日本国憲法

第98条 第1項 この憲法は、国の最高法規であつて、の条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない

 

第2項 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする

 

 

 

 

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転載 日弁連HP 人権ライブラリー

 

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読売新聞

「地震に全部奪われてしまうのか」まち再生は時間との闘い…地域の「宝」守り能登復活へ

[能登地震 検証]<5>

 近所の約40世帯のうち、ここにとどまっているのは6世帯だけ。あれから1か月。ほとんどの家が傾き、いまだに水道も使えない。「地域のつながりも伝統も全部、地震に奪われてしまうのか……」。石川県珠洲(すず)市の市役所から1キロほどの住宅地で暮らす理髪店の3代目・初鳥(はっとり)進也さん(48)はため息をつく。

 

 

 

 地元の小学校で毎月、秋祭りの木遣(きやり)歌を指導してきたが、曳山(ひきやま)や太鼓を保管する神社もつぶれてしまった。1月末、市外への避難を決めた常連客が別れのあいさつに来た。「また来てよ」と言って送り出しながら、「そんな日はもう来ないかもしれない」と思った。

 能登半島北部の奥能登地方(輪島市、珠洲市、能登町、穴水町)は、この10年で人口が2割減った。住民の半数が65歳以上で、古い住宅や空き家も多い。

 今回の地震で、珠洲市は全住宅の4割、約2500棟が全壊した。調査中の輪島市も6割が全半壊とみられる。倒壊家屋の撤去は進んでいない。高齢者のみの世帯も多く、元の場所に建て直すのは容易ではない。

 被災地では今も8500人近くが避難所で暮らす。親戚宅に身を寄せる人や、壊れた家にとどまる人も少なくない。住み慣れた土地に残りたいと望む人が多いが、その願いがかなうとは限らない。

 被災地に建てられる仮設住宅は約1300戸にとどまる。平地が少ない奥能登では適地が限られるためだ。県が年度内に提供するアパートや公営住宅計1万8200戸のうち、6割超の1万1700戸は県外にある。

 

 漁業や農林業、観光などの基幹産業も軒並み壊滅的な被害を受けた。

 

 「住まい、コミュニティー、なりわいをセットで再生させ、安心して能登に戻ってもらいたい」。馳浩知事は2011年の東日本大震災でも旗印となった「創造的復興」を掲げる。

 復興のまちづくりは、住民合意を取りながら丁寧に進める必要がある反面、時間との闘いでもある。巨費を投じて道路や港湾、公共施設を整備しても、長引けば人口流出が加速する。

 

 

 東日本大震災で津波被害を受けた宮城県南三陸町は、高台にまちをつくり直した。住宅整備が終わったのは震災の6年後。待ちきれない住民は町を去り、人口は今、震災時の33%減の約1万1700人にまで落ち込む。佐藤仁町長(72)は「人口減を見据え、コンパクトなまちにするべきだった」と悔やむ。

 「それでも南三陸は水産のまちとして立ち上がり、前に進んでいる。能登も根づいた輪島塗などの伝統文化を再興すれば、復活できるはずだ」と佐藤町長は強調する。過去の災害の教訓を生かし、能登はどんな再生の道を歩むのか。

観光や工芸の被害甚大…棚田・温泉・輪島塗を守れ

 日本海に臨む急斜面に大小1004枚の田んぼが広がる。石川県輪島市の「白米(しろよね)千枚田」。年間50万人前後が訪れる国の名勝には無数の亀裂が走り、遊歩道の一部が崩落した。用水路も土砂でせき止められ、田植えは当分できそうにない。

 

 管理する「白米千枚田愛耕会」の小本隆信代表(76)は「このまま棚田が荒れていけば、景観は失われてしまう」と肩を落とす。

 

 能登最大の温泉地・和倉温泉(七尾市)も、約20の全旅館で休業が続く。建物にひびが入り、水道も使えない。協同組合の宮西直樹事務局長(50)によると、地震後、約7万7000人分の予約がキャンセルとなった。コロナ禍を抜け、来月16日の北陸新幹線延伸による経済効果を期待していたのに、「仮に年末まで営業できなければ、200億円近い売り上げが消える」という。

 政府は北陸の観光業を支援するため、3~4月に1人1泊あたりの旅行代金を最大2万円補助する「北陸応援割」の実施を決めた。ただ、能登観光の惨状を見れば、現地にはより手厚く、長期的な支援が不可欠だ。

 輪島市の観光名所「輪島朝市」は、地震直後の大規模火災で5万平方メートル超が焼失し、約300棟が被災した。年間50万人以上を迎えていた頃の面影はまったくない。それでも、冨水(とみず)長毅(ながたけ)組合長は「朝市はみんなで苦労してつくり上げた場所。輪島で復活しないと意味がない」と話す。

 

 

 2016年の熊本地震で被災した熊本市は、建造物や石垣に大きな被害が出た熊本城を復興のシンボルと位置づけ、修復の過程を積極的に公開する「見せる復興」に取り組んできた。地上約6メートルの空中回廊を設けるなどし、来場者数を徐々に回復させている。

 

 

 熊本城調査研究センターの網田龍生所長は「復興には時間がかかり、多くの支援が欠かせない。国と協力しながら、能登にふさわしい復興を進めていってほしい」とエールを送る。

 

 能登の風土に育まれ、受け継がれてきた伝統工芸も大きな打撃を受けた。国の重要無形文化財の輪島塗は特に深刻で、輪島市によると、約1000人いる従事者のうち7~8割は工房兼自宅が倒壊するなどしたとみられる。高い専門性を持つ職人らが100を超える工程を分業しており、どこが欠けても制作はできない。高齢の個人事業主も多く、維持が危ぶまれる。

 

 そんな苦境にも、立ち上がる人たちがいる。輪島漆器青年会会長で、漆器の企画販売を行う塗師屋「蔦屋漆器店」の7代目・大工治彦さん(36)もその一人だ。輪島朝市から300メートルほどの店は火の手こそ免れたが、地震で棚の商品が落ち、足の踏み場もないほど散乱した。

 

 「高齢化した業界では、再起をあきらめる職人が増えかねない」。自分の店のことより、一刻も早くと、1月6日に青年会仲間とX(旧ツイッター)で支援金の呼びかけを始めた。〈かけられた手間の積み重ねが丈夫な輪島塗の特徴です。こんな災害の中でも生き残ります。ぜひ職人を助けてください〉。投稿を読んだ人たちからは「輪島塗を買って応援します」といったメッセージが届いている。

 

 政府は、伝統産業分野に対し、職人が使う道具や原材料の確保など、事業継続に必要な費用の4分の3(上限1000万円)を補助する支援策を打ち出した。一人でも多くの職人がものづくりを再開できるように、息長く、産地に寄り添っていく必要がある。

 

 地震から1か月となった1日。石川県の馳浩知事は能登半島を「県民の心のふるさと。日本の原風景」と表現し、その輝きを取り戻すと誓った。輪島市の坂口茂市長も「自然や観光、文化は能登の心のよりどころ。その再生が多くの人を勇気づける」と話す。

 

 地域の宝を守っていくことが、能登復活のカギになる。(おわり)