ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

住友商事

役員の状況

  • 笠間治雄

笠間治雄

2020年3月の株式保有割合0.001%(13,600株)

2014年3月
非常勤・監査役
0%
2,000株
2015年3月
非常勤・監査役
0%
5,000株
2016年3月
非常勤・監査役
0.001%
8,163株
2017年3月 ±0%
非常勤・監査役
0.001%
11,012株
2018年3月 ±0%
非常勤・監査役
0.001%
13,144株
2019年3月 ±0%
非常勤・監査役
0.001%
13,600株
2020年3月 ±0%
非常勤・監査役
0.001%
13,600株

略歴

1974年4月 検事任官
  甲府地方検察庁検事正
  東京地方検察庁次席検事
  東京高等検察庁次席検事
  最高検察庁刑事部長
  次長検事
  広島高等検察庁検事長
  東京高等検察庁検事長を経て
2010年12月 検事総長(2012年7月退官)
2012年10月 弁護士(現職)
2013年6月
2018年6月
当社社外監査役(現職)
凸版印刷株式会社社外監査役(現職)(主要な兼職)
弁護士
凸版印刷株式会社社外監査役

訂正有価証券報告書-第152期(平成31年4月1日-令和2年3月31日)

その他 生年月日  1948年 1月2日

笠間 治雄(かさま はるお、1948年1月2日 - )は、日本の法曹家。元検察官、弁護士。第44代検事総長。最高検察庁刑事部長、次長検事、広島高等検察庁検事長、東京高等検察庁検事長等を歴任。

略歴・人物

愛知県出身。中央大学法学部卒業後、1974年に検事任官。大学では法友会に所属。

1996年5月10日、東京地検特捜部副部長(財政経済担当)時代には、石川達紘の指示の下、泉井事件の捜査は東京国税局査察部長 鳥羽衛 - 笠間治雄のラインで動き出していくこととなった。その後、1999年9月 東京地検特捜部長に就任した。

東京地検特捜部長時代にはKSD事件などの捜査指揮を執っている。その後、甲府地方検察庁検事正を経て、東京地検次席検事から同高検次席検事に。2006年6月、最高検刑事部長、2007年10月、但木敬一検事総長の下で次長検事に就任した。検察現場経験の少なかった但木は検察現場に気を遣い、特捜事件の指揮や重要な刑事事件や公判対策などで、笠間の意見を尊重した。笠間の抜擢の背景には、多士済々の検察現場が笠間の意見には素直に耳を傾けていたためだとされている。のち、広島高等検察庁検事長を経て、2010年6月17日より東京高等検察庁検事長を務めた。

 

2011年に定年を迎えて東京高検検事長で退官する予定であったが、大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件等の責任を取る形で大林宏検事総長が辞職することになり、2010年12月27日付で大林の後を引き継いで検事総長に就任する。高検内では既に1月の定年退官を見越して12月中旬に笠間の送別会を兼ねた忘年会を開催しており、この急な人事に対して高検関係者からは驚きの声があった。

笠間自身は検事総長就任を「勘弁してください」と当初は固辞していたが、大林から「総長をやってくれ。君が適任だ」「組織としての決定事項だ」と説得され、就任を決意したという。笠間は東京地検特捜部長を務めた「捜査現場派」の検事で、法務事務次官を経ずに検事総長に就任するのは北島敬介以来12年ぶり、法務省本省での勤務がない検事総長は現行制度で初のことである。また、中央大学出身の検事総長は戦前の1932年~1935年に検事総長を務めた林頼三郎以来75年ぶりであり、私学出身者の検事総長就任は戦後初であった。

 

 

 

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

 

検事総長「捜査・公判の適正確保を」、幹部に訓示…特捜検事の供述誘導疑惑など受け

「検察長官会同」で訓示する甲斐検事総長(右は小泉法相)(21日、東京都千代田区で)=木田諒一朗撮影

 

 全国の高検検事長と地検検事正らが集まる「検察長官会同」が21日、東京・霞が関の法務省で開かれた。甲斐行夫検事総長は訓示で、「国民の検察への信頼は、検察の活動の基盤だ」とし、「公正誠実に職務を行う」などと定めた倫理規定「検察の理念」に立ち返る必要があると指摘。その上で、「捜査・公判活動の適正の確保に一層、気を配ってもらいたい」と述べた。

 

 

 検察の捜査を巡っては、2019年参院選の大規模買収事件で東京地検特捜部検事による供述誘導疑惑が明らかになり、最高検が昨年12月、取り調べでの検事の発言を「不適正」とする調査結果を公表した。大阪地検特捜部や横浜地検特別刑事部の捜査では、取り調べで不適切な言動があったとして国家賠償請求訴訟が起きている。