30kmの呪い          (下)(了)
 | 『被曝させられ、差別され、家やお金を失い、友を失う
 | 心に刺さった傷は癒えることなく、家族の絆さえ引きちぎる
 | それが、原発事故です』
  |  この被害を、無かったことにはさせたくありません
 | 11/1(水)日本原電・東京電力本店前での避難者スピーチ
 └────  鴨下美和(福島原発被害東京訴訟)

◎ しかし、そのいわき市でも、30人以上の子どもが小児甲状腺がん
かかっていることが知られています。途中から公表されなくなったので、
今の実数はわかりません。また、地元に残る友人たちは、口々に、『最
近、突然死んじゃう人が多い気がするよね』とか、『腎臓病になった教
え子が、部活をやめたくないと嘆いている』とか『身内に甲状腺がんの
子がいるし、甲状腺の治療を受けている子はもっと多い』という話
してきます。でも決まって、『こっちじゃ、こんな話、できないけ
ね』と言うのです。
 病気の原因は医師でもわからないと聞きます。でも、避難した私に
言えて、「福島では言いづらい」ということ自体が、原発事故の被
だと、私は思うのです。

◎ そして今年になって、いわき市から送られてきた広報物には、いわ
き市の急性心筋梗塞で亡くなる人の割合が、全国平均の2倍になってい
る。脳血管疾患によって亡くなる方も多い、と書かれていました。
 原発事故から12年が過ぎましたが、私達の本当の戦いは、むしろ始まっ
たばかりなのかもしれません。
 原発事故当時、私の子どもたちは、まだ8歳と3歳でした。まだ、被曝
という言葉も知らない、幼い子供たち。長男は避難者のまま二十歳になり、
今年6月、法廷に立って、母親の私にも言えなかった辛い避難者いじめ
の数々を、涙を流しながら訴えました。

◎ 被曝させられ、差別され、家やお金を失い、友を失う。心に刺さっ
傷は癒えることなく、家族の絆さえ引きちぎる。それが、原発事故です。
 私達の受けた被害は、地震でも津波でもなく、ただただ原発によっ
引き起こされた人災です。
 私は、もう二度とこんな被害を起こしてほしくない。
 地震大国のこの国に、原発を建てて安全なところなどありません。
 「10万炉年に一度」といわれる原発過酷事故が、この33年間に世界で
3回も起きているのに、次に起きないなどと、誰が言えるのでしょうか?

◎ 今もなお、避難者の多くは、差別や誤解を恐れて、自分が避難して
いることを隠して生活しています。
 また、福島では、放射能汚染や被曝への懸念、病気についての悩みは、
口に出しにくい状態にされてしまいました。自分の言葉で誰かを傷つけ
たくない。家族が差別されたら辛い。そんな優しさにつけ込むように、
国は私たちの口をふさいできました。
 私も、怖くて、辛くて、隠れていた時期があります。でも原発が噴
出した放射性物質は、私が死んだ後も、子や孫の生きる世界を脅かし続
けます。さらにこの国には、まだたくさんの原発があり、次の事故
心配もあります。今、私たちが互いに気を遣って口を閉ざし、忘れ
ふりをしてしまったら、私たちが死んだあと、子どもたちを誰が守ると
言うのでしょう?

◎ 被害は今も進行しています。
 私はこの被害を、無かったことにはさせたくありません。
 せめて自分が生きているうちに、全てを明らかにし、必要な制度を
り、子や孫たちが、分けへだてなく救済される道筋を作りたいです。裁判
で勝ち、言いたいことを安心して言える社会を取り戻したいです。
 私達は、国と東電を訴えた、福島原発被害東京訴訟の原告です。来
12月26日には、東京高裁が判決を下します。一審で私達は、国・東電に
勝利しています。高裁でも勝利できるよう、どうかその裁判をメッセー
ジプロジェクトで応援してください。

◎ 今日は、あまり具体的な避難のお話しができませんでした。でも、
11月18日(土)には、スライドも使って、きちんとお伝えできると思います。
 ぜひ、日本教育会館までいらしてください。前売り券だと200円安く
なります。是非、大切なお友達の分も含めてお求めください。

 また、11月12日(日)には、私達の裁判の判決前集会を、JR飯田橋駅
からゼロ分の東京ボランティアセンターで行います。お配りしたメッセー
ジ用紙に、裁判長へのメッセージを沢山書いていただき、その日に持って
来てくださっても間に合います。
 さらに11月22日(水)には、名古屋高裁で「だまっちゃおれん訴訟」の
判決が出されますので、それに連帯して、東京でも集会を開き、現地と
オンラインで繋ぎます。そちらは秋葉原駅から徒歩3分の万世橋区民館
で、9時55分からパブリックビューです。名古屋に応援に行けない方は、
是非、東京会場にご参加ください。
ありがとうございました。

 

 

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 (11月11日東京新聞20.21面「こちら特報部」より抜粋)


 ◆ 避難解除6年余 福島・飯館は・・・
    今や老老行政区 医療環境は前途多難   
    未除染の山林 樹木焼却に危惧強く
  為政者頼み 住民もどかしさ

  東京電力福島第1原発事故後、「こちら特報部」が10年余にわたって
取材する団体がある。飯舘村放射能エコロジー研究会(IISORA)だ。
避難指示が遅れた福島県飯舘村の汚染状況、健康影響などを巡り、村民と
学者らが調査や議論をともにし、将来の指針を考えてきた。世話人を務
める京都大の今中哲二さんらは今月、コロナ禍で見送ったシンポジウムを
4年半ぶりに開催。動画配信もあったシンポを通じ、村内の根深い課題
が浮かんだ。

 「老老介護ならぬ、老老行政区になりつつある」
 3日に飯舘村内であったシンポ。伊丹沢地区の山田登区長(65)は、
高齢化が顕著な地区の現状にこう危機感を示した。「帰還率は24%で、
その多くは高齢者。ひと言でいえば、将来のビジョンが見えない。どこ
に向かって猛進したらいいか分からない」

 心配な状況もある。「ここ数年、60から70代前半でがんで亡くなる人
が多い」のだという。「毎年の村政ヒアリングで、がんと原発事故の関係
はないか質問しているが、村は『影響はない』との回答だ。ただ、放射線
によるがんは(時間がたってから症状が出る)晩発性と聞く。村からは
影響はないという情報だけで、本当にいいのかなと思う」
 飯舘村は福島第1原発の北西にあり、原発から最も近い地点の距離
約28キロ。事故を受けて全村避難となったが、国の避難指示は事故発生
から1カ月余りたってからだった。

 2017年3月以降、村の大半の避難指示が解除された一方、今も南部の
長泥地区で残る。村によると、原発事故前の人口は約6150人で、今月
1日現在の帰還者数は1534人。うち高齢者は約6割に上る。
 (中略)

   飯舘村を語る上で避けて通れないのが、長期的な放射能汚染の問題だ。
 シンポでは、2011年から村内の道路を車で走り、空間線量を調べる京
大の今中さんが現状を報告。今年4月時点で、村内276地点の平均が毎時
0.31マイクロシーベルトだったという。原発事故前の水準と比べると
7~8倍の高さで「平常値ではない」と指摘した。
 いま残る放射性物質はセシウム137で、量が半分になる半減期は30年。
除染を経ており、自然減衰に頼ることになるが、今中さんは「気にしな
くていい目安を毎時0.1マイクロシーベルトとすると、そこまで下がるに
は道の上で50年か60年の時間が必要となる」と話した。

 さらに深刻なのは、村の面積の約75%を占める山林の汚染だ。(後略)

             (11月11日東京新聞20.21面「こちら特報部」より抜粋)