず、《我慢できないし、これあれば我慢することないし! これはマジで備蓄して!》というのが“簡易トイレ”だ。 「簡易トイレは被災後にいざ買おうと思ったら売ってないんですよ。だから最初は黒いゴミ袋を買ってきて、新聞紙やペットシートなんか入れて代用してました。絶対にあったほうがいいです」 また、《腐らないし絶対用意しておいたほうがいい。これはウチも、これからまた備蓄しようとおもう》というのが、ラップ、ポリ袋、紙皿、割り箸、プラコップなどの使い捨てアイテムだ。 「ティッシュやキッチンペーパーもあったほうがいいです。タオルなども洗えないので、そういう腐らないもの、日用品の中でもあまりストックを置かないようなものでも、ちょっと多めにあればよかったなって思います。それとトイレットペーパーも。うちは女の子が多いので18ロールが1カ月は持ちませんでした」 いうまでもなく水のストックも重要だが、備蓄にさけるスペースには限りがある。どれくらいあれば安心なのだろうか。 「ご家族の人数にもよりますが、ウチの場合8人で1日40リットルは使うので、例えば3人家族の場合は20リットルとか、2リットルペットボトルだったら2~3ケースあれば少しは安心かな。 もちろんあるに越したことはないですが、備蓄ってなるとそのお水をローリングストックしなきゃいけないじゃないですか。だから、大変かなとは思うけど、やっぱり3~5箱ぐらいはあれば、お水が落ち着くぐらいまで節水で飲食はできるかなと思います」

「水ありき」意外と役に立たなかった食品も

食品類では、最初に店から消えた“レンチンご飯”を筆頭に、レトルト食品が「1番欲しかった」という。 「食事の面で子どもに我慢させるわけにはいかないので、レトルトのローリングストックは本当に大切です。特に小さい子がいる家庭の場合、レトルトに抵抗がある方もいるかもしれませんが、本当にたまにでいいので食べさせて、どれなら食べてくれるか把握しておくのは大切だと思います。 うちの子は何でも食べてくれたんで、そこまで困ることはなかったんですけど、やっぱり食べ慣れない物だと最初ちょっと抵抗感を示してやっと口にしたものもありました。普段からたまにでも食べさせておけば、被災したときのお子さんのストレスが少しは軽減されるかなと思います」 意外と役に立たなかったのが「水ありきだなと痛感した」カップ麺。逆に、思わぬところで便利だったのが“無洗米”だという。 「知り合いが送ってくれたのにすごく感動しました。少量のお水だけで炊けるので“すごいじゃん!”と思って(笑)。これからは無洗米にしようって思いました」 他にも、生理用品や停電に備えたカセットコンロやランタン、避難所に行く際は寒さ対策の布団や寝袋、当面の現金などはあったほうがいいという。災害のための備えをしていなかったからこそ、PIYOCOさんはXで備蓄の重要性を強く呼びかけている。 《これからどこが震災に合ってもおかしくないから。みんな備えて。備えあれば憂いなし。これ本当に。邪魔だし、お金かかるし、期限確認しないといけないし。手間だけどやった方がいい。経験者は語るよ。 今回私はたくさんの人に支えていただき助けて頂き。色々な面で本当にありがたかった。 みんなには感謝してもしきれない。ここまでみんなが支援してくれなかったらきっともっと辛い日々だったと思う。 本当に備蓄してればよかったって思った。みんな備えて。今すぐ備えて。後でやろうじゃ間に合わないかもしれないから。今やろう。今やって!!》 取材の翌日、実に震災から1ヶ月半経った後、ついにPIYOCOさんの家でも水道が復旧した。Xに綴られた《水キタァァァァァァァァァ!!!》の文字が多くを物語っている。ぜひこれを機に備えを見直してみよう。